見出し画像

世界市民注目!聖地HANIOKAが「祈りの座」としてグーグルマップに公開。隠すな!堂々と…今こそ祈りの座に集えと声がする。

「祈りの座」、あなたの愛と勇気に感謝します。
その場所から、今、世界は元ひとつに還る。


プロローグ 祈りの座

その場所は、現在の地図で兵庫県神崎郡神河町南小田902-1。
今、グーグルマップを開くとその場所にラベルが追加されている。
カテゴリーは寺院・礼拝所。
ラベルの名称は…「祈りの座」。

画面中央上 祈りの座 (2025.7.20現在)

別の案件でグーグルマップを開いた時、「あっ!」と気が付いた。
つい最近のことだ。
てっきり我が社(株式会社 T.T.C)のスタッフの仕業だと思った。
何故なら、この場所は、今の日本、いや今の全世界にとって魂の故郷とも言える重要な場所で、(株)T.T.C の代表取締役を務める古代史研究家の上森社長の旗振りの元、多くの仲間が集い2024 年 12 月~2025 年 1 月に実施 した試掘作業によって発見した場所だからである。
「上森社長、知っていますか?」 「いや、知らない…。」 スタッフの誰も身に覚えがない。
このラベルを追加された方については、今のところ、何の情報もない。
では一体誰が…謎である?
ただ申し上げたい、ここでどなたが追加されたのか?を追求するつもりなど毛頭ない。
私達は、ただただ感謝するだけである。
この場所を「祈りの座」と呼び、グーグルマップにラベルしてくれたその愛と勇気に。
その勇気に報いる為、祈りの座…つまりHANIOKAの発見までに至る経緯と、「HANIOKA 試掘調査結果」を簡単ではあるが報告する決意をした。
当時、関係当局に赴いて「遺跡発掘申請」の正式な申請書を提出したが、受取ってもらえなかったも のである。
また、周辺住民の方々にとっては、あまりにも荒唐無稽な内容であるが故であろう、ただ今だに一切無視をされ、話すら聞いてもらえない状態であり、ただただ少しでも耳を傾けて下さいと…祈る日々を重ねていた。
だが、もう止めた。このフィールドワークに関わらせてもらった一員として、隠さずに堂々と…その時、そこで何を行ったかの事実を公開する。

ワンダーランドの一丁目一番地、卑弥呼女王が祈ったイエス・キリスト様の祭祀場である聖地「HANIOKA」を発見した物語です。

1.フィールドワークの道すがら、上森社長が視ていたもの…

2024 年 1 月 1 日に発生した能登半島地震、その翌日 1月 2 日だった。
一見も何も、元旦に起こった大災害とは関係ないとしか思えない「知られたくない地記名 大門」と題した記事を上森社長が Upした。
しかも、そのメンバーシップの記事で『3 日(水)大門駅に PM2:00…コアロッドを持って‥』と呼びかけられた。
まだ、松の内も明けきらぬ私にとって、『突然、何?』。
これが私にとって 2024 年のフィールドワーク事始めになった。
 ところで、この記事には、ある不動産の広告物件がリンクされていた。
広告には「60 万円!広島県大門駅まで徒歩圏内!昔ながらの日本家屋が格安登場」…とあった。
この時、このリンクに、私の頭の中は『???』だった。
何で、上森社長の記事の途中に格安物件の不動産情報があるのだろう?
Note はスポンサーが付かないはずなのに、何だこれは?とスルーした。
3 日の日、現地に集まった方達もこ のリンクには気づいていなかった。
それが…大門駅に誘われた私達が、上森社長に引きつられていった先が、なんとこの「格安物件」だったのだ。
そして、これから始まる一年、この「格安物件」が、大きなキーワードになろうとは…このとき、夢にも思わなった。
(今は、このリンクは外されて閲覧不可になっています。)
今更ながら振り返ってつくづく思う。
…この時点で、上森社長には、何が聞こえ、何が見えていたのだろうかと? でも、それは未だに怖くて聞けていない。
聞いてはいないが、今なら分かる様な気がする…少しだけだけど。
なにせよ、2024 年のフィールドワークは、魏志倭人伝に「南至投馬国水行二十日」と記されている 20 日で到着する投馬国の港、現在の広島県福山市大門でボーリング調査を実施することで始まり、そ の後は、まるで邪馬台国オリオン座で説かれた卑弥呼女王への謁見ルートを辿るように兵庫県神崎郡神河町に舞台は移っていった。

