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その荷物は、あなたのものじゃない

「対象別・学びの階段」、第11回。

応用編も、なかばに来た。ここまで、自己管理・考える力・アウトプットと、いわば"攻め"の武器を渡してきた。今日は、少し毛色を変えて、心を軽くするための一冊。岸見一郎さんと古賀史健さんの『嫌われる勇気』。アドラー心理学を、哲人と青年の対話でひもとく、あの本だ。

この本は、思いきった一言から始まる。「すべての悩みは、対人関係の悩みである」。アドラーさんの言葉だ。仕事の悩みも、突き詰めれば、たいてい、上司や同僚やお客さんとの関係に行き着く。たしかに、そうかもしれない。

そして、その対人関係の悩みを、ふっと軽くしてくれるのが、この本のいちばん有名な考え方――「課題の分離」だ。

やり方は、シンプルだ。何かに悩んだとき、「これは、いったい誰の課題か?」と問う。見分け方も明快で、「その選択の結果を、最終的に引き受けるのは誰か」を考えればいい。

たとえば、あなたが精一杯やった仕事を、上司がどう評価するか。同僚が、あなたをどう思うか。――じつは、これらは全部、「相手の課題」だ。あなたにできるのは、自分の最善を尽くすところまで。それをどう受け取るかは、相手が決めることで、あなたには、どうにもできない。アドラーさんは、こう言う。「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」。

この考え方の裏には、もう一つ、大事な主張がある。「承認欲求を、否定する」ことだ。他者の期待を満たすために、生きるな、と。人に好かれよう、認められよう、とばかりしていると、私たちはいつのまにか、他人の人生を生きることになってしまう。だからこそ、あのタイトルにつながる。他者の評価を気にせず、自分の課題を生きようとすれば、ときに、人から嫌われることもある。でも、その「嫌われる可能性」を引き受けることこそが、自由に生きるということなのだ、と。

じつは、若いころの私は、この「承認欲求」の 塊 のような人間だった。

前にも書いたけれど、私は内向的で、本当の自分を出すのが怖かった。だから、まわりにどう思われるかばかりを気にして、表面をうまく取り繕っては、へとへとに疲れていた。あれはいま思えば、他人の課題(=人が自分をどう見るか)を、勝手に自分の背中に、しょい込んでいたのだと思う。自分では、どうにもできないものを、ずっと抱えていたのだから、そりゃあ、重かったわけだ。

社員のあなたにも、きっと、同じような場面が来る。よかれと思ってやったのに、評価されない。あの人に、嫌われたかもしれない。そんなとき、一度、こう問い直してほしい。「これは、自分がコントロールできる、自分の課題だろうか。それとも、相手が決める、相手の課題だろうか」と。

自分の課題――準備、態度、誠実さ――には、全力を尽くす。でも、その先の、相手がどう受け取るかは、そっと、相手に返す。この一本の線を引けるだけで、心は、驚くほど軽くなる。

ここで、一つだけ、誤解しないでほしいことがある。課題の分離は、「他人なんて知らない」と、冷たく切り捨てることではない。むしろ、逆だ。相手の課題に土足で踏み込まないのは、相手を、一人の人間として尊重する、ということでもある。そしてアドラーさんは、これはゴールではなく、あくまで良い関係への"入口"だと言う。課題を分けて、余計な重荷を下ろした、その先で、初めて、人は、素直に人へ貢献できるようになる。

私の仕事でも、これは、いつも肝に銘じている。どれだけ良い提案をしても、それを実行するかどうかは、最後は、お客さん自身の課題だ。そこに、私は、踏み込めない。でも、「伝わるように、心を尽くす」ことは、まぎれもなく、私の課題だ。だから私は、自分の課題のほうに、集中する。結果を握りしめて焦るより、そのほうが、ずっと誠実に、長く伴走できる。

この本を読むと、肩のあたりが、少し軽くなる。ずっと背負っていた重い荷物が、じつは、自分のものではなかったと、気づくからだ。

だから、明日、誰かの評価が気になって、胸が重くなったら、心の中で、そっと問いかけてほしい。「その荷物は、本当に、あなたのものですか」と。もし違うなら、それは、静かに下ろしていい。両手が空けば、私たちは、もっと自由に、もっと軽やかに、目の前の一歩を踏み出せる。

――「対象別・学びの階段」第11回。次回は、その空いた両手とエネルギーを、どこに集中させるか――「選択と集中」の一冊を取り上げます。

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