とりあえず、今日の僕、俺、私な日記エッセイ的なにか。Ⅴ
挨拶
おはようございます。こんにちは。こんばんは。おやすみなさい。
小鳥遊(たかなし)ちよびです。
日記的なエッセイ的な何か
小説もシナリオも、なかなか作業時間を確保できず、だらだら過ごしている今日この頃です。
とはいえ、文字から完全に離れているわけではなく、読むこと自体は続けています。
最近読んだのは、背筋さんの『口に関するアンケート』。
章ごと、というより登場人物ごとに視点が切り替わる構成で、その「順番」がとても巧みでした。
読後に「なるほど」と唸らされるタイプの作品だったと思います。
現在は、夕木春央さんの『方舟』を読んでいる途中です。
本についての感想も書きたいところですが、今日は別の作品についてどうしても書きたくなり、この記事を書いています。
葬送のフリーレン 14話について
今日書きたかったのは、アニメ『葬送のフリーレン』についてです。
原作漫画は未読で、アニメのみ視聴しています。
個人的には、ここ数年のアニメの中でも、完成度という点で群を抜いて高い作品だと思っています。
作画、音楽、演出。そのどれもが「令和を代表する作品の一つ」と言っていいのではないでしょうか。
この記事も、『葬送のフリーレン』オリジナルサウンドトラックを聴きながら書いています。
今回は、その中でも第一期14話について語りたいなと。
本来なら第1話から順にレビューすべきなのかもしれませんが、
これは「思い立ったが吉日」な、僕・俺・私記事なので。
※以降、アニメ『葬送のフリーレン』のネタバレを含みます。
ここから先はあくまで、僕個人の感想と推察であり、事実とは限らないのでご了承ください。一感想として読んでもらえたらと思います。
※Dr Sophie Darling Reacts さんの葬送のフリーレンのリアクション動画を見て感銘を受け、改めて見直し書いています。興味がある方は翻訳してくれてる動画がyoutubeにあるので、検索して見て下さい。
14話の前半では、フェルンの誕生日にシュタルクが「鏡蓮華のブレスレット」を贈ります。
後半では、かつてフリーレンが勇者ヒンメルから「鏡蓮華の指輪」を贈られていたことが描かれます。
この作品には、無駄な描写がほとんどありません。
そのため、14話冒頭の町に響く「鐘の音」を聞いた時点で、私は第1話を思い出し、これはきっと“時間(ヒンメル回想がくる!)”がテーマの回なのだろう、と直感しました。
そして案の定、後半では、察してしまい、泣きながら見ることになりました。
過去の冒険でフリーレンが活躍したことへの報酬として、
ヒンメルは「何でも好きなアクセサリーを選んでいい」と言います。
フリーレンが選んだのは、露店で見つけた鏡蓮華の指輪。
それをヒンメルは、ただの報酬としてではなく、
町の時計塔の鐘が鳴る瞬間に合わせて、フリーレンの左手を取り、膝をついて薬指にはめます。
どう考えても、プロポーズのような演出です。
けれど、フリーレンはそれを、プロポーズだとは受け取っていなかったのでしょう。気づいていない、もしくは分かっていない。
このシーンが美しく、
そして切ないのは、二人の間に「時間」という決定的な隔たりがあるから。
背景に映る大きな時計塔。
二人の間に描かれている大きな時計。
それが象徴しているのは、生きる時間の長さの違い。
そして、そこから生まれる、どうしようもないすれ違い。
ヒンメルがその瞬間に伝えたかもしれない「愛している」という気持ち。
それをフリーレンが理解するまでには、約80年という時間が必要だった。
ここで重要なのが、鏡蓮華の意匠の違い。
シュタルクがフェルンに贈ったブレスレットの鏡蓮華は、「咲いている花」。
一方、フリーレンの指輪の鏡蓮華は、「閉じた花」に見えます。
咲いている鏡蓮華が「届く愛」「想い合う愛」(=両想い)だとするなら、
閉じた鏡蓮華は「叶わない愛」「まだ届かない愛」。
鏡蓮華のモチーフになったと思われる「蓮の花」は、開いたり閉じたりを繰り返し、やがて咲き、そして枯れる花です。
