義務とギブは、一文字しか違わない。なのに仕事の温度差が激しく違うよね。
義務とギブは、一文字しか違わない
仕事って、不思議だなと思う。
「義務」と「ギブ」は、
たった一文字しか違わない。
でも、その一文字の違いで、
仕事の見え方はずいぶん変わる。
義務で仕事を見ると、
毎日は「やらなきゃいけないこと」
の連続になる。
返信しなきゃ。
資料を出さなきゃ。
連絡しなきゃ。
間に合わせなきゃ。
もちろん、仕事には責任がある。
だから義務がゼロになることはない。
大人として、約束を守ることは大事だ。
でも、義務だけで仕事を見続けると、
だんだん苦しくなる。
やることは終わらないし、
誰かに求められることも尽きない。
気づけば、自分の仕事なのに、
自分で選んで動いている感じが薄れていく。
「こなしているだけ」の感覚になる。
それって、しんどい。
同じ仕事でも、
少しだけ見方を変えると、
空気が変わることがある。
それが「ギブ」という捉え方だ。
このメールは、
ただ返信する義務じゃない。
相手を少し安心させるギブかもしれない。
この資料づくりは、ただの作業じゃない。
相手が判断しやすくなるための
ギブかもしれない。
この一言は、ただの報告じゃない。
チームが前に進みやすくなる
ギブかもしれない。
そう考えると、
仕事は「やらされること」から、
「渡せるもの」に少し変わる。
ここで大事なのは、
立派なことをしようとしないことだ。
大きな貢献じゃなくていい。
すごい価値提供じゃなくていい。
相手がわかりやすい順番で話す。
一回で伝わる文章にする。
少し早めに返す。
ねぎらいを一言添える。
そんな小さなことでいい。
ギブというと、何か特別なものを
与えなきゃいけないように聞こえる。
でも本当は、相手が受け取りやすく
なるように整えることも、
十分ギブだと思う。
次に渡す人が、
受け取ったあと少しでも楽になるか。
返信を受けた相手が、
そのあと迷わず動けるか。
そこまで想像して、
自分のやることを整える。
それも、
仕事の大事なギブなんだと思う。
仕事は、
自分のところだけで完結していない。
前の工程から何かを受け取り、
次の工程に何かを渡していく。
だから大事なのは、
「自分はちゃんとやったか」
だけじゃない。
「次の人が動きやすい形で渡せているか」
でもある。
私の部署は、
経営からの指示を営業部門に
依頼して取りまとめ、
報告することや、
実際に現場のメンバーに
動いてもらうことが多い。
こういう仕事は、
やろうと思えばただの伝達で終わる。
「上が言っているのでお願いします」
と伝えて、
集まったものをそのまま上に返す。
それだけなら、ただの伝書鳩だ。
でも、実際にはそれではうまく回らない。
現場からすれば、
日々の業務に加えて依頼が乗ってくる。
忙しいのに、
なんでこれをやらなきゃいけないのか。
何のためなのか。
どこまでやればいいのか。
そういう引っかかりが残ったままだと、
動きにくいし、不満も増える。
だから私たちの部署が
考えないといけないのは、
ただ伝えることじゃない。
どう渡せば現場が動きやすいか
を考えることだ。
手間がかからない形にできないか。
意図が伝わる言い方になっているか。
何を、どこまで、いつまでに
やればいいのかが見えているか。
現場が「それなら動ける」と
思える形まで整えて渡せているか。
同時に、経営が求めていることの
意図からずれずに報告する必要もある。
つまり私たちは、
上と下のあいだで、
情報をそのまま流す役ではなく、
お互いのあいだを
なるべくスムーズにする役
なんだと思う。
しかも、難しいのはそれだけじゃない。
間にいる私たち自身も、ときどき思う。
「なんで私たちがこれを
言わなきゃいけないんだろう」と。
板挟みと言えば、
たしかにそうなのかもしれない。
でも、ただ「挟まれていて大変」
で終わらせると、少し違う気もする。
前工程が経営で、
後工程が現場だとしたら、
そのあいだにいる私たちの部署は、
中工程みたいなものだ。
サンドイッチで言えば、
パンとパンのあいだにいる
具の部分に近い。
パンだけではサンドイッチにならない。
でも、具がおいしくなければ、
やっぱりサンドイッチとして成立しない。
経営の意図と、現場の現実。
そのあいだに入る
私たち自身も納得しながら、
ちゃんと意味のある形に整えて渡していく。
そこまでできて、
はじめてこの部署の役割になるんだと思う。
ラグビーのパスにも、少し似ている。
ただボールを渡せばいいわけじゃない。
相手が受け取りやすく、
そのあと走りやすい形で渡すことに意味がある。
受け取る側も、
ただキャッチするだけじゃなく、
ここまでの流れを受けて、
自分が次にどう動くのがいいかを考える。
仕事も、たぶんそれに近い。
自分ひとりで完結するものではなく、
流れの中で受け取り、
流れの中で渡していくものなんだと思う。
むしろ、仕事ができる人ほど、
派手なことより
こういう小さなギブを
積み重ねている気がする。
相手の時間を奪わない。
迷わせない。
不安にさせない。
気持ちよく受け取れるようにする。
そういう見えにくいギブが、
信頼になっていく。
もちろん、
現実はきれいごとだけじゃない。
やりたくない仕事もある。
気が乗らない日もある。
相手のためなんて思えない
瞬間だってある。
それでも、
「これは義務だ」としか見えない日と、
「この仕事を、次の人が動きやすい
形にできるだろうか」と考える日では、
自分の消耗の仕方が少し違う。
義務は、外から乗ってくる。
ギブは、自分で選べる。
この違いは大きい。
人は、やらされていると
感じるほど苦しくなる。
でも、自分で意味を
見つけられると、
同じ行動でも少し楽になる。
完全に楽しくならなくても、
少なくとも「ただ耐えるだけの時間」
ではなくなる。
仕事を全部好きになる必要はない。
いつも前向きでいる必要もない。
ただ、ひとつだけ問いを
変えてみることはできる。
「今日もやらなきゃいけないことが多いな」
で終わる代わりに、
「今日の仕事で、次の人が動きやすくなるように整えられることは何だろう」
と考えてみる。
たったそれだけで、仕事の温度は少し変わる。
義務とギブは、一文字しか違わない。
でも、仕事をどっちで捉えるかで、
毎日のしんどさも、手応えも、たぶん変わる。
どうせ同じ時間を使うなら、
「やらされる仕事」だけで終わるより、
「誰かに渡せる仕事」として持っていたい。
まずは、ひとつでいい。
小さくていい。
次の人が少し動きやすくなるように整えてみる。
その一つが、仕事の見え方を変えるはず!
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
ちょっとやらされることが多いなと
不満が思わず出そうになったあなたにとって
なにかしらの気づきになればうれしいです。
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