JR 播但線寺前駅の改札を出て駅前に立ち、ほぼ西に向かい真っすぐ見上げると遠くに綺麗な三角形の稜線をもつ山が目に入る。
上森社長が説く能登内親王の埋め墓である。
上森社長の誘いに集いし男衆一同が、2 月 24 日(土)に往復 7 時間ほどかけて能登内親王の墓の山頂にお姫様をお迎えに登った。

実はこの動き、元旦の能登を襲った能登大地震の緊急メッセージに上森社長が応えたものだった。
そして上森社長は一気にファニックスコードを描き読み解かれていく。
まず何といっても、東北の雄阿弖流為のお墓そして最澄様のお墓の発見である。
「最澄様の母は能登内親王であり、父は阿弖流為である。」!?
更に、驚くことに
「最澄様は空海様の双子の妹を娶った。そして空海様の母やその妹のお墓にほど近い場所に空海様 が塚を造って葬った。」 と。
それから…だ。 3 月から 4 月にかけて、このフェニックスコードとコアロッドの調査結果を実証する為に神河町を幾度となく訪問することになる。
そして、JR 寺前駅付近から宍粟方面へ向かう小田原川沿いを何度も何度も繰り返し往復した。
まだ寒くて、山には雪が残っていたのに、気付けば桜吹雪、そしてあっという間に葉桜。 移動中の車の中から季節が流れていくのを目で追っていた。 ところが…上森社長の目には別のものが映っていた。
それが、「空き家」であり、「格安物件」だった。
時には、車を停めて…
「どうですかぁ~。あれは、立派な建物ですねぇ~。あそこからだったらイエス様の山が見えますね ~。もちろん、黄金探査してからですよ~」
黄金を探査しても地権者との交渉が必要な為、自前の土地なら…というお考えか?私達は、
「空き家を買うつもりですか?一体、どうするつもりですか~」
まさか本気で買うなんて思いもせず、楽しそうに空き家を語る上森社長の話を聞いていた。

2.話は変わって、『金探査器の特許が通りました!』

ここで直接関係がないようで今に繋がる重要なお話をひとつ。
2024 年 4 月 19 日(金)の朝、姫路駅の 7 番ホームに上森社長と S 氏が立っていた。 これから山へ向かう…もう、何日めだったろうか?
少しだけ疲れて…足取りも重かった私は、少し遅れてそのホームに昇るエスカレータの上から、ホームの二人をぼんやり眺めていた。
エスカレータが、ホームに近づくにつれ、どうも上森社長の様子がいつもと違うなぁ…と感じた。
どうやら携帯電話で話し込んでいる?様子。上森社長が、出先で、しかも朝っぱらから携帯で話し込むなんて私には珍しい情景だった。
何か?揉め事か…と思ったが、意に反して、何やら嬉しそうな表情が見て取れる。
少し距離を置き様子を伺うが、笑顔で、時に笑い声も聞こえてくる 。
そして暫く話し込み電話を切るなり、大きな声で第一声。
「金探査器の特許申請が通りました!!」
特許事務所の先生が一番驚いて、朝いちばんで連絡してきたそうだ。
聞いた私も驚いた。
コンビニの袋を手放して、思わずガッツポーズ。
特許申請には時間がかかるだろうと覚悟をしていた。
思ってもなかったスピードで、しかもこのタイミング… そう、まさにコアロッドの立証も含め、フィールドワークに向かう為、姫路駅に立っていたまさにその 時に、コアロッドの金探査、特許申請が通ったと!?
これで、堂々とコアロッドを公にできる!!
程なくして、8 時 57 分発の特急はまかぜ 1 号が、姫路駅 7 番ホームに滑り込んできた。
降りるのは、寺前駅。 そこから目指すのは…当然。
読み返したメモには、 「快晴! 何かを予感させる一日が始まろうとしていた。」と書いてあった。

