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できない、の後ろに「まだ」をつける

「対象別・学びの階段」、第3回。

前回は、不安との付き合い方(『道は開ける』)だった。今回は、その不安の、もう一段深いところにある思い込み――「自分は、できない人間なのかもしれない」という感覚の話をしたい。取り上げるのは、キャロル・S・ドゥエックさんの『マインドセット「やればできる!」の研究』だ。

正直に言うと、私は社会人の入口で、この思い込みに、どっぷりはまっていた。

税理士事務所でミスを連発したとき、私はそれを「自分は仕事ができない人間だ」という、もう動かせない事実のように受け取っていた。学生時代のマクドナルドで、オペレーションがなかなか覚えられなかったときも同じだ。「向いていない=もう変わらない」と、勝手に石版に刻んでしまっていた。

ドゥエックさんは、人の心の持ち方を、二つに分ける。一つは「硬直マインドセット」。能力は石版に刻まれたように変わらない、という信じ方。もう一つは「しなやかマインドセット」。能力は、努力しだいで伸ばせる、という信じ方だ。

面白いのは、どちらが科学的に正しいか、という話ではなく、「どちらを信じているか」で、その人の未来が実際に変わってしまう、という点だ。

硬直マインドセットの人は、失敗を極端に恐れる。失敗が、そのまま「能力がない証拠」になってしまうからだ。だから、うまくできるとわかっていることばかりを選び、挑戦を避ける。ほめられ方も、地味に効いてくる。「頭がいいね」「才能があるね」と、能力をほめられて育つと、人はかえって、ボロを出すのが怖くなり、挑戦しなくなる。ドゥエックさんの実験では、能力をほめられた子どもたちは、難しい問題を避け、あげくに点数までごまかすようになったという。

しなやかマインドセットの人は、逆だ。うまくいかないときこそ、粘る。難しい課題を、「これは難しくて、面白い」と受け取れる。そして――ここがいちばん大事だと思うのだけれど――しなやかな人は、必ずしも自信を必要としない。得意でなくても、うまくやれる保証がなくても、わりと気楽に、飛び込んでいける。

新入社員のあなたに、いちばん渡したいのは、この一点だ。

最初の一年、あなたはたくさんの「できない」に出会う。そのとき、その「できない」を、動かせない事実にしないでほしい。ただ、後ろに小さく「まだ」をつけるだけでいい。「できない」ではなく、「まだ、できない」。それだけで、同じ出来事が、断罪ではなく、途中経過に変わる。

この本に、ジミーという無気力な生徒の話が出てくる。しなやかマインドセットの説明を聞いていた彼が、突然、目に涙を浮かべてこう言うのだ。「ぼくはバカだと決まったわけじゃないんだね」。その日から、ジミーはがらりと変わっていく。決まっている、と思っていたものが、じつは決まっていなかった。それに気づくだけで、人は、また動き出せる。

私にも、ずいぶん遅れて、似た瞬間があった。長いあいだ恥じていた自分の内向的な性格を、あるとき、客観的な指標を通して「これは、隠すべき弱みではなく、強みにできる持ち味だ」と捉え直せたのだ。性格そのものが変わったわけではない。ただ、それを、刻まれた欠陥としてではなく、伸ばせるものとして見られるようになった。見方が変わっただけで、世界の色が変わった。

一つ、実践的な注意も添えておきたい。いま子育てをしている身として、これは自分にも耳の痛い話だ。人をほめるときは、「能力」ではなく「努力やプロセス」をほめるほうがいい。「頭がいいね」ではなく、「よく粘ったね」。相手が部下でも、後輩でも、同じだ。能力をほめると、相手をそっと硬直マインドセットへ追い込んでしまう。よかれと思ったひと言が、逆に働くことがある。

そして、同じ言葉を、自分自身にもかけてやりたい。うまくいった日は「頭がいいから」ではなく「今日はよく踏ん張った」。うまくいかない日は「向いていない」ではなく、「まだ、できない。だから、ここからだ」と。

今西康子さんの訳は読みやすく、事例も豊富だ。新入社員のうちに、いや、何歳になってからでも遅くはない。「できない」の後ろに、そっと「まだ」を書き足す。たった二文字だけれど、これが、学びつづける人と、そこで止まってしまう人の、最初の分かれ道になる。

かつて、自分を「できない人間」だと石版に刻んでいた私が言うのだから、たぶん、間違いない。あれは、事実ではなかった。ただの、いくらでも書き換えられる下書きだった。

――「対象別・学びの階段」第3回。次回は、その「まだ」を、自分の強みの側から捉え直す一冊を取り上げます。

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