サンバのリズムを知ってるかい
前回のあらすじ;
パラグアイを抜けてブラジルへ入国しました。
現在地;ブラジル
「サンバのリズムを知ってるかい」
───ココリコ遠藤章造から人類に対して課されたこの問いは、僕たちの祖先が有史以来数千年にわたって向き合い続けてきた至上の命題であり、人間の存在する意味や本質を探求する形而上学と並んで哲学の一分野として数えられます。
あなたはサンバのリズムを知っていますか?
僕は知っています。
白いブリーフ一丁でピョンピョン飛び跳ねながら自分のほっぺを叩いてホホホイホホホイって言うやつですよね。「マツケン」とかいうキラキラのおじちゃんがオーレーオーレー踊っているのも見たことがあります。
世の中には色々なサンバのリズムがあるみたいですね。

ブラジルはサンバ大国だという噂を耳にしたことがあります。
この時点ではサンバ大国であるらしいことと、ネイマールはサッカーがめちゃくちゃ上手いということしかブラジルに関する情報がありません。
まだ聞いたことのないサンバのリズムに迫るべくブラジルの入国ゲートをくぐりました。
まだじわっと残る南半球の暑さが、人々の身体の内でくすぶる熱気によるものなのではないかと疑うような、そんな5月はじめのことでした。

パラグアイとの国境の街、フォズドイグアスです。
道ゆく人たちはみんな身体が大きくて、だいたいみんなどこかにがっつりタトゥーが入っているような、雰囲気でいうとグランドセフトオートみたいな街です。
サンバの香りしかしません。
世界最大のサイズを誇るイグアスの滝は世界遺産にも登録されており、ここフォズドイグアスがブラジル側の観光の拠点となっています。

おや、、、?
取っ手が取り外せるタイプのフライパンの取っ手だけが歩道に落ちていました。
サンバに関するなにか示唆的なものを感じます。
これはサンバに辿り着くための重大な手掛かりかもしれない…と迷わずシャッターを切りましたが、結論を言うと全然なんの手がかりでもなかったので、今は何の役にも立たない取っ手の写真が画像フォルダを少しだけ圧迫しているという状況です。この記事を書いた後に削除しようと思います。

物価感を確認するためにスーパーに来ました。
街の様子をこれまでの南米の国と比較するととても先進国の雰囲気なんですが、全体的に思っていたほど物価は高くないです。
ビールも安い銘柄の473ml缶で120円くらい。
勝ちを確信した瞬間でした。
非常にサンバです。

あとは冷凍食品の種類がとても豊富。
フライドポテトや肉魚をそのまま冷凍しましたみたいな冷凍販売コーナーは大体どの国にもあるんですが、レンジでチンしたらそのまま料理が出来上がっちゃいます系の冷凍食品はとても久々に見た気がします。
相場感は日本と同じぐらいかちょっと高めですが、自炊するより時短にもなるし、宿に泊まったときはちょこちょこお世話になってました。
サンバサンバ。(いや、「感謝感謝」みたいに〜!)

先ほど少し触れたイグアスの滝までやって来ました。厳密に言うとイグアスの滝があるイグアス国立公園の入場口です。
事前にネットで時間制の入場チケットを予約して、フォズドイグアスの街のバスターミナルからそれっぽいバスに乗り込んで、そこからは1時間弱の道のりです。
入場チケットは134レアル(4230円)、バスは片道5レアル(160円)でした。
そういえばブラジルに入ってからは言葉がこれまで使っていたスペイン語からポルトガル語に変わりました。
パラグアイで会った人たちにこれからブラジルに向かうことを伝えると、大体みんな「ポルトガル語はスペイン語と似てるから意外と結構イケるよ!」なんて言ってたんですが、実際に来てみてびっくり、マジでなんも聞き取れません。ここまでスペイン語の挨拶や会話にようやく少し慣れてきたというのに、一気にそれが崩れ去った感じがしました。
数字とか名詞の一部とか、確かにスペイン語に似ている部分はあります。それでも体感でいうとポルトガル語全体の15%くらいな気がします。
いくらマナとカナが双子で似ているとはいえ、マナにはマナの思いや正義があって、カナにはカナなりのサンバがあるみたいな、たぶんそういうことなんだと思います。完全に似て非なるものです。

国立公園の入り口からイグアスの滝までは無料の園内シャトルバスで向かいます。
もう人がわんさかいて、シャトルバスの待機列には1時間半ほど並びました。
この時点で、「人がたくさんいる観光地およびテーマパークを愛せないの会」の代表理事である僕のテンションはダダ下がり。くっそ暑いし。

ただ、ここで痛烈にサンバを感じる出来事がありました。
そばにあったカフェテリアにはDJのターンテーブルが設置されていて、専属のDJが次々と繋ぐ小気味の良いグッドミュージックが待機列にも心地良いボリュームで聴こえてくるような状況だったんですね。
それに合わせてさりげなく各々のステップを踏む人達。
右を見れば恋人の腰に手を回しながら、左を見れば無邪気にはしゃぐ小さい息子をあやしながら、前に並ぶ家族は他愛もない会話を楽しみながら、それぞれがそれぞれのタイミングで小刻みに揺れ動き出し、それが自然に収束していき、そしてまたおもむろに次のステップを踏み出す、そんな光景を目の当たりにしてしまったのです。
俺でなきゃ見逃しちゃうくらいナチュラルで、なおかつ彼らの日常に馴染んだそれは、ステップというよりもはや「営み」という表現の方が相応しいものでした。

彼らはもはや「サンバのリズムを知っている」という次元の世界には生きていません。
サンバのリズムを己の内に宿しているのです。
一方でこの僕はどうか。
彼らがあたかも呼吸をするかの如くステップを踏むように、僕は白いブリーフ一丁でピョンピョン飛び跳ねながら自分のほっぺを叩いてホホホイホホホイ言ったり、キラキラしながらオーレーオーレー踊ったりするだろうか。
いや、しない。
僕がサンバだと信じて疑わなかったそれらは、もしかするとサンバではなかったのかもしれない。
世界がひっくり返った様な衝撃を受けました。
僕の中で何かがガラガラと崩れていく音が聞こえました。

そこからはもうあまり記憶がありません。
頭の中はサンバのことでいっぱいでした。

目の前に広がる壮大な景色も、轟々と音を鳴らしながら落ちていく水の音も、なにか分厚い透明な膜を通して鈍く知覚しているような、そんな感覚でした。

サンバのリズムを己の内に宿して知り尽くし、サンバを愛し、そしてサンバに愛された彼ら。
"サンバもどき"をサンバだと盲信して止まず、今になって現実を突き付けられた僕。
その間には、光でも届かないような果てしない距離があります。

滝壺には虹が架かっていました。
まだじわっと残る南半球の暑さが、人々の身体の内でくすぶるサンバによるものなのではないかと疑うような、そんな5月はじめのことでした。
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