3.神河町の空き家バンクと上森社長、不動産物件を買う。

さて、2024 年 5 月 9 日(木)の午後、上森社長から一通のメールが入る。 『かみかわ移住定住サポートセンター、あるいは空き家バンク。ここに電話すると空き家を扱ってい る不動産会社を紹介してもらえると思いますよ。』 と、書いてあった。
つまりは、コンタクトを取って物件情報の確認なり内覧等の段取りを組んでくださいね…ということだ。
神河町周辺(時には姫路方面も)で、空き家物件を探索する…という作業がここから始まった。
物件の現況など詳細確認もあるが、何よりコアロッドで黄金探査を実施するとういうことが、上森社長の主要目的だ。当然、屋内外の調査が必要だが、 この最初の時点で、上森社長があげた対象物件は 3 件だった。
早々、サポートセンター(あるいは空き家バンク)にコンタクトを取ると、(確か)不動産屋の鍵を預かっている中村の物件は表玄関の鍵が開いているので、内覧はできないが外観だけの確認ならいつでもどうぞ、との返答で、あれよあれよという間に 5 月 12 日(日)に現地確認が決まった。
この時、上森社長は、
『迷うことなく中村の物件を購入しなさいね!ということですね。非常に分かりやすい。』 と一言。
実は、私、この時でも、まさか本当に買う気…?そんな想いだった。
当日は、上森社長、椿さんそして内藤さん。
面白いのは、12 日の現地確認が決まった頃、突然登場してきた Mr.ムニエル…お宝探しが高じて何故か日本にやってきたイスラム教徒のチュニジア人…が加わって、現地確認が決まった。当日は、雨が降る中、ガレージの下でコアロッドの黄金探査を実施。 チュニジアの方もダウジング様の独自の L ロッドを持参していましたが、何しろ断っておきますが この時点でコアロッドは特許取得済み、お墨付きでした。 結果、コアロッドは黄金の反応を示した。 この物件、上森社長が説く東のメノラーの扇の要に位置し、驚いたことにお隣がいつもお世話になっ ている尾上社長のご自宅…。
即時、購入の決断。なんのハードルもなく交渉は進み、6 月末には売買契約は完了しました。
これが、現在の卑弥呼荘です。

これだけに収まらず、上森社長はまるで憑かれたように何件もの空き家を見学し、コアロッドで調査 していきます。
空き家バンクの担当者も???の様子でした。

そんな中、私が、上森社長の本気度?に触れたのは、姫路の物件でした。
そこは、卑弥呼女王の孫(姉)が眠る山を正面に見る場所でした。
しかし、不動産の営業が止めた方が良いというほど傷んだ物件。
流石に私も椿さんも、
『神河町とは事情が違いすぎる。考え直した方が…。』
と、その時、ケースに入れていたコアロッドを取り出し不動産営業の目の前で金探査を行った上森社長は、金を捉えたコアロッドをかざして…
『あんたら、何しにここにきたん?』
『ここへきたんは神様の夢をかなえるためだ!』
と営業も顔が引き攣るほどの大音声でした。
この物件は、その時点でどうしても越えられない一つの条件があり、残念ながら契約には至りませんでしたが、私達には見えなかった上森社長の本気度を目の当たりにさせてくれた物件でした。

やがて、空き家探しのエリアが絞られていきます。
上森社長の狙いが、南小田地区に集中し始めます。
その都度、外観からコアロッドで調査します。
当然、既に交渉中だったり、売買条件が合わなかったり、交通の便等の諸条件によって、案件も絞られていきます。
最終的に、上森社長の購入候補に残ったのが 2 件。 ひとつは、日和地区。 こちらは、卑弥呼荘の検討時に平行して内覧を実施、コアロッドの調査を済ませ 7 月には契約を完了できました。能登内親王のお山、イエス様のお山を望むことができる場所です。
もうひとつが、現在私達が HANIOKA と呼ぶ場所です。
イエス様の眠るお山の麓、磁北方向を見上 げればいつでもイエス様に手を合わすことができる場所です。
ただ、こちらは土地登記上の整理等で 時間がかかり、正式な売買契約は 11 月になって完了することになりました。
多くの支援者の協力を得てスタートした「黄金の国ジパング発掘のプロジェクト」が粛々と進行する中、一方ではこうして神河町中村地区に卑弥呼荘、南小田地区に日和ハウス(仮称)と HANIOKA の 2 件、現 在の兵庫県神崎郡神河町…上森社長が自ら聖地神河と呼ぶ地域に、それぞれが独自の役割を担って いる 3 件の拠点を設けていました。
どうですか?
知られたくない地域名 大門の、格安空き家物件で始まったフィールドワークは、黄金の国ジパング 立証プロジェクトの進捗に合わせるように兵庫県神崎郡神河町に流れ込み、そこでとうとう空き家を購入する という行動に行きついていました。

