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「迷惑系」と「あおり婚活インフルエンサー」の構造的同一性

「迷惑系YouTuber」と「婚活インフルエンサー」が異なるように扱われるのは、単に「前者は直接的な迷惑行為(法的問題や物理的妨害)が目立つから」という社会的認識のズレがあるだけであり「煽りや対立をコンテンツ化して利益を得る」という構造そのものは全く同じである。
両者のビジネスモデルと本質的な「加害性」という観点から見れば、その境界線は極めて曖昧であり、実質的には同質であると言わざるを得ない。

①収益化のために「ターゲット」を生贄にする構造

迷惑系YouTuberがターゲットのプライバシーや生活を破壊してPVを稼ぐのと同じく、煽り系婚活インフルエンサーもまた「特定の層(特定の希望条件を持つ女性など)をスケープゴートにする」ことで、フォロワーの溜飲を下げ、共感という名の集金を行っている。
彼女らにとってターゲットの尊厳や人生の苦難は、単なる「コンテンツの燃料」に過ぎない。
煽りによって誰が傷つくか、誰が追い詰められるかという社会的コストを無視し、自身の利益を最優先する姿勢は、その本質において何ら変わらない。

②「正義」という名の看板を利用した加害の正当化

迷惑系YouTuberが「世直し」や「暴露」という大義名分を掲げるのと同様に、婚活インフルエンサーも「婚活市場の現実を教える」「厳しい現実を突きつける」といった「啓蒙」という仮面を被ることで、自身の加害的な煽りを正当化している。
「おまえが言える立場か」という言説は、弱者や構造的に不利な立場にある人を攻撃する際、最も卑劣な形で「正論」という外装を纏う。

③社会的責任の放棄という共通点

最も危険なのは、その発信が現実世界に及ぼす「副作用」に対する無責任さである。
迷惑系YouTuberの行動が現場の混乱を招くように、婚活インフルエンサーの煽りは、読者の閉塞感を増幅させ、家庭内暴力や最悪のケースとしての自殺といった、現実世界での「死」や「破壊」に直結するリスクを孕む。

彼女たちは、賃金格差も身体的負担も放置したままでいいと知っている。
なぜなら、その不平等が存続し続ける限り、それによって追い詰められる女性を叩き、煽るという『加害ビジネス』が永続するからである。
是正活動をせず、ただ弱者を嘲笑うだけの彼女たちに、婚活を語る資格も、社会的な影響力を行使する資質もない。
私たちが拒絶すべきは、彼女たちが提示する歪んだ『婚活の正論』ではなく、その正論の裏側に隠された、構造的暴力への無自覚さと偽善的な加害性である。

彼女らは、自分の煽りが引き金となって生じる悲劇に対して「私はただ婚活の現状を言っただけ」と責任から逃げる術を持つが、その無責任さこそが迷惑系YouTuberのそれよりも巧妙で、かつ社会的にはより根深い悪質さを持つ。
彼女らは綺麗事のフィルターを被っているが、やっていることはネットの荒らしや迷惑系と変わらない、搾取ビジネスである。


彼女らが口にする『現実を見ろ』という言葉は、不平等を是正するための『現実』ではなく、不平等を維持したまま女性を屈服させるための『暴力的な現実』である。
是正活動を一切行わず、ただ不平等の果実を食い物にして弱者を嘲笑う彼らの姿勢こそが、この婚活市場を最も歪めている病巣である。

「無作為」という名の加害的スタンス

①「是正」を避けることによる搾取
賃金格差や生理的負担という、女性が直面する構造的問題に対して彼女は何の活動もしない。
それどころか、これらの問題を「婚活市場で条件を掲げるための言い訳」として矮小化し、嘲笑のネタにしている。
解決策を模索する努力を放棄し、不平等の犠牲者を叩くことでPVを稼ぐ姿勢は、構造的欠陥を固定化させ、そこから利益を得る「構造的搾取」そのものである。

②「自己責任論」という名の女性弾圧
男女平等が未達であるという現実を無視し、「男女平等なんだからわがままを言うな」と説くのは、加害者の常套句である。
彼女たちは「平等であるべき」という理想を、改善を求める女性を黙らせるための「弾圧の道具」として悪用する。
是正活動を何ら行わないどころか、むしろ是正を求める声を切り捨てることで、女性を現状の不平等の中に縛り付ける役割に加担する。

