特別な国会、中道、竹島と韓国
20日、衆院では天皇陛下をお迎えして特別国会の開会式が行われました。
特別国会の期間は7月17日までの150日間。
多くの難題を放置してきた歴代政権の後始末も多く、国民には今までに無かった”特別な国会”になりそうです。
時代の変わり目に生き、それを見ることが出来る、二度とない幸運です。
「願い事は棒ほど願って針ほど叶う」
国民が願うことが、叶うものもあれば、時間がかるものも、当面は叶わないものも出てくるでしょう。
政治は総て相手があるもの、致し方ありません。
それでもなおも高市ジャパンが快進撃してくれることを期待します。
開会式では髙市首相の施政方針演説もありました。
聞き終えて(録画)感じたことは、ものすごく静かな演説だったことです。
批判と罵倒とヤジしか能が無かった立憲民主党(以下立民)の議員が、衆院から大量に消えたおかげでした。
おかげで議場がキレイで静かになり、髙市首相の施政方針演説でもヤジが消え、静かで真摯(しんし)な本当の国会を久しぶりに見せてもらいました。今まで、あの立民の偽議員たちが、どれほど国会を貶めてきたことか。
あの偽議員たちの「言葉の暴力」、二度と再現させてはならない、と思います。
そして公明と創価の温情と憐みのおかげで、中道の新代表には立民の小川淳也氏がつきました。
しかし小川氏が代表になって中道が勢力を伸ばす、あるいは国会で軸になると思う人は、この世にはいません。
最初から脱線している電車は、目的地どころか、次の駅にさえ行けないのは当たり前です。
でも小川氏は自分が脱線していることさえ気づいていません。
モーターはガンガン回るのですが、電車は1ミリも動きません。
それでもなお、モーターは焼けながら回っています。
焦げる臭いだけが漂っていますが、小川氏は走っている気分そのままです。
彼はいつもこれ、これの繰り返しです。
小川氏に赤を見せてどう思うかと問うと、黒や白や黄色や緑色の話しを交えながら、天気や昼飯の話しも加えて最後に赤かと思ったら青色の話しをして終わります。
赤の話しは・・・どこにいったのでしょうか、待っていたのに・・・。
四次元の世界で生きている奇妙で奇天烈な男なのです、小川淳也氏とは。
組織のトップには向かない男ですが、なあに、あの中道ですから、ぶっ壊れるのは日本のためにはいいことです。
小川氏には頑張ってズルズルと中道のダメっぷりを国中に知らしめ、一日も早く中道をぶっ壊してほしいものです。
ところで警視庁、この中道を何と見たのか、従来は野党第一党の代表にはつけていた身辺警護のためのSPを引き上げてしまいました。
警視庁も限られた人員の中で議員数49人という弱小野党の代表を護る必要はないと決めたようです。
そもそも小川氏を狙うような物好きな者はおりません。
小川氏にSPをつけるのは、壊れて空になっている錆びた金庫に鍵をかけるようなものですから。
そして何もかもが立民から離れていきます。
でも何で離れていくのか、小川氏にも立民の議員にも分かりません。
分かるはずはないのです。
彼らはいつも、自分は正しいと妄想しているからです。
ですから何か起きても総ては他人のせいであり、自分は被害者なのです。
衆院選大惨敗も総て自業自得ですが、左翼リベラリストという”異常な人種”は「責任」という言葉を知りません。
もちろん責任感も責務も職責も自責も重責も引責も知りません。
立民議員は落ちるところまで落ちた、というよりも最初から上がっていないのです。
その上がっていない有象無象たちに票を入れ、議員に仕立てた大支持団体連合の組合員たち。
彼ら彼女たちも上がっていない人々であり、そのメスボスである芳野とも子氏も上がっていなかったのです。
上がっていない者同士が、みんなで”上がったつもり”だったんですね。
国民が苦労させられるのは当たり前でした。

その小川氏は立民の人材不足で衆院の副議長が出せませんでした。
衆院の議長は与党から、副議長は野党からが慣例です。
中道は野党第一党なので副議長を出さなきゃなりません。
でも手を上げる者もなく、要請しても返ってくる言葉はノーばかり。
困った小川氏は公明に泣きつきました。
あの多言居士の小川氏が公明に何と言ったのか、例によって公明と創価の幹部の前で大泣きに泣いたのかもしれません。