ワンダーランド一丁目一番地‥現在のHANIOKA

しかし、この物語、これで終わりではありません。
空き家は終着点ではありません… 実は、ここからが本番でした。
本物の物語の始まりです。

4.世界の聖地「埴岡の里」を未来に繋ぐ!プロジェクト

同年 7 月 15 日(日)午後 1:30。
上森社長と私は、南小田地区の農村環境改善センターに居た。
「神河町南小田区内物件購入に向けた今後の利用計画について」説明を求められた為である。
空き家バンクの担当の方のお世話もあって、地元の代表者の方々と、この日初めて正式に面談するこ とになった。
この時、まず求められたのが、『同じ区域内(南小田)に、そして同時期に、何故数件の家を買うことになったのか?』 だった。
上森社長は、 『この場所は、大切な方のお墓が見える場所なんです。 その方は、日本名は、神武天皇。大国主の命とか猿田彦…。そして、西洋名はイエス・キリストなんだ!イエス・キリストの遺体は亡くなった二日目、ここから見えるあの山の上に造営されていた前方後円墳に埋葬されたんです。標高 836m の山がその陵墓なんです。そして、懿徳天皇のお墓もある。 私は、7 月 17 日に(今の HANIOKA に)住民票を移す…ここを終の棲家にする覚悟なんです。』 と訴えた。
コアロッドも実践した。
けれども、初見でもありまっとうな理解を得られることもなく、この日は散会となった。 私は、私達ひいては上森社長の活動紹介の一助になればと持参した不死鳥のあしあとや邪馬台国オ リオン座説の著書を、『受け取れません』と、全て返されたことが唯一気になって仕方がなかった。
時間をかけるしかない…、顔を覚えてもらって少しづつ。仮に理解を得られなかったとしても、住民として受け入れてもらえれば…。
しかし、結局これが直接面談した最初で最後となった。
その面談の直後、利用計画書という文書の提出を求められた。
何をしようとしているのか?事業計画は?、誰が、住むのか? 等など。
上森社長としても私達も、「この場所、エリアの歴史的な重要性」に早く気付いてもらいたい。 この場所を守り、その歴史的遺産を世界に発信したい…想いはそれだけ。
そのスタートラインが、まったく重ならない。
新興宗教、はては怪しい会社と勘違いされる。まして、『見えない声が聞こえる』方のいう事と私達の生活は折り合わない…と、受入れてもらえる要素が微塵も感じられず。 私など、正直、面食らってしまった。
とは云え、私達にも一定の説明責任はある…そこで“世界の歴史遺産『聖地神河』埴岡の里と共に” と題して、「歴史的遺産の発信とより一層の持続可能な環境型地域創りのアイデア」というものを起案し、まずメールで提出して説明する機会が欲しいとお願いした。
しかし、受理をして頂けたのかどうか? 要約すると『上森社長の活動と地元との関係において、今までも今後も実態がない、見えてこない』とされ、それをとにかく文書で回答しない限り面談はできない…とされた。
しかし、もう全てを正直に説明しているのだった。
先の提案以上に、私達に隠すことは何もない。
だから、今は理解頂けなくとも、お一人お一人にちゃんとお話をしたい。 おかしな奴らやなぁ…と思われたとしても、せめて、地域の住民として受け入れてもらいたい… そう願っても、今に至るまでとうとうお話をさせてもらう機会は得られなかった。
住民の方々も私達隣人に不安を持たれただろう。それは上森社長も私達も同じだった…しかし、顔を合わせて挨拶もできない。

