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ゲーム音楽におけるメロディの力(3/3)

この章のまとめ

この章ではメロディとインタラクティブミュージックの相性を考え、またメロディ以外にゲームへの没入を邪魔する要素を整理した上で、日本の音楽の武器とも言えるメロディを今後どう活かしていくのがいいか、そのために何を学び磨いていく必要があるのか考察します。

メロディとインタラクティブミュージック

「インタラクティブミュージックって何?」という人はgeekdrumsさんのnoteを読み漁るのがオススメです。

いかに優れたインタラクティブ演出をしたとしても肝心の楽曲そのものがゲームにフィットしていなければ音楽は浮いたままになります。そしてゲームにおいてBGMをインタラクティブに制御する際強いメロディは時に大きな問題を引き起こします。

強いメロディの傾向として

・長い(数小節にまたがる)
・頻繁なコードチェンジを含む
・複雑なリズムで構成される
・音色的に目立つ

といったものがある一方、よくあるインタラクティブミュージックの性質の一つとしてゲームの状況に即応した突発的な遷移が挙げられるため、強いメロディが楽曲を牽引している状況においては遷移が縦であろうと横であろう不自然になりがちです。

雰囲気的な音楽(パッド、ドローン、オスティナートによる組み立て)であれば毎拍遷移可能かもしれませんが、テーマ的な楽曲の場合違和感なく切り替えられるポイントは8〜16小節に1度しか訪れないことも多いでしょう。古い例ですがFF6の妖星乱舞は1ループに1度しか遷移タイミングを持たないため、即応性は低いですが必ず自然に繋がるようになっていました。

強いメロディを使うのであれば即時性の高い演出が必要とされない部分(OP、ED、カットシーンなどのアウトゲーム)で使う方が安全に高い効果を発揮するでしょう。

勿論効果音やボイスがマスクしてくれる瞬間であればかなり強引に遷移してもバレないので、ゲームのサウンドデザインがトータルでどうなっているかによって使える音楽演出も左右されます。

メロディとインタラクティブミュージックその2

インタラクティブミュージックの目的はゲームの状況や進行に応じて楽曲を自然に繋げることだけではなく、楽曲にバリエーションを持たせてループ感を緩和したり偶然的に面白い音楽が生み出すことも重要です。縦遷移や横遷移を駆使してリニアではない制御をすることで楽曲は毎回違った表情を見せるようになります。

ところが、強いメロディは文脈を持っているためリニアに再生しないと音楽的におかしなことになります。なので、セグメントを切り分けてランダムの順番で再生するような手法との相性は悪いです。

人間の歌/声が入るとどうなるか

ここまではメロディの強力さを議論してきましたが人間の声は更に強力で、特にソロの歌声はゲーム内のボイスをダイレクトにマスクし声優さん、俳優さんの演技を台無しにする力を秘めているため非常に思慮深く使う必要があります。例外はあるでしょうが、歌声を上手く利用した作品では声の演技が無いところを狙って歌が入ってきます。またほっと一息つけるタイミング、集中を切っても大丈夫なポイントで差し込まれます。なんなら効果音も止まります。

アレンジ、録音、ミックス上のハイミッドの情報量

アレンジ上のハイミッドの情報量もメロディと同様に音の演出に対して支配的な役割を持っています。例えば映画館で予告編を見ている時にハリウッドの大作映画から邦画に切り替わった瞬間急に音が軽くなったという経験をされることがよくあると思います。これは録音、ミックスの差によるところが大きいのは勿論のこと、楽曲のアレンジ上の周波数特性の差も大いに関係していると思います。メロディの使い方が上手くなれば自ずとハイミッドの情報が減って効果音、ボイスが聴こえやすい音楽になります。

強奏であればあるほど一般的にハイミッドの量は増えます。BGMが主張すべきで無いタイミングで十分に弱く演奏されていない楽曲が再生されているとそれだけで集中の妨げになります。ただマップを歩いているだけなのにストリングスがffで深いビブラートをかけながら細かいメロディを奏でていたらちょっと変ですよね。

更にハイミッドの情報量はBPMでも変わります。BPMが上がれば上がるほど単位時間あたりの音符の数は増えハイミッドの密度が増します。また演奏難度も上がっていくため不自然な演奏が増えます。ゲームが求めるテンポと楽曲が音楽的になるテンポが一致しない場合、何らかの形で演出に不和が生じます。

ユーザーの受け止め方の違い

前パートでも触れましたが、楽曲がゲームに対して過剰に支配的になったとしてもそれを忌避する人ばかりではありません。

鳴っていることが分かりやすく(recognizable)覚えやすい(memorable)メロディはゲームの中で繰り返し感を強調するので避けるべきだという西洋的な考え方と、何回聴いても飽きないようなメロディを作ってそれを繰り返し聴くこと自体をゲームとは別に楽しんでもらうというアジア的な考え方がゲーム業界には同時に存在しています。

パート2でも触れたように日本は歴史的に音楽がゲームを全て説明する期間が長くユーザーもそれに慣れているため、ゲームは持っていないけどサントラは持っているなんて人が現れたり、1つのタイトルだけで2時間のコンサートを開催することが出来たりします。音楽を目的にゲームを遊ぶ、音楽がきっかけでゲームを知るという逆転現象が起きているのです。

