映画「トムボーイ」のこどもの遊びとおもちゃの数々…
手当たり次第に映画をたくさん見ているうちに、自分について発見することがある。「これは好き」「これは嫌い」「自分に合ってる」
年を重ねるごとに、だんだん分かるようになってきた。当たり前のようだが「面白い、面白くない」は分かっても、「自分に合ってる」ものが何なのか?実は若い頃はよくわからなかった。
若いうちは「自分がどんな人か?」が分かっていなかったからかもしれない。年も重ねたが、映画を何でも見るようになって、「自分がどんな人か?」のアウトラインが固まってくる、というか。
そんなことを考えながら、「あぁ、これは好き」と思える映画に出会った。
「トムボーイ」(2011年フランス)
「燃ゆる女の肖像」
「秘密の森の、その向こう」
のセリーヌ・シアマ監督の長編2作目の監督作品。「秘密の森の、その向こう」は、マイベスト10にも入るお気に入りの映画なのに、なぜ「トムボーイ」を見ていなかったんだろう?きっと映画に出会えるタイミングがあったのかなぁ…
ミカエルにもリザに出会うタイミングがあったんだと思う
転校先で初めて出会った友達に、思わずミカエルという男の子の名前を言ってしまい、みんなに自分を男の子だと思わせてしまう10歳の少女ロール。男の子の友達やリザという女の子の友達との新学期が始まるまでの短い夏の間の出来事。両親や妹との関係も丁寧に描かれる。
この映画を見て、是枝監督の「怪物」を思い出した。
「トムボーイ」のほうは、LGBTQなのかもはっきりしない、自分のアイデンティティにまだ気づかない女の子のお話で、ミカエル(ロール)は男の子でもなく女の子でもなく、ただただ美しい子ども。
自分がどうしたいか?自分でも気づかないのか?多くを語らない。
周りの子ども達は残酷なようでいて、そのままの存在を受け入れている感じもする。特に妹ジャンヌにとってミカエル(ロール)は兄でも姉でもなく大好きなきょうだいで、自然に彼(彼女)を受け入れている。
ミカエル(ロール)にとって最大の理解者であろう父は、肝心な場面(女の子だとバレてしまう)では出てこなくて、身重の母が「これは良くないこと」と言い切って、あろうことかロールに女の子の服を着せ、女の子だったことを皆に知らせてしまう。母にとって「ボーイッシュな娘」はむしろ好ましくても、「実は男の子」なのは許せないこと。似合わない青いワンピースをお仕着せられたミカエルが切ない。
そんな大人のスピード重視の解決方法に戸惑うなか、リザはロールがついた嘘を流して、新しく出会い名乗るところから関係を再スタートしようとする。切ないがさわやかなラストシーンを見て、子どもの強さ、しなやかさを感じる。
子どもの遊び、おもちゃ、洋服
この映画で好きなところは、子ども達が主体的に子どもだけでのびのびと遊んでいる姿、特に、森、池、草むらなど自然の中で自由に遊んでいる姿。家の中では、おもちゃやカードゲームなどで大人とも一緒に遊ぶし、おもちゃやカードゲームといった子どもの文化をとても大切に自然に描いているところ。
これはセリーヌ・シアマ監督が後に作った映画「秘密の森の、その向こう」(2022年)でも顕著で、たくさんの遊びやおもちゃが出てきて、上品な可愛い子どもらしい服を子どもに着せていたことが印象的だった。この世界感、子どもの世界や子どもの文化を大切にしているところが、とても好きだ。
トムボーイに出てきたおもちゃや遊びの数々
人形遊び(妹が大事にしている原形をとどめていないズダボロの人形)
お風呂でスマーフ(ベルギーのアニメキャラクター)のフィギア遊び
お風呂でシャンプー変身ごっこ
カードゲーム

お酒飲みながら子どもと遊ぶパパ、いいね。
絵本、お絵描き

陣取りゲームみたいな集団遊び

原っぱでサッカー
池で泳ぐ

ペットボトルの水かけ合戦

めちゃ盛り上がるよね
音楽かけて部屋でダンス

小麦粉粘土

お化粧ごっこ(ミカエルは確かに似合う)
髪を切る(ひげも描く)
言葉遊び「当てっこゲーム」
森で遊ぶ
草花遊び

よくぞ、こんなにたくさんの子どもの遊びを82分の映画に収めたな、と思う。よほど子どもたちの生活をよく観察しているか、セリーヌ・シアマ監督自身が子どもの頃よく遊んだことを覚えているか、だと思う。
セリーヌ・シアマ監督の子どもへの眼差しが温かいだけでなく、子どもをひとりの人間として尊厳を大切にしているところがよく表現されていると思う。この映画が後の「秘密の森の、その向こう」にもつながっているような。