そして公明は元代表の石井啓一氏を副議長に送り込みました。
そして問われた小川氏は、こう強弁しました。
「党内融和の一環だ」
ウヒャー 融和が聞いてあきれました。
立民がダメだから公明に頼ったのに。
それを党内融和とは”恐れ入り谷の鬼子母神”です。
まるで”公明に副議長をやらせてやったんだ”と思わせるような言葉でした。
公明に助けてもらった事実が自分でもイヤだったのでしょう。
公明もこんなこと言われては面白くはないはずです。
この小川氏の、公明に敬意も示さず、感謝する気すら感じさせない無礼な言い草。
中道はもう分裂の一本道をひた走りに走っているのではないでしょうか。
もちろん捨てるのは公明創価で、捨てられるのは立民です。
昔の歌謡曲で替え歌にすれば、
♪ ♪ 気まぐれ立民に誠なんかあるものか 捨てちゃえ 捨てちゃえ どうせひろった 立民だもの ♪ ♪
(1991年 「どうせひろった恋だもの」 初代コロムビア・ローズ 野村俊夫(詩)船村徹(曲))

野党は、国会でほぼ総ての委員会の委員長ポストを失いました。
それのみか、予算委では野党の質問時間を削減する案まで自民党から出ているようです。
予算委員会の質問で、モリカケサクラや奈良のシカの話しをするような野党なんか必要ありません。
質問は野党の見せ場ですが、その見せ場でみずから信用と信頼を落としてきた立民というアンポンタンとマヌケの集団。
野党の質問時間削減には大賛成です。
どうせ中道の立民のやることは批判と罵りとヤジだけですし。
そもそも中道での立民の議員が21人では、国会で質問すること自体が難行苦行です。
相手は巨大与党、なのにこれでまたモリカケサクラを出すと誰かが言ってました。
時間も手間も人手も税金も全て無駄。
正気でしょうか、立民議員はもう狂っています。
そういえば小川氏は、以前こう暴言を吐きました。
「消費税は北欧並みの25%が必要」
だがそのその直後には「完全否定、完全撤回、完全謝罪」とのたもうて完全に取り消しました。
つまりは自分で調べ自分で判断した25%ではなかったのでしょう。
財務官僚にそうしとけ、とささやかれたのかもしれません。
だが25%を忘れてはいないはずです。
いつかまたどこかで、その機会があればまた25%と叫ぶでしょう、小川氏は。
衆院立民が木端微塵になった原因をつくったのは野田佳彦氏ですが、それを実行したのは公明と創価でした。
この両者が立民破壊に果たした功績は称賛に値します。
それに原口氏以外の全員が乗った立民という政党、まさに烏合の衆でした。
中道の分裂はもうそこまで来ているのでは。

そして22日は竹島の日
22日は島根県松江市において「竹島の日」が開催されます。
竹島は昔から周辺国が領有を唱えておらず、利用しているのは総て日本人であることも確かめた後、日本政府は1905(明治38)年に領土編入を決定し、島根県も同年2月22日に島根県隠岐の管轄になったことを公表しました。
当時はもちろん中国は無く、韓国は李氏朝鮮であり、ともに絶海の孤島竹島なんか口の端にものぼりませんでした。
つまり竹島は大日本帝国が正当に領土にした島なのです。
島根県が積極的に竹島領有を押すのは当たり前の権利なのです。
なのに左翼やその政治屋は「あんな絶海の小島、韓国にやってしまえ」と売国発言も平気です。
特に韓国朝鮮人が多く帰化していたらしい、立民や左翼野党からは、よく聞かされていた売国発言です。
しかし竹島はそんなに簡単にくれてやれるような小島でしょうか。
違います、大違いです。
領土には必ず領空と領海がついてくることを忘れてはなりません。
領土と領海と領空は常に3点セットなのです。
そして、いまはもう一つ、海底資源がついてきます。
南鳥島沖でレアメタルの試験採掘が始まり、すでに成果を上げていますが、竹島とその領海にも資源がある可能性はきわめて高いとされています。
たとえ資源が見つからなくとも、あの島には日本国の土地と空と海があるのです。
これからの将来、世界の食料不足、空を飛ぶ何か、水中で生活する人々、いまからは想像もできない世界になってきたとき、あの竹島がどのように利用されるか、誰にも分かりません。
分からない、ということは重要であることを意味します。
また領土は一度失えば戦争以外に取り返す手段はありません。