泥の中から咲くことで、逸話や教えなどから仏教では神聖な花としても扱われています。
閉じた鏡蓮華は、いつか再び開く。
それは、時を経て、フリーレンがヒンメルの気持ちを知ろうとし、
やがて「好きだった」「愛されていた」と理解する未来を、静かに示しているようにも思えるのです。
閉じた鏡蓮華は「まだ届かない愛」。
けれど言い換えれば、それは、これから咲き開く愛でもあるのかな、と。
ヒンメルにとっては、自分の中にある「愛」を自覚した瞬間だったのかもしれません。
フリーレンにとっては、まだ名前もつけられない、初めての感情だったのかもしれない。
ヒンメルは指輪を贈る際から、そして死ぬ時までの時間を見て彼は「フリーレン」との距離感と、そして時間の差をあえて、彼女に合わせた物差しで一緒に過ごし、そして生きていたと思います。
きっと、プロポーズが届かないことも分かっていた。
だからこそ、すんなりとその場で指輪を嵌められたのかも。
もしくは、既に心は決まっていて、ヒンメルは心は、彼女と添い遂げることをずっと前から決めていたのかも。
銅像を沢山残していた理由と、同じように、あの指輪も彼女とずっと旅をしてくれるように。
そして、それを本当の意味でフリーレンが受け取るころには、ヒンメルは、もういない。
だからこそ、フリーレンは、大陸最北端のエンデにある「魂の眠る地(オレオール)」を目指して旅をしている。目指すべきで、もう一度会うべき。
できることなら、彼女が自分の意思で、
もう一度その指輪を左手の薬指にはめてくれたらいいな、と思ってしまいます。
というか、ずっと嵌めてて。
ずっとは、流石に束縛しすぎ……?
原作は知らないんですが、フリーレンも、そしてヒンメルもお互いに「好き」とも「愛してる」とも伝えあってないと思うんですよね。
ヒンメルはそれとなく、態度や違う言葉でずっとフリーレンに何かを贈っているとは思います。
でも、フリーレンは「ヒンメルの死」からようやく、人と、そして彼について知ろうと思い始めた。つまりは、ヒンメルに対する自分の感情についても向き合っていく。
フリーレンが時間についてよくエルフジョーク(本気)を言いますが、彼女にとって「たった10年」の旅。それが、この1000年以上生きたフリーレンを突き動かし、記憶にもっとも残っている思い出。なかでも、きっとヒンメル達と刻んだ10年は最も色鮮やかな記憶なのだと、そう思うんです。
今、人として、一緒に同じ時間を過ごしながら、きっと「愛」を育んでいくであろう、シュタルクとフェルン。
過去の時間に思いを馳せながら、感情と「愛」を知っていくであろうエルフであるフリーレン(と人であるヒンメル)。
久しぶりに、こんなにも美しい恋の物語を見た気がしました。
今さらだけれど、いや、今さらだからこそなのかな?
私は『ロード・オブ・ザ・リング』をはじめとしたファンタジー作品が大好きですが、
中でも弱いのが、長寿種と短命種の恋模様です。
ある作品で、長寿種が「置いていかれる気持ちがわかるか!」と叫び、
それに対して短命種が「置いていくしかない側の気持ちを考えたことがあるのか!」と返す場面があります。
その言葉は、ずっと私の心の片隅に残っています。
ちょうどその頃、私は一族の中でも特に敬愛されていた曾祖父を亡くしました。
親族が別れを惜しむ姿を見て、こう思ったのです。
「つらいのは、残された私たちだけじゃない。
きっと、逝く側も同じなんだ」と。
ちなみに私は、曾祖父のことを「大きいおじいちゃん」と呼んでいました。
背が高く、建築・設計士で、寡黙な人でした。
子どもの頃、夏休みに家に泊まりに行き、蝉の抜け殻を集めた記憶が、今も残っています。
『葬送のフリーレン』14話は、
時間と愛について、これ以上ないほど静かに、そして優しく描かれた一話だったと思います。
今さらだけれど、いや、今さらだからこそ。
そんなふうに、心に残る物語でした。
お読みいただきありがとうございました。
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