山の家へ
静かな山の家で過ごすうちに、
いつの間にか、私の様々なアラートは鳴りやみました……
名峰に囲まれた静かな山あいに家を借りたのは3年ほど前のこと。
最初の目的は都会の家の備蓄庫として、だった。
大災害や近隣諸国との衝突、感染症の更なる蔓延など、そんな不安を煽る動画がYouTubeにも溢れ始めた頃で、私もすっかりその影響を受けていた。
トイレットペーパー、缶詰、ペットボトル、カセットガス・・・考えれば考えるほど、キリなく備蓄品は増え、都会の狭い3LDKはあっという間にモノであふれかえった。
その頃の私は、不安に煽られた人間そのものだった。
遠く九州に住む家族にも、「備蓄は必要よ」と電話のたびに伝えた。
公共放送と地元紙だけを頼りに、ショーヘイ・オオタニの活躍を日々楽しみにする母には、まったく話は通じなかった。
元夫が東日本大震災で被災した経験が消えなかった。
アラートがどうしても鳴りやまない私と、田舎で暮らす母との温度差は開くばかり。
しつこいと思ったのだろうか、何度目かの電話で、母はうんざりした声で言った。
「あらぁ、あなたのところに津波が来たら、その備蓄品全部台無しね~」と。
人は、自分の運命に従ってそれぞれの信じる世界線を生きたら良いと、今なら思える。
でも当時の私は、母の言葉に傷ついた。そして傷つきながらもどこかで思い始めていた。
「都会で備蓄を重ねても、本当に意味があるのだろうか」と。
家探しはひっそりと始めた。
事情や経験が違えば考え方も違う。
標高の高いところにとりあえず家を探そう。誰にも言わず、一人で。
そうは言っても、そもそも住んだこともない場所でどうやって家を探したらいいのか・・・、
一人で家など探せるのか・・・、不安しかない。それでも私は心の声に従って、家を探し始めた。
若い頃に何度か行った山の中のペンションを思い出し、もう一度泊まってみようと思い立った。近隣をめぐっていると、四方を山に囲まれた田園地帯の端に高台があって、そこに建つ小さな家を見つけた。心が浮き立った。まだ見ぬ外国の風景のようだった。
一目見て迷わず借りることした。
あれから3年。
都会と行き来しながら、山の家で書道をやり、花を生け、仕事をするうち、私のアラートは鳴らなくなった。不思議と運命を受け入れようという心持ちが生まれたのだった。山の家は、備蓄庫の役割をはるかに超え、安心だけでなく静かな時間と穏やかな心を、私にもたらした。
山の家では毎朝、眩しい光が、私の目と脳に差し込み、私を覚醒させ、
怖いほどの漆黒の夜には、手のひらに落ちてきそうな星々が、静かに私を照らす。
山々はずっと変わらずに私を見守っている。時には夕焼けに染まって私を感傷に浸らせ、時には霧に煙って寒さで現実に引き戻す。
私は山を眺めているのではない。
私はその大きな時間の中に静かに溶けていき、いつの間にか――山に諭されるように、自分の小ささに気づく。
備蓄のために借りた家は、いつしか「それぞれに生きる」ということを教えてくれる場所になった。かつての私のように、山は声高に語らない。
ただ、そこにある。
やさしく強く。
少しずつ封印していたものを私が開いていけるように。
人と考え方が違うこと。
人と生きてきた道のりが違うこと。
山を眺めていると、それがどうしてそんなに大きな問題だったのだろうと気づかされる。
苦しかったことは、とてつもない財産だったのだとさえ、今は時々思える。
そんな風に思えるようになった軌跡ーーいや、奇跡を、これから少しずつ書いていこうと思う。
