2025年5月3日、母が亡くなった日
自己紹介
初めまして。
この記事を書いている今は2025年7月12日、
ずっとやりたかった「noteに自分のことを残す」ということにやっと取り掛かれています。
大好きだった母親を2ヶ月前に亡くしました。
これまで経験したことのない悲しみや絶望、人生が壊れる感覚を感じ、
それでも毎日必死で食べ、眠り、残された家族とお互いに励まし合いながら、生きています。
毎日の生活を、書きたいタイミングで手書きの日記に残してきました。
書くことで整理できたり、気持ちを落ち着けたりすることができたからです。
手書きの日記は、元々公開するつもりも、誰かに書いていることも明かすつもりもありませんでした。
だけど、ふと気づいたのです。
この悲しみは、誰もが、いつか経験することだと。
わたしの場合は母親でしたが、
他の誰でもよい、一番大切だと思える人を突然この世界から失ってしまうことは、きっと世界中の誰もが、いつか人生の中で経験することだと。
そんな絶望の最中にいる人が、
もしわたしの日記に辿り着いた時に、
「この絶望が永遠に続くわけではないんだ」と感じてもらえるように。
そして、自分自身も、立ち直り生きていく、その過程を記録できるように。
そんなつもりで、日々の手書きの日記をnoteに転記する形で、ここに残していきたいと思います。
わたしの記事を読む方へ
文章は全て、わたしの日記を転記していくので、気軽なことばで書いていきます。整っていない文章、拙い表現などあると思いますが、どうか優しく見守ってください。
そして、「母親の死」「父親の孤独」「遺族の悲しみ」なども、リアルに記録していきます。もしかしたら、読んでいて辛い気持ちになってしまうことがあるかもしれません。
辛い気持ちにさせたくて書いているつもりはありません。もしそうなってしまったら、本当にごめんなさい。
どうか読み飛ばしたり、直接的な記載を避けて読むようにしていただければ幸いです。
きっと後半は少しずつ立ち直り、希望もある記事にしていけるはずだと思っています!
お母さんが亡くなった理由。経緯。
母親が亡くなったのは、本当に突然のことだった。
お腹の中に大きな腫瘍があって、それが破裂した。
母親が緊急入院したと連絡があったのは、4月26日のことだった。
「お母さん、突然肝臓に腫瘍があって、緊急入院した」
妹から、県外に出張していた私に電話が入って、心が急にざわざわした。
(ちなみに最終的に肝臓腫瘍ではなかったけれど、家族の誰もが母親に腫瘍があると気づいておらず、母の体調不良も知らなかったため、
みんなが混乱していた)
急いで地元に帰り、病院に駆けつけると、母はHCUの個室にいた。
「ごめんね〜!急にこんなことになって」
元気に笑顔を見せる母親に、ホッとしたのを覚えてる。
そこから、お医者さんがやってきて、説明を受けた。
お腹に原因不明の腫瘍があること。
おそらく癌ではないが、とにかく大きい(20cm以上)こと。
その中で壊死している部分から出血をしており、
緊急での手術と摘出が必要なこと。
その時点では誰も「摘出すれば治る」と心から信じており、
「2週間程度の入院になるかもね〜」なんて話してた。
なんなら、「その間お父さんの世話は私か・・。大変だ」とちょっと疎ましく思うほど。
そこから、自宅近くの実家で一人暮らしすることになった
何もできない(本当に何もできない、仕事以外)父親の
食事の準備、掃除の手伝い、洗濯、などを母の代わりにする生活が始まった。わたしも掃除や皿洗いは苦手分野だから、一緒に暮らすぴーちゃんも一緒に父親をサポートしてくれた。本当にありがたい。
その数日後、5月2日。
いよいよ手術の日となり、手術室に向かう母親を妹とわたしのパートナー(ぴーちゃんと呼ぶ)で見送った。
全身麻酔を経験したことのあったわたしは、少し得意げに「大丈夫だよ、寝ていればあっという間だから」と言って母親を送った。
手術室に入る瞬間、母親が耐えられず少しだけ涙していて、
わたしも妹も、思わず泣いた。
その手術は、15時間に及んだ。
手術中、一度先生に病院に呼ばれて、
すごく大変な手術になっている説明を受けた。
腫瘍が思ったより大きく(30cm以上)、大きな血管や臓器に入り組んでおり、たくさん出血をしていると。
危険な状態になるかもしれません、と。
そして、手術を終えて帰ってきた母は、
取りきれなかった腫瘍が残り、お腹からは出血が止まらず、
麻酔も覚ますことができない状態だった。
とても危険な状態だけど、家族の声は届くから、
声をかけてくださいと先生に言われ、
わたしたち家族は、本当に一日中一瞬も途切れず、
声をかけ続けた。
母の心拍や、脈のモニターを見ながら、
止まらないように、止めないように。
夜通し一睡もせずに兄弟とぴーちゃんで声をかけ続け、手を握り、
顔を撫で、朝を迎えたけれど、
5月3日の8時45分、母親の心臓が止まった。
母親のモニターが動かなくなったときは、
自分の悲鳴と、父親の泣き叫ぶ声がものすごい大きさで、
頭がおかしくなりそうだった。
ゴールデンウィークの始まりで、
空は青く、暑くも寒くもない、風の気持ちいいお天気の日だった。