③無責任な傍観者としての加害
影響力を持ちながら、社会的な是正に対しては無関心を貫き、弱者を攻撃する時だけ積極的に関与する。
これは単なる個人の思想の問題ではなく、社会に対して非常に有害な姿勢である。
彼女たちの立ち位置は、現状の不平等を「エンタメ」として消費する傍観者であり、その無作為が現実に苦しんでいる多くの女性を孤立させ続けてきた。


「問題のすり替え」による責任の所在の不透明化

彼女らの最大の加害性は「構造の歪み」を「個人の資質の問題」へすり替える点にある。
本来、女性が相手に経済的な安定を求めるのは、賃金格差やケア労働の不平等という「社会システム」が、女性個人に経済的な生存リスクを押し付けているからである。
彼らはこの「システムの欠陥」を放置し、そこから生じた生存戦略を「高望み」や「傲慢」という個人の性格の問題として断罪する。
これにより、社会が負うべき改善責任が消去され、被害者が自責の念に駆られるという「抑圧の悪循環」が完成する。

「分断の再生産」によるコミュニティの固定化

彼女らにとって、男女平等の実現は、実は「ビジネスの終わり」を意味する。
もし本当に男女平等が是正され、賃金格差やケア労働の偏りがなくなれば、彼らの「婚活市場における煽りコンテンツ」は需要を失うからである。
したがって、彼らは無意識あるいは意識的に、「平等は遠い理想であり、現状では個人の努力不足でどうにかするしかない」という諦念を植え付ける。
あえて不平等を保持し続け、女性を叩くことでフォロワーの溜飲を下げ、自分たちこそが「現実を直視させる指導者」であるかのような錯覚を演出する。
これは分断を固定化することで、自身の立場を安定させる極めて搾取的なビジネスモデルである。

生理的負荷という「非対称性」の悪用

生理的負荷や出産リスクといった、女性特有の生物学的な負担を「個人の交渉カード」レベルに矮小化し、男性と同じ負担のはずだと仮定して「言える立場か」と脅す手法は、相手の尊厳を根底から否定する行為である。
彼らは「生物学的な不平等」を理解し合うべき課題としてではなく、女性の権利を奪うための「武器」として使用する。
これは、障害を持つ人や弱者に対して「その体で何を言っているんだ」と切り捨てるのと同質の、人権感覚を欠いた野蛮な言説である。
彼らの論理に従えば、身体的な負担や不平等を抱える人間は、社会的な交渉権すら持たないことになり、これは民主主義社会の根幹を否定することに他ならない。

悲劇を「コンテンツ」として消費する倫理の欠如

彼らの最大の罪は、その言動が引き起こすであろう社会的ダメージに対する想像力の欠如である。
「年収」といった属性への攻撃は、その条件を掲げざるを得ないほど追い詰められた個人の切実な状況を無視する。
彼女らの言葉が、家庭内での対立や、精神的な追い詰めによる自死、あるいは社会への絶望という「現実の悲劇」に接続している事実に対し、彼女らは「私にそんなつもりはなかった」という無責任を構えている。
影響力を行使しながら結果に責任を負わない姿勢は、社会の安全を脅かす存在であり、彼女らは他者の人生を、自身の承認欲求を満たすための「使い捨ての燃料」として利用する。

彼女らが口にする『現実を見ろ』という言葉は、不平等を是正するための『現実』ではなく、不平等を維持したまま女性を屈服させるための『暴力的な現実』である。
是正活動を一切行わず、ただ不平等の果実を食い物にして弱者を嘲笑う彼らの姿勢こそが、この婚活市場を最も歪めている病巣である。


彼女らは「婚活のアドバイザー」というよりは「現状の理不尽さを肯定し、それに従わない人間を叩くための治安維持装置」として利用している。
私たちが今なすべきことは、こうした煽りに乗せられ、同調することではない。
彼らの手法が、いかに卑劣で、いかに構造的不平等を悪用した搾取的なものであるかを見抜くことである。
インフルエンサーという権力を利用して弱者を叩き、それをエンタメとして消費させる「加害ビジネス」を社会として許容してはならない。