逆襲の団塊ジュニア Day7 子、来たる
仙台朝市近くのビル地下にある『東家』の
海鮮丼、一度、食べてみたかった。

大吉丼という縁起の良い名前もさることながら、
そのボリューム、質の割にお値段がかなり良心的で、
漁業が盛んな宮城県の県庁所在地 仙台の面目躍如といったところだ。
今、大学の春休みを利用して、
東京から遊びに来た我が子と、
大吉丼を挟んで、対峙している。
うちは、ひとりっ子だ。
別に国策でそうしたわけではないが、
ある意味、国策で、そうせざるを得なかったのかもしれない。
妻は複数人の子を望んだが、私は、複数人を養う自信が持てなかった。年子や、よくある2歳違いの子が全員、浪人したり、私学に通ったり、転勤族が故に別居・ひとり暮らしされたりしたら、支え切る自信が持てなかった。私は自身の不甲斐なさを、心の奥底では蔑んでいる。妻の願いを叶えてやれなかった。
その子も、もうハタチを超え、成人した。
案の定、浪人して、東京の私学に通ったが、
別居・ひとり暮らしは、本人ではなく、
私が、している。
その子に、大吉丼という縁起の良い
上等な海鮮丼を前に、ビールを注いでやる。
子が幼い頃は、「いつまで続くのだろうか、保護者の役割は。ずいぶん進みが遅いな。」などと思っていたが、いつのまにか、成人の記念撮影用の晴れ着を選んでいた。子は、転勤で転々としたため、どこの成人式に出たら良いか迷い、結局、式には出なかった。ひとり、カメラマンと向き合い、数枚のスナップショットを手にしただけのハタチの儀式だった。
寂しかっただろうな。
すまん。転々とさせて。
と後悔の念が押し寄せてくる。
別に、いいんだ。
関西人の両親の下で育ったが、子は東京弁だ。
強がって言っているようには聞こえなかった。
ただ、他人事のような、冷たい印象がした。
私の不甲斐なさで、ひとりっ子にした。
中2という多感な年に、東京から広島へと
転校させた。
540度ぐらい、世界観が変わったはずだ。
しかも、高校生活はコロナ禍で壊滅した。
文化祭も体育祭もなく、
卒業式は参列人数が制限され、
私だけが見届けた。
背筋を伸ばして歩く、
凛々しい我が子の様を妻は見られなかった。
この子は、深く、人と繋がる機会を奪われ続けてきた。私と、一時、ウィルスによって。繋がりが失われるごとに喪失感に潰されないよう、心の奥底で、常に深入りしないように過ごしてきたのではないか。人と深く繋がることの喜びを知らないのではないか。悪かった。家族を養うために、転勤も受け入れざるを得なかった。やっと入れた会社なんだ。単身赴任しろよと思うかもしれない。でも、できなかった。だって、広島への転勤時は、お前の成人まで6年。その間、数回の異動・出戻りの可能性はあったが、勤務地は全国に何ヶ所もある。東京本社に戻れるかわからなかった。そしたら、もう成人するまで一緒に住めないかもしれない。離れて暮らしているうちに、いつの間にか巣立っていくかもしれない。それを、予想すらしていなかった内示を受けてからの数日で覚悟しろ、と言われても無理だった。ごめんよ。もう少し、単身赴任する、子離れする覚悟を決める時間をくれ。そう思って、連れていった。
東京の中学校は公立だったけど、
越境入学してくる者が多く、
それだけ評判の中学校だった。
先生とも、友人とも、仲良くしていたよな。
家族は一緒に暮らすべきだ。大体、転勤・単身赴任なんて日本ぐらいなもんや。世界で、家族と離れる転勤なんて辞令出したら、即退職、転職やで。家族一緒が世界標準や。と主張する私に、母子共に、ここは日本や。と普段使わない関西弁で反論したよな。それでも、最終的に、お前は、涙ひとつ見せず、付いてきてくれた。泣きたかったんちゃうか。お前に甘えてしもうたわ。
だって、しょうがないじゃん。
後に、お前は、そう言った。
強い。本当に強い。
ああ、いい匂い。
との子声で我に返る。
子は、注がれたビールを匂っている。
いつものクセだ。
今どき、珍しく、麦酒が好きなのだ。
すごーい、ヒガシモノ、
きらきら光ってるね。
とニコニコしている。
そうか、お前も、昔、仙台に住んでたな。
ヒガシモノ、覚えてたんやな。
そうか、そうか …
私は泣きながら、乾杯した。
ひとりっ子は、
ひとりでも生きていける術を身につけるのだ。
わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい。
昔のCMのキャッチコピーをふと思い出した。