この差は果たして優劣に直結するものでしょうか? 勿論そうではありません。文化や歴史の違いによる部分も大きいですが、それ以上に日本のゲームと西洋のゲームの違いが影響しているように感じます。

日本的ゲームと西洋的ゲームの根本的な違い

乱暴に定義すると日本におけるゲーム制作は言い換えるとルール作りで、西洋のゲームは箱庭と物語です。ここを見誤ると音楽演出だけでなくゲーム制作全般で問題が生じることになります。

もう少し詳しく解説すると、日本のゲームはコントローラを触った時に何が起きるか、アイテムやステータスの数値を組み合わせた時にゲーム内でどう有利になるかと言ったルールに対して操作能力や知恵で挑むのが主目的で、そこに演出やストーリーが従属的に付随します。だからこそ多くのゲームが複雑なボタン操作を要求したり複雑な成長システム、アイテムの属性と組み合わせを提供するのです。

なので極論を言うとクラシカルな日本的ゲームにおける音楽(とりわけインゲーム)はワークアウトBGMです。好きな音楽、集中できる音楽を聴きながらゲームに取り組むためのものだから、単体でも成立し繰り返し楽しめるものが主流です。

一方で西洋のゲームはその予算規模に関わらず世界観や演出、物語を非常に重視し、その箱庭の中の一員となって歩き回ること自体を楽しませようとします。

まず強固な世界観設定と物語があり、それを伝えるためのグラフィック、サウンドデザイン、キャラクターが生み出されます。なので、音楽も単体の作品としてどうかではなくある種Diageticだと錯覚するほどその世界に溶け込んでいるかが優先されるのです。

では作曲家はどうすればいいのか

一番大事なのはどんなゲームのためのBGMなのかを理解することです。必要なメロディの強弱や頻度、音の密度は何を重視したゲームなのかによって異なります。西洋的映画的なゲームに90年代JRPGスタイルのメロディが耳にこびりつく曲をつけても違和感しかありませんし、逆に2Dのレトロゲームに空気のようにまばらなサントラが付いていても楽しくないかもしれません。

また、これはメロディやハイミッドの使い方の問題とは別枠で万能に使える考え方なのですがゲーム音楽はゲームオーディオの一部分であることに注目すると、音響表現(空間、距離感、音色、質感)が実は重要であることに気づきます。同じ楽器の音でも適切な距離感から聞こえてくるか、楽曲の中で鳴っている音色は演出にマッチしているのか、演奏の強さや弱さは適切なのかを考えることで、メロディの力に頼らずとも状況に応じて曲の主張を弱めながらゲーム体験を下支えする側に回れるのではないでしょうか。また、強いメロディであってもアレンジやエンジニアリングで耳に届きづらくすることは可能です。実は日本のゲーム音楽はここが一番の泣きどころなのですが長くなるのでここでは省略します。

あともう一つ重要なのが静けさをBGMで表現出来ることです。この場合メロディはあってもなくても良いのですが、鳴っているか鳴っていないか分からないくらいのBGMからそこそこシンプルなアレンジ〜フルアレンジまでの間を段階的に行き来出来るような曲の作りになっていると、曲の鳴らし始めと鳴らし終わりという最も耳が引き寄せられる瞬間をぼかすことが出来ます。ただ、そういう曲は作るのも依頼するのも実装するのも難しかったりします。このあたりはGDCの音楽カテゴリのセッションがヒントになるんじゃないかと思ってます。

このようにゲーム作曲家の仕事はメロディを書くだけだった時代からは大きく様変わりし、より俯瞰的に録音物としての音楽の性質を検討し形にするプロデュース能力が今後より強く求められるようになっていくでしょう。

サウンドチームとして取り組むことの重要性

作曲家が考えることは多いとはいえ、ゲーム開発における作曲家はゲームディレクターやサウンドディレクターのビジョンにそって音楽を形にするツールに過ぎません。だからこそ、ゲームにとってどのタイミングでどんな楽曲が必要なのかの見極めはチーム一丸となって行う必要があります。

サウンドディレクターと作曲家、サウンドプログラマーのビジョンが一致していなければ、どの場面にもハマらない楽曲を量産してしまうことになります。それはさながら決して完成しないジグソーパズルをゲームに押し付けるようなものです。どれだけ柔軟な演出が出来るゲームエンジン、ミドルウェアを用いたとしても作曲家がそれらを用いてゲームをどう演出すべきか理解して曲を書かなければ意味はありません。

まとめ

メロディの機能の整理をしたくて書き始めたのですが、気がつけば演出とそれにまつわる音楽制作全般の話になってしまいました。

ここで強調しておきたいのは、この記事はよくある自国批判&西洋エンタメ礼賛的な主張ではなく日本のゲーム音楽が愛されてきた要因であるメロディを今後も活かすために日本人が何かを学び磨く必要があるのではないかという問題提起です。西洋のゲーム音楽とは文化の差で片付けて良い部分と洗練度の差として認識すべき部分が両方存在することからは逃げられないと僕は思っています。

メロディはゲーム体験を記憶に定着させるほどの強いパワーを秘めているものなので、そのパワーを正しく発揮させるためにメロディを使うことのリスクも同時に考え、メロディが活きる演出とそのための楽曲制作を心がけていきたいものです。そうすれば、ゲーム音楽はよりゲーム体験を豊かにするものに進化していくと思います。

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