沖縄がアメリカから戻ってきたのは、日本政府と沖縄県民と国民の血の出るような対応と、何よりもアメリカが日米安保を軸にした同盟国であったからです。
それでも沖縄にはいまも米軍基地やその施設が至るところにあります。
このアメリカが、仮に中国やロシアだったら・・・沖縄は永久に戻ってはこなかったでしょう。
なのにその竹島を韓国ごときにくれてやれと放言する左翼や奇妙な平和主義者たち。
彼らはこの先、生きてもせいぜい数十年、ですが竹島は永遠に存在します。
今しか生きていない者が永遠にあるものを「くれてやれ」だの「たかが離島」だのとは、傲慢にもほどがあります。
竹島はたかが小島、たかが無人の離島ではないのです。
しかしその竹島は、あの韓国に不法に占拠されたままです。
なのに日本政府は永きにわたって「固有の領土」と唱えるだけで韓国には強く出なかった、いや出られなかったというべきでしょうか。
昔から日本の領土であった竹島。
韓国に竹島を占領された経緯は多くの方がご存知でしょうが、ここでもう一度おさらいを。
大東亜戦争において日本が連合国つまりアメリカに負けを認めたのは1945年の8月(ポツダム宣言の受諾)、そして降伏文書には9月に署名しました。
これ以後日本は”主権を失い” GHQ(連合国軍最高司令部)の指導を受けながら被占領下での民主化と非軍事化が始まりました。
この主権を失った状態は1952年4月のサンフランシスコ平和条約の発効で”主権を取り戻す”まで続きました。
ところがこの1952年4月という年月日に反応したのが韓国でした。
その韓国の建国は1948年8月15日、日本がアメリカに負けた3年後です。
(8月15日は日本が敗戦を認めたその日と同じ、つまり韓国が対日戦争に勝って建国したという大ウソっぱちはこのときから始まりました)
1952年4月には日本が主権を回復する、これに反応した韓国。
主権を回復した日本が領土の保全に努めるのは当然であり、その中には竹島が入るのは当然予想されたことでした。
これにあわてたのが、韓国初代大統領李承晩(りしょうばん)でした。
日本の主権が回復する前の混乱しているときにスキを狙って、と李承晩は考えたのでしょう。
日本が主権を回復してから竹島を盗ったのでは日韓戦争か大紛争になりかねないからです。
そして李承晩は日本の主権回復の3ヵ月前である1952年の1月に行動を起こしました。
日本海に李承晩ラインという領海線を勝手に敷き、勝手にラインの中に竹島を入れて韓国の領土としたのです。
今でいえば国家詐欺と国家窃盗です。
盗人(ぬすっと)韓国の正体を、多くの日本人が知った始まりでもありました。
韓国は、無ければ盗ってこい、というお国柄です。
これ以後、韓国は日本から人材も技術も産業資産も金も何もかも奪い盗んでいまの韓国をつくりましたが、やはり何もかも最初からあったと国民こぞってウソをこき続けています。
まあそういう人々ですから。
話しは脱線しますが、韓国も経済成長前にはドルや円つまり外貨が足りません。
すると何をやったか、祖先からの伝統である売春で稼ぎ始めたのです。
それも妓生(キーセン)パーティーという国家主導の大売春事業を始めたのです。
真っ当な日本人はみな驚きましたが、なあに家の中で母や姉妹や女房が売春していても平気なお国柄です。
韓国つまり朝鮮の伝統は売買春であり、特産物は性病の乱発でした。
こんな韓国ですから同胞女性をインスタント売春婦にするくらい平気でした。
むろん日本からも男性客を団体で受け入れ、ドルや円など外貨を稼ぎまくりました。
何年続いたか、記憶にはありませんが、日本でもさすがに大きな社会問題になったことは覚えています。
わたしの知り合いにも好きな男がいて、韓国の釜山に通い続け、向こうから送ってくる手紙の束を見せてくれたことがありました。
もちろんたどたどしい日本語で書かれた「また来い」「すぐ来い」という内容の手紙でした。
その本人が言ってました、笑いながらですが。
「個人の家に行ったこともある。旦那と子どもが飯食ってる隣の部屋で売春をやるんだ。すごいよ、あいつらは」
行くほうもスゴイもんだと思いました。
朝鮮半島は元から売春と性病の大国です。
日本が入ったとき、苦労したのが学校の整備と衛生面と性病の退治でした。
かの国には両班といわれる凄まじいほどの差別社会がありました。
