見出し画像

☕ちょっと一服:「地図」から「空気」へ —— 音楽メディアの変遷と、失われた「カウンター」の精神

最近、音楽の「探し方」そのものが変わったな、とよく思います。

昔は雑誌が地図で、いまはおすすめ欄が空気みたいに流れてきます。 今日は本編というより、いったん深呼吸です。

私が好きなロックの音楽メディアを主体として、どう変わってきたかを、ざっくり整理してみようと思います。

1)雑誌が“地図”だった頃(1970年代〜90年代)

インターネットがない時代、音楽情報は今よりずっと少なかったのです。

レコード屋で何を買うか、ジャケットの意味は何か、そもそもどこに入口があるのか。だからこそ、雑誌は「新譜カタログ」以上の存在でした。

読んでは買う、聞く

世界の見取り図であり、(少なくとも読者の体感としては)対抗文化の砦でもありました。 この時代に強かったのは、編集方針がそのまま誌面の人格になるタイプの雑誌です。

「独裁者」という言葉は比喩ですが、実態として、編集長の美学が誌面の空気を決め、読者の視線まで決めてしまう力がありました。

中村とうよう『ニューミュージック・マガジン』

1969年創刊(現『ミュージック・マガジン』)。
ジャーナリスティックな視点と、10点満点の採点簿(クロス・レヴュー)で音楽を評価しました。
「良いものは良い、悪いものは悪い」と点数で可視化するスタイルは、まさに権威ある地図そのものでした。ちなみにこの採点欄は、現在も変わらず続いています。

阿木譲『ロック・マガジン』
『ロック・マガジン』は1976年に創刊され、阿木譲氏が編集・発行人。
商業主義から距離を取り、ノイズやインダストリアルのような“当時の前衛”を、デザインも含めて総合的に提示した——このタイプの姿勢は、雑誌が「体験装置」になっていたことの象徴だと思います。

北村昌士『FOOL’S MATE』
『FOOL’S MATE』は1977年に創刊され、北村昌士氏が初代編集長。
中心から外れたものを掘り、難解な音楽に言葉を与え、“分かる人が分かる場所”を誌面で作っていました。

渋谷陽一『rockin’on』

渋谷陽一氏が1972年に『rockin’on』を創刊。
強い言葉と論理で議論を生む。インタビューを「宣伝」から「対話/決闘」へ寄せ、読者にも考えることを要求した——この「姿勢」自体が、雑誌をカウンターとして機能させていた面があります。

この頃は、雑誌が大衆に迎合しないこと自体が価値でした。
私の音楽観は、この辺に影響を受けています。
偏りは欠点でもありましたが、同時に“地図の輪郭”でもあったわけです。

他にも『Doll』や、ちょっと違いますが『宝島』とかもありました。

その流れは90年代以降も続きました。
徹底した美学で「これを聴くべきだ」と羅針盤の役割を果たした『Snoozer』や、海外の最新トレンドをいち早く伝える詳細地図として機能した『CROSSBEAT』。

これらもまた、熱心な読者に支えられた「地図」でした。
ですが、『Snoozer』が2011年に終刊し、『CROSSBEAT』も2013年に「月刊誌としては」休刊へ移行したことは、ひとつの時代の区切りを象徴しているように思えます。

2)ネットで“権威”が薄まった頃(2000年代〜)

私自身の実感としても、この変化は鮮烈でした。
90年代後半、ようやくパソコンを手に入れた私は、通信料が高かったので、夜な夜なネットの海で必死に情報をかき集め始めました。
すると、次第に雑誌を買わなくなっていきました。立ち読みはしていましたが、「買う」理由が薄れてしまったのです。

「編集長が見つけてくるもの」を待たなくてもよくなったからでしょう。

ネットが普及し、情報の非対称性が崩れました。海外情報も音源も、個人で直接取りにいけます。

同時に、雑誌という器そのものが弱くなっていきます。国立国会図書館の解説でも、雑誌市場が1996年ピークから縮小してきたことが整理されています。

知らないうちにどんどん休刊

ここから起きた変化は、「全部がPR誌になった」みたいな単純な断絶というより、もっと地味で現実的です。

売上が落ちる。広告の環境も変わる。
すると媒体は、生き残るために広告・タイアップ・露出と折り合いをつけざるを得なくなります。実際、広告費資料でも、出版社・雑誌編集部によるタイアップコンテンツのSNS二次展開や、広告主へのオリジナル企画提供の増加といった動きが記述されています。

この状況下では、批評(切る)より、紹介(載せる)へ重心が移りやすいのです。
「すべてがPR化した」と言い切るより、肯定形が安全で便利になりやすい構造が強まった、と捉えるほうが現実に近いと思います。

そして追い打ちが、ブログとSNSです。
「評論家」よりも、「自分と趣味が近い誰か」の口コミのほうが信用されます。
ここでメディアは、導く者というより、話題を追認する者になりやすくなりました。


3)おすすめ欄が“空気”になった頃(2010年代後半〜現在)

サブスクとおすすめアルゴリズムは、決定的でした。

昔は雑誌という地図を持ってレコード屋へ行きました。
いまはYouTubeやSpotifyが、あなたが好きそうな曲を運んできます。
おすすめは「新しいコンテンツやクリエイターを見つける助けになる」と、プラットフォーム側も説明しています。

ただ、便利さがそのまま「未知の増加」を意味するわけでもありません。
確かにロングテール(知られざる曲)へ光が当たる側面もありますが、同時に「人気曲への集中」も加速させる二律背反(トレードオフ)があるのです。

