1月最終日曜 世界ハンセン病の日
あまり知られていませんが、毎年1月の最終日曜日は「世界ハンセン病の日」です。実は私も知りませんでした。テレビの番組表をチェックすると、NHK-BSで1月25日に『砂の器』ほかハンセン病関連の番組を複数放送するので、何かあるのかなと思い調べてみた次第です。
「世界ハンセン病の日」は、フランスの社会運動家ラウル・フォレローが1954年に提唱しました。今年は1月25日がその日に当たり、ハンセン病への理解促進や差別・偏見の解消を呼びかける日として、国内でも関連の催しが開かれたり、特設サイトが開設されたりと啓発活動が行われます。
ハンセン病そのものやハンセン病患者及び元患者に対する差別や偏見については、国立ハンセン病資料館のウェブサイトほかをご覧ください。ここでは「映画で知るハンセン病の歴史」のテーマで書きます。ハンセン病を知らなかった方が興味を持つきっかけになれば幸いです。
ハンセン病の歴史は古く、すでに紀元前2400年のエジプトの古文書に記録があります。ローマ帝国支配時代を描いた不朽の名作『ベン・ハー』でも、ハンセン病にかかり隔離地で悲惨な生活を送っていた主人公の母と妹が、イエス・キリストの奇跡によって病が完治するシーンが描かれています。
日本では、ハンセン病は「癩(らい)病」と呼ばれていました(ちなみに1996年まで「らい予防法」という名前の法律もがありました)。他にも「天刑病」(天罰としての病)、「業病」(前世の報いによる病)などとも呼ばれていたそうです。患者が社会の底辺に置かれていたことが窺えます。
日本最古の歴史書のひとつ『日本書紀』には、「推古20(612)年頃に百済から帰化を求める者があったが、その顔や体に斑紋があり、そのため「白癩」であると疑われ、海の孤島に置き去りにされかけた」という内容の記述があります。日本でも古代から知られた病気でした。
中世に入り、鎌倉時代には僧侶の忍性 (にんしょう)が奈良県に日本最古の療養施設を開き、ハンセン病患者を救済したという記録が残されています。彼のことは私も知りませんでしたが、その半生が映画にもなっているようです。映画そのものの良し悪しは分かりませんが…
また、時宗を開いた一遍も患者と共に生活を送るなど、仏教者による救済が盛んになります。しかし、このような仏教者による救済と民間レベルへの仏教の広がりは、「癩」を「業病」、本人のかつての行いに対する報いという考えを広めていくことにもなったと言われます。
中世を舞台にハンセン病患者を描いた最も有名な映画は、ジブリアニメの『もののけ姫』でしょう。アシタカ青年がたたら場のリーダーのエボシ御前を切ろうとした時、全身を布に巻かれて横たわる、石火矢(いしびや)衆の長らしき人物がアシタカに言います。
お若い方 わたしも呪われた身ゆえ あなたの怒りや悲しみはよく判る
判るがどうかその人を殺さないでおくれ
その人はわしらを人として扱ってくださった たった一人の人だ
わしらの病を恐れず わしの腐った肉を洗い布を巻いてくれた
生きることはまとこに苦しく辛い 世を呪い人を呪い
それでも生きたい どうか愚かなわしに免じて…
宮崎駿監督は全国に13施設ある国立ハンセン病療養所のひとつ、東京都東村山市の「多磨全生園(ぜんしょうえん)」に足しげく通っていました。園で長年語り部を務めていた方とも交流があり、その縁で2019年に「世界ハンセン病の日」に際して開催された国際会議で講演を行ったこともあります。
江戸時代に入り「家」観念が発達すると、患者たちは「家」に迷惑をかけないように、自発的または親類から促されて故郷を離れ、特定の寺社の前で物乞いをしたり各地を放浪したりする生活を送りました。江戸時代の終わり頃には故郷を離れて生活する患者達の集住地が日本各地にできました。
明治になり、諸外国から患者を放置していると非難されると、政府は「癩予防に関する件」という法律を制定して「放浪癩」を療養所に入所させ、一般社会から隔離しました。この法律は患者救済も図ろうとするものでしたが、伝染力が強いという間違った考えを広め、偏見を拡大させました。
昭和に入ると、各県が競ってハンセン病患者を見つけだし、強制的に入所させるという「無らい県運動」が全国的に進められました。もし一人でも親族に発病者が出ると、その家は共同体の中で一切の関係性を断絶され、時には一家離散に追い込まれたと言います。
『砂の器』は、この患者迫害が最も激しかった時期の「放浪癩」を描いています。松本清張の原作小説とは異なるストーリーや映像の素晴らしさもさることながら、作曲家(ピアニスト)の主人公が奏でるメインテーマ『宿命』があまりにも劇的で、何度見ても涙を禁じ得ない名作です。
ところで、つい最近、安部元首相を殺害した被告に「無期懲役」の判決が下りました。被告はいわゆる宗教二世。「被告は宗教を背景とする児童虐待の被害者で、生い立ちは動機に直結している」という弁護側の主張は認められませんでした。私の中ではこの事件と『砂の器』が重なります。
1941年にアメリカで特効薬が開発され、ハンセン病は確実に治る病気になりましたが、戦後になっても状況は変わりせんでした。戦後成立した「優生保護法」や「らい予防法」は、世間のハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長し、患者はもとよりその家族も結婚や就職を拒まれたと言います。
最後に紹介するのは、子どもから大人まで皆さんに見て欲しい、樹木希林さん主演の『あん』です。どら焼き屋の店長の前に時給200円でいいから働かせてほしいと言って現れた元患者さんをめぐるお話です。ハンセン病療養所の多磨全生園を主要な舞台・ロケ地として撮影されました。
1996年にらい予防法がようやく廃止され隔離政策は終了しましたが、人生のほとんどを療養所の中で過ごした人たちの多くは外に出る選択をしませんでした。しかし、誰もが仕事を手にし社会と接点を持ち認められることを望んでいたでしょう。世の中に差別や偏見がなくなったのであれば…
1998年、ハンセン病の元患者が「らい予防法」は憲法違反だとして国家賠償を求める裁判を起こし、2001年に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出され、その後判決が確定しました。2008年には「ハンセン病問題基本法」が成立しますが、あまりに遅すぎたのではないでしょうか。
最初の写真は国立ハンセン病資料館展示室2 山吹舎(写真提供:国立ハンセン病資料館)
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