唯一の希望は、HANIOKA を守ってきた売主様と直接面識をもつことができたことだった。
上森社長は、これも空海様の導きだという。
何故なら、このHANIOKAのお宅。
その庭の片隅にひっそり佇む祠。
その祠で手を合わせる先にあるものは…空海様の母上と妹が眠る山、そして空海様の妹を娶った最澄様のお墓・塚である!
更に、庭に在る方位石はキッチリとイエス・キリスト様のお墓を教えている。
上森社長は、言う。
『この仕掛けは、きっと空海様の作品でしょう。』

5.HANIOKAの試掘と井戸掃除…そしてHANIOKAと命名。

実は、私は、何故方なったか?その経緯をよく覚えていない。
メモを見返すとToDoリストになっていて…何故?こうなったかなぁと不思議でしょうがない。
まず発端は 2024 年も年の瀬が見えてきた 11 月 28 日(木)…この日の午後、卑弥呼荘で今の HANIOKA の売買契約を行っている。
手付金で仮契約してから半年あまり経っていた。
これが号砲となって、ここから堰を切ったように始まった
 翌 29 日(金)、契約完了した HANIOKA の屋内外の現状把握を実施、同時にコアロッドで探査を行っている。この時、家屋、特に母屋は想像以上に傷んでいて全体としてリフォームで 運用するのは難しい…と判断したように記憶している。
7月に地区住民の代表者の方々と面談して以降、面談はおろか話もできない環境にあって、その関係に進展もなく近々で改善する見通しもなかった。
つまり膠着状態…において、HANIOKAの売買契約完了と上記の判断が、上森社長の背中を押して「試掘」を決断させたのではないかと私は思っている。
さて、12 月 2 日(月)、私はこの時点で JFE に飛込み電話をかけている。 上森社長から、
『4~5m試掘するから、JFE が特許を取っているライナープレートを調達して下さい。自分たちで 敷くするときの安全確保上、これが入手できるかどうかが、今回のキーになります。』
と指示がでていたからだ。
私達は施工業者ではない為、当然断られた。
しかし、『この入手がキー』だと言われているから、はいそうですかと簡単には引き下がれない。
そこで、翌 3 日(火)に JFE の代理店で姫路にある商社にコンタクトを取 った。すると『前払いなら OK ですよ』との回答。
上森社長に連絡すると、
『試掘を開始して下さい。工程はクリスマスが目標ですよ~!』
関係部署と調整の結果、資材は12 月 18 日(水)HANIOKA 到着が決まった。 これに合わせ、菊芋で忙しい内藤さんを駆り立ててお山にあった掘削機材の撤収等試掘の準備を急 ピッチでお願いする。
そして 16 日、HANOKA の床板を剥がす。
あっという間に 18 日を迎え、とうとう HNAIOKA で本格的な試掘作業が始まった。
上森社長の活動に賛同頂いている男衆達がHANOKAに集まった。
延べで何人になるだろう…とうとうHANIOKA で冬至を迎え上森社長の宣言通り 25 日(水)午後 3 時 まで試掘を実施した。
その深さは、地表面から 3600mmに達していた。
この試掘結果で、上森社長はひとつの結論…確信を得ていた。
それは、2 日後の 27 日(金)T.T.C で結果報告をしていた時に、上森社長の口から聞いた。
『HANIOKA は、卑弥呼女王がそこで祭祀した場所だ。祈りの先は、イエス様の陵墓。当然、卑弥呼女王以前からあった祈りの場所だ…ずっと探していた。』

そして、
『井戸の水にはコアロッドが反応するのに、どうして…試掘した穴に湧き出た水にははんのうしな かったのか?』
にインスピレーションを得たのか、私達が知らない間に上森社長はひとつの実験をし ていた。
様子が見えないなと思っていたら、事務所のあるビルの地階からバケツで水を汲んできてそ こに卑弥呼女王のあの重い狐帯石をドボン!と漬けて取り出す…取り出した後の水に、コアロッド をかざす。
すると果たして…ロッドは閉じた!
発見…狐帯石には、ゼロ磁場発生装置の技術が使われていた!
言い換えれば、上森社長が教えられて作ったというゼロ磁場発生装置は卑弥呼女王の時代のテクノ ロジーだった、いやもっと古くからあった…。
古代の歴史の真実を知れば、隠されたテクノロジーがあるということだ。

