「反応」と「意見」は、違う
「対象別・学びの階段」、第7回。土台編の、最後の一冊になる。
ここまで、感謝・不安・成長・強み・関心・傾聴と、「自分を整え、人とつながる」土台を積んできた。締めくくりに置きたいのは、その土台の上で、「自分の意見を持って、立つ」という話だ。取り上げるのは、ちきりんさんの『自分の意見で生きていこう』。
ちきりんさんは、世の中の問題を、まず二つに分ける。「正解のある問題」と「正解のない問題」だ。
正解のある問題は、調べればいい。答えは、一つに決まっている。一方、転職すべきか、この会社に残るべきか、あの人と組むべきか――人生や仕事の大事な場面で出会う問いには、たいてい、正解がない。そして、正解のない問題に必要なのは、「調べること」ではなく、「自分の意見を持つこと」だ。
ここで、ちきりんさんは、鋭い区別をする。「意見」と「反応」は、違う、と。
たとえば、あるニュースに「ひどいね」「すごいね」と言う。会議で誰かの案に「いいと思います」と言う。これは、じつは意見ではなく、ただの「反応」であることが多い。反応は、その場でぱっと出てくる感想だ。一方、意見とは、「自分だったら、どうするか」「賛成か、反対か」を、はっきり決めて、ポジションを取ることをいう。
これを読んで、私は、若いころの自分を思い出して、少し痛かった。
社会に出たばかりのころ、私はよく、意見を持っているつもりで、じつは反応しかしていなかった。会議では、当たり障りのないことを言って、その場をうまく取り繕う。強い意見を言って、間違えたり、嫌われたりするのが、怖かったのだ。前に書いたとおり、私は不安の強い人間だったから、「自分の立場を決める」こと自体を、無意識に避けていたのだと思う。
でも、正解のない問題の前に、いつまでも「どちらとも言えません」と立ち続けていると、人生は、少しずつ、他人の決めた方向へ流されていく。
ちきりんさんは、はっきり言う。正解のない問題には、「正しい意見」も「間違った意見」も存在しない。あるのは、「私の意見」と「あなたの意見」だけだ、と。だとしたら、間違いを恐れて意見を言わないのは、じつは、もったいない。そもそも、間違いなんてないのだから。堂々と、自分のポジションを取っていい。
新入社員のあなたに、伝えたい。若いうちは、知識も経験も足りない。だから「まだ意見なんて、持てるわけがない」と感じるかもしれない。でも、意見を持つのに、専門家である必要はない。「私は、こう思う。なぜなら――」と、自分なりの理由を添えて、立場を決める。それだけで、あなたは「反応する人」から「意見を持つ人」へ、変わりはじめる。
大事なのは、正しさではなく、ポジションを取る勇気のほうだ。もちろん、意見は、変えていい。新しい事実を知ったら、堂々と変えればいい。ちきりんさんも、意見と、事実や知識とは、分けて考えろと言う。意見を変えることは、負けではない。むしろ、考え続けている証拠だ。
だから、明日から、一つ試してほしい。ニュースでも、会議の議題でも、何か目にしたら、心の中で「で、自分はどう思う?」と、必ず一度、自問すること。そして、できれば「賛成」か「反対」か、いったん、どちらかに振り切ってみる。曖昧なまま、流さない。この小さな習慣が、あなたの「意見の筋肉」を、少しずつ育てていく。
これで、土台編は一区切りだ。感謝から始まって、不安と付き合い、「まだ」で自分を励まし、強みを知り、人に関心を持ち、深く聴き、そして――自分の意見で、立つ。ここまでが、社会人としての「足場」だと、私は思う。
足場ができたら、次は、その足で歩き出す番だ。次回からは「応用編」。自分の仕事で、どう価値を出していくか。その最初の一冊へ、進みたい。
かつて、意見を言うのが怖かった私が言うのだから、たぶん、間違いない。あなたの意見は、正しくなくていい。ただ、それが、ちゃんとあなたのものであれば、それでいい。
――「対象別・学びの階段」第7回(土台編・完)。次回から、応用編に入ります。
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