特にひどかったのが女性差別でしたから、売春やる婦人が一般人でも平気です。
我々日本国は、こういう隣人が占拠した竹島を取り返さなきゃならないのです。
隣人に世界の常識や国家の矜持はありません。
盗ったが勝ち、負けたほうが悪いと平気でうそぶく国です。
かの国は、そういう国であり、隣人なのです。
話しを戻しますが、竹島近辺は好漁場であり昔から多くの日本漁船が漁に出ていた場所です。
そこに李ラインを引いた韓国は警備船を武装させて日本漁船の前に出してきました。
しかし日本の海保は出来てまだ4年足らず(海保は戦後にできた組織です)朝鮮戦争は膠着状態が続いており、韓国は殺気立っており、日本は敗戦の影響と朝鮮戦争と左翼の暴力革命ごっこで強く出られない。
サンフランシスコ平和条約で竹島は日本領と明確にされていましたが、韓国人は、そんなことは知ったこっちゃなかったのです。
GHQは李承晩の竹島占拠を強く韓国に抗議するものの、北朝鮮と中国の義勇軍という敵を前にしてそう強くも出られません。
一方で李承晩はやりたい放題で、すぐに起きてはならないことが起きました。
韓国側の警備船艇による日本漁船への水平射撃、つまり日本人漁師を狙った銃撃事件です。
それも一度や二度ではありませんでした。
・拿捕された漁船は約328隻(日韓漁業対策運動史より)
・抑留された船員3929人(同)
・死傷者は44人におよびます(同)
拿捕された漁船の多くは韓国が自国の漁船として収奪し、抑留された漁船員は過酷な環境下におかれました。
日本が漁船と漁民を返せといえば竹島の韓国領有を認めろと言い返す。
つまり日本人漁民たちは、韓国が要求する竹島領有と物品などの”人質”にされ続けたのです。
かの国の人々は「隣人」といえるような”ご立派な人々ではない”のです。
朝鮮半島は有史以来つねに大陸の支配と影響を受け続けてきました。
それは民族性にも大きな影響を与え、朝鮮(韓国)人の顔や民族性までもつくりました。
エラが張り、目が細く、気性は荒く、切れやすい。
貧困と寒さの中で唐辛子が民族的食品になったのも当然でしょう。
もっとも唐辛子を朝鮮に伝えたのは日本でありますが。
日本とはあらゆるもの、総てのものが異なる朝鮮半島。
民族性も気質も総てが異なります。
正統な朝鮮族は美男美女にはかなり距離がある顔相であり、そのせいで美容整形が盛んなのも当然です。
整形は顔身体に限らず、歴史でも付き合いでも平気で整形します。
有史以来大陸王朝の重圧と支配を受け、朝鮮韓国人が歴史にも国にも誇りが持てず、顔までも変わったは当然の帰結ともいえます。
そして韓国人を突き動かすエネルギーの元は、有史以来大陸王朝から受けてきた負の歴史、近代では30年にわたって日本に支配されてきた、それによる絶望的なほどの「劣等感」です。
まさにこの今さら変えられない劣等感が、形を変えて韓国人の頭に詰め込まれています。
有史以来、そういう歴史をつむいできたことはお気の毒ですが、さりとて竹島を与える根拠にはなりません。
韓国人の習性なのか、絶海の孤島である竹島は、その周辺と水面下はゴミで囲まれ糞便は垂れ流しと言われています。
こういう韓国人を相手に竹島を取り返さねばならないのです。
竹島は”最初に臆すると永遠に後悔する”見本です。
22日の島根県松江は雪も無く、曇りと晴れが混じるようです。
雪と寒波の多い12,1月でしたが、春はもうそこまで・・・寒波もまだ襲うでしょうが、いままでの寒波とは違うはずです。
春も確実に近づいています。
22日に高市政権は「竹島の日」には内閣府政務官を出席させると明言しました。
大臣をという意見も多かったものの、日中関係が怪しいいま、中韓両面で外交問題を抱える危うさを考慮したようです。
外交は相手があるもの、ドンと上がった花火がシュッと縮むのは致し方ありません。
高市首相もスーパーウーマンではありません。
首相任期はまるまる4年残っています。
今年、竹島の日をスルーしても高市政権の仕事は山ほどあります。
国民諸氏は焦らず、じっくりと見ていくのが肝要であろうと思います。
一方で韓国警備艇に射殺された日本人漁師たちの無念はまだ晴らされてはいません。
今年の「竹島の日」はゆっくりと過ごすのが一番かと思います。
竹島は死にませんから。
