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富所正一という記憶――NHK、寮祭、公民館、そして最後の夜

Ⅰ 

NHKで知った弾き語り

昭和50年から51年頃、NHK新潟放送局のFMで、富所正一の歌がよく流れていた。
「お前まだ春らかや」、「どじょう取りにゆこうや」「農業高校」「通信簿」など、地元の暮らしをそのまま歌ったような曲で、印象に残った。

当時、新潟局にいた千田正穂が気に入り、番組にたびたび呼んでいたと記憶している。
正確な放送日は不明だが、当時のFMで存在感があったのは確かである。


Ⅱ 昭和51年6月 寮祭のライブ

昭和51年(1976年)6月、長岡高専の寮祭でフォークコンサートを企画した。
私は4年生で、寮生だった。

見附市坂井町のライブ喫茶「きゃんどる」の店主・安藤氏を通じて出演を依頼した。
当日、富所氏は自ら車を運転して来た。

開口一番、「頭のいい高専生とは口をきいたことがないなあ」と冗談を言い、場が和んだ。

演奏は日中開催だったが、観客も多く、内容も良かった。
ラジオで聴いていた歌を目の前で聴いた記憶が強く残っている。

最後に「新しい曲だがまだ途中」と言って歌ったのが「最終列車」である。

♬最終列車に 姉さを乗せて 姉さの生まれた町へ行く
最終列車に 乗り遅れるなよ あんにゃがバイクに乗せて行く
あんにゃが渡した風呂敷包み これがかあちゃんの土産だぞ
あんにゃが手を振る 姉さが手を振る 早く帰れ 早く帰れ🎶

意味はよくは分からないけれど、強い印象を残す歌だった。

なお、当時はギャラも車代も支払わず、アイスコーヒーを出した程度であり、今振り返ると無作法だった。


Ⅲ 昭和51年秋 中之島公民館

同年秋、中之島村の公民館事業でフォークライブを行うことになり、私が自宅に電話して依頼した。
この時も快く応じていただいた。

会場は村役場裏手の公民館研修室で、PAも無い小規模なものだった。
観客は十数人程度と記憶している。

この時も、どこか恥ずかしそうに歌う姿が印象に残っている。

終了後の雑談で、音楽の影響について尋ねたところ、
「拓郎もそうだけれど、最近は加川良や友部正人、高田渡がいい」との話だった。
当時としては渋い選択だと感じた。


Ⅳ 最後の記憶

翌年、昭和52年(1977年)3月、富所氏は三条大橋から信濃川に投身したとされる。

その夜、私は見附市坂井町の「きゃんどる」にいた。
富所氏も店におり、何かを大声で言いながら店を出て車で走り去った。

これが最後に見た姿である可能性がある。
半世紀前の記憶であり、細部には不確実な部分がある。


Ⅴ 遺作と現在

自主制作盤

死後、関係者により遺作を残す動きがあり、1977年暮に12曲・約32分のLPが自主制作された。

寮祭の録音カセットは現在手元に無い。
LP制作時に音源提供した可能性もあるが、記憶は明確ではない。

LPは後年デジタル化し、現在も時々聴いている。


Ⅵ 最終列車

「最終列車」は未完成であったため、LPには収録されていない。

つまり、この歌は記録として残っていない。
寮祭で聴いた者の記憶にのみ残る歌である。

その記憶を共有しているのは、私と当時同席していたK君程度と思われる。

後年、仲間と結成したバンド「五円玉」で、この曲を記憶を頼りに歌った。


Ⅶ 結び

「最終列車」を思い出すと、なぜか涙が出る。
当時の記憶が一気に戻るためだと思う。

歌は残らなかった。
しかし記憶は残っている。

それで十分だと考えている。

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