Spotify上の分析を含む研究では、推薦由来の聴取が消費多様性の低下と関連しうる、という示唆も出ています。
常に狭める、というより、最適化が進むほど意外性が薄まる局面がありうる、くらいの感触が近いです。

もう一つは、文脈です。
曲がプレイリストの一部として断片化されると、
「誰が、どんな時代背景で、どんな意図で作ったか」というライナーノーツ的な情報は、標準体験の中心から外れがちになります。
もちろん記事も動画もあります。でも「まず鳴る」のが、文脈ではなく“次の曲”になった。この体験の差は大きいです。

そして、もう一つ。“推し”の密着化です。
推し活をめぐる研究では、推し(ヒト)を対象にした心理的所有感などが扱われています。
音楽がアイデンティティに近い場所で消費される場では、批評が作品評価ではなく、関係性(自分への否定)として受け取られやすいのです。

結果として、場によっては「肯定か沈黙か」に近い規範が働くこともある——そんな空気が生まれやすくなります。


補遺:いまの「レーダー」(国内+海外/廃刊も含めて)

雑誌が消えたわけではありません。役割が分散しただけです。
いまの“入口”は、だいたい次のあたりに散っています。

A)国内:批評・文脈/配信・記事/ニュースの分散

・批評/文脈寄り(雑誌+Web)
『ミュージック・マガジン』は、1969年の創刊から現在まで続く月刊誌です。Web全盛の時代にあっても、個人の署名による採点(クロス・レヴュー)を維持し、紙媒体としての批評の軸を担っています。

『ele-king』は1995年創刊の音楽雑誌で、現在はPヴァイン発行、編集長は野田努氏とされています。Web版での発信に加え、紙の雑誌も刊行し、批評的なスタンスを維持しています。

・配信+記事(掘る人の実用導線)
OTOTOYは「音楽配信コミュニティサイト」の運営等を掲げています。

・大手流通・店舗の“音楽ガイド”
Mikikiは「タワーレコードが運営する音楽ガイドメディア」と自己紹介しています。

・ニュース型(速度と可視性)
ナタリーやSkream!のように、運営会社の事業として媒体運営が示されているニュース型メディアもあります。

B)海外:生き残っている“地図”もある(ただし形は変わりました)

たとえば英国のThe Wireは、1982年創刊であること、そして独立系運営の来歴が確認できます。

ウェブ世代の代表格としてPitchforkは、2015年にCondé Nastに買収され、媒体としての形を変えながら続いています。
ただし近年は統合・レイオフ報道などもあり、ウェブ媒体も安泰ではない、という現実も同時に見えます。

C)海外の“名物地図”も、紙は終わっています(廃刊/紙の終了)

ここが、いちばん「地図→空気」の実感に直結します。海外でも、かつて“地図の中心”だった雑誌が、紙を畳む/統合される/一度消える、ということが起きています。

NMEのプリント版終了、Qの終刊、Melody MakerのNME統合、SPINの印刷版終了(と、その後のプリント復帰の動き)。
……こういう出来事を並べると、「日本だけが変わった」というより、“地図の媒体”が世界的に弱まり、役割が散ったと見るほうが自然かもしれません。


プラットフォーム内メディア(編集部が“掘る”)

Bandcampは「アーティストとファンを直接つなぎ、ファンが直接支援できるように作った」と説明しています。
そしてBandcamp Dailyのような編集(紹介)も含め、プラットフォームの中に“掘る”導線が組まれています。(もっとも、そのBandcampでさえ近年の買収やレイオフで編集・人員が大きく削られたことが報じられており、企業の論理の波からは逃れられていませんが)。

要するに、「雑誌の代替」が一つ生まれたのではなく、批評・紹介・ニュース・コミュニティが別々の場所へ散ったのです。だから読者側が「どの機能をどこで補うか」を選ぶ時代になりました。


付記:ミュージシャン側はどう変わったか

発信手段は増えました。これは間違いなく増えました。YouTubeもBandcampも、発見と支援の導線があります。

でも、その分「変えてやる」が見えにくくなった気もします。

昔のカウンターは、敵が分かりやすかったです。テレビ、巨大レーベル、雑誌の序列。
いまの相手は、アルゴリズムや指標や空気に分散しています。中心が見えないから、反抗も局所化して見えにくい。
だから「気概が減った」というより、カウンターの形が小さく分散し、可視化されにくくなった——この言い方のほうがしっくりきます。


まとめ:それでも森に入る

かつての「カウンターとしての音楽メディア」は、役割を終えたのかもしれません。
それは誰かが悪いというより、便利さと共感を選び取った結果であり、市場の縮小という構造条件もそれを押しました。

でも、推薦が万能なわけでもありません。

だから、YouTubeやBandcampという“海”で、自分の足で音を漁り、偶然の出会いごと掘り上げていく。アルゴリズムとは別のルートで直接探索するのも、やっぱり良いものです。

便利すぎる時代に、あえて泥臭く森に入る。
それは、いまでは贅沢な遊びになっている気がします。

批評が消えたのではありません。
おすすめ欄という空気に慣れすぎて、私たちが、自分から批評に近づかなくなっただけなのかもしれません。

参考文献・参照先(まとめ)

※本文の検証用にまとめています。気になる方だけどうぞ。

国内(雑誌史・媒体情報)

市場・広告(雑誌市場縮小/タイアップ等)

レコメンド/研究

国内の“いまの入口”(公式)

海外(生存・買収・紙の終了)

プラットフォーム(Bandcamp)

いいなと思ったら応援しよう!

GNYO2さん ありがとうございます。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!