心配ごとに、店じまいの時間を決める
「対象別・学びの階段」、第2回。
前回は、スコット・アランさんの『感謝の習慣』を取り上げた。心が動くことから始めよう、という話だった。今回は、その裏側にある「不安」の話をしたい。若手のうちに、いちばん覚えておいてよかったと思うのが、この「心配との付き合い方」だからだ。
選んだのは、デール・カーネギーさんの『道は開ける』。原題は、そのものずばり「どうやって悩むのをやめて、生きはじめるか」。古い本だけれど、若い人にこそ、一度は渡したい。
正直に言うと、私は不安の強い人間だった。
就職氷河期に社会へ出て、この先どうなるのか、まるで見当がつかなかった。将来が怖くて、父の背中を見ながら、なかば逃げるように税理士の勉強を始めた。ところが、いざ働きはじめてみると、最初に配属された国際税務の部署が、事件で解体されてしまい、一日に三十分も仕事がない日が、しばらく続いた。まわりが忙しく立ち働くなかで、自分だけがぽつんと取り残され、存在意義がわからなくなっていく。あのころ私の頭の中は、いつも「明日」でいっぱいだった。まだ起きてもいないことを、先回りして怖がっていたのだ。
この本の芯は、たった一行に集約されている。「今日、一日の区切りで生きよ」。
カーネギーさんは、船にたとえる。ボタン一つで、前と後ろの防水壁をぴたりと閉ざすように、過ぎた昨日と、まだ来ない明日を、ぎゅっと閉め出してしまう。そして、今日という区切りの中だけを、精一杯に生きる。砂時計の比喩も出てくる。上にどれだけ砂があっても、くびれを通れるのは、一度に一粒だけ。私たちにできるのも、いつだって、目の前の一つだけなのだ。
もう一つ、当時の自分に刺さっただろう言葉がある。「明日のことは配慮すべきだが、心配するには及ばない」。
配慮と、心配。似ているようで、まるでちがう。配慮は、計画し、準備すること。心配は、ただ、まだ来ないものを怖がること。前者は手が動くけれど、後者は、心をすり減らすだけで、一ミリも前に進まない。あのころの私に足りなかったのは、まさにこの線引きだった。
だから、若いあなたに伝えたい。
「同期はもう成果を出している」「そもそも、この仕事は自分に合っているのか」――若いうちの不安は、たいてい、まだ来ていない未来の話だ。そして未来は、どれだけにらんでも、今日は動かせない。動かせるのは、今日の分だけ。それでいい。
カーネギーさんは、もっと具体的な道具も授けてくれる。一つは、最悪の事態をあらかじめ想定して、それを受け入れてしまうこと。「最悪でも、まあ、なんとかなる」と腹をくくると、不思議と、そこから先は落ち着いて手が打てる。もう一つは、悩みに"損切りライン"を決めること。私は投資もするのだけれど、株の損切りと同じで、「この件で悩むのは、ここまで」と、あらかじめ線を引いておく。この発想は、ずいぶん心を軽くしてくれる。
以前、あるお客さんの会社に、将来が不安で眠れない、という若い社員がいた。話をよく聞いてみると、悩みの九割は、「まだ起きていないこと」だった。そこで、一緒に紙を一枚広げて、頭の中の不安を、ぜんぶ書き出してもらった。そして、「今日、手を打てること」と「考えても、どうにもならないこと」の二つに、仕分けをした。
それだけで、その人の顔つきが変わった。不安というのは、頭の中で渦を巻いているうちは、実物より何倍も大きく見える。けれど、紙の上に引きずり出すと、案外、小さいのだ。
だから、明日からの一歩は、これにしたい。
今夜、もし不安で頭がいっぱいになったら、紙を一枚だけ出して、二つに分けてみてほしい。「今日、手を打てること」と、「考えても、どうにもならないこと」。前者は、明日、手をつける。後者は――今日はもう、店じまいだ。心配ごとにも、閉店の時間を決めてしまっていい。
香山晶さんの訳は少し古風だけれど、そのぶん言葉に重みがある。一日の区切りで生きる。それを、ただ繰り返していく。かつて、一日に三十分も仕事がなかった私が言うのだから、たぶん、間違いない。道は、そうやって、少しずつ開けていく。
――「対象別・学びの階段」第2回。次回は、若手の自己理解の入口として、「まだ、できないだけ」と思える一冊を取り上げます。
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