では、という事で、年明けの 2025 年 1 月 4 日(土)、仕事始めは HANIOKA の井戸掃除と決まった。
果敢にも内藤さんが井戸に入り井戸攫いをする。
翌 5 日(日)、綺麗になった井戸に、上森社長が入り井戸底でコアロッドをかざす。 このとき残念ながら井戸での反応は確認できなかったが改めて敷地内全体をコアロッドで詳細調査 する機会を得た。
その調査と試掘で得られた結果は、当該エリアの地下に金を含む鉱石を敷き詰めた 様相の隠された遺構が存在することを示していた。
それは、フェニックスコードの位置情報が意味するものとも合致した。
当該エリアこそ探し求めていたイエス・キリストを祀る古代の祭祀場だと推測し、この時こそ、上森社長が「HANIOKA 遺跡」と命名した瞬間だった。

6.受け取ってもらえなかった遺跡発見届~その①

2025 年 1 月 17 日(金)、遺跡発掘の一報を「埋蔵物発見届」で所轄の交番に報告し、その足で神河 町教育委員会に「遺跡発見の届け出」を発掘したサンプル(コアロッドが金反応を捉えた金鉱石)と 上森社長の古代史研究の成果である書籍を参考資料として提出した。
しかし、後日一切の書類は受け付けられないとして返却された。
HANIOKA の場所は、遺跡が存在するという過去の調査履歴も、またその事実もない。
従って、教区委員会では受け付けられない…という趣旨であった。 私の理解不足で誤解を生むかもしれないが、要するに“そんな場所に遺跡はない”という意味だったと捉えている。
当然、地元の方々も無関心だった。
せめて説明だけでもと思って、地元の役員の方に連絡を入れたが、『関係ありません』と断られてし まった。
その内容を、ここに公開します。
書類の提出日は 2025 年 1 月 17 日(金)、いずれも書類上の日付はブランクで提出しました。
【埋蔵物発見届】(管轄警察宛 第 8 号様式) 内容は下記の通り。
・遺跡の名称・所在地 HANIOKA 遺跡(所在地:神崎郡神河町南小田 902―1)
・発掘調査の主体 神河町南小田 902―1 上森三郎
・発掘した土地の所有者の住所・氏名・職業 同上 会社代表者
・発見の原因 試掘調査及び「金の探査器」による地下調査
・発見した土地または家屋お所有権を取得した年月日 2025 年 11 月 29 日
・物件の名称(種別)及び数量 HANIOKA 遺跡、祭祀場跡発見 金鉱 金鉱石埋蔵重量 5000t

お昼前、飛込みで寺前近隣の交番に入りました。
本来在駐される方が不在だった為、他地区のお巡りさんに対応してもらうことになりました。
まず、届出書を出して事情を説明します。
更に、用意してきた「不死鳥のあしあと」を拡げて補足説明。
上森社長が身振り手振りで、
『ほらほら、あれが西のメノラーで、その山の向こうには亀が壺…』
と説明を始めると、最初は、あっけにとられていたお巡りさんも、その顔に真剣さが滲み始めました。
『なるほど…、それで遺跡は持ってこれないから、この石と届出書を持ってきたというわけです ね。』
と言って、管轄部署に連絡を入れてくれます。
ところが、電話をあちこちに回されて埒があかないような様相…。
その間も、上森社長は熱く語りました。
お巡りさんは、
『ほ~、これはすごい!私は、つい最近、神戸の方から転勤してきたばかりで、神河にこんあ凄いも のがあるなんと知らなかった…。』
それでも、書類の取扱いで揉めている様相、最後の最後に電話口で、こう言ってくれた。
『いいですか!これは世界的な発見になるかも知れないんですよ。ちゃんと資料も持ってきている んだから。』
しかし結局、
『そうですか、じゃあ書類をこの場では受けとれないと…まず、町役場の方と交渉してもらうという ことですね。』
となった。
それにしても、上森社長の説く話を聞き、電話口とは云え、
『世界的な大発見になるかも知れない!』 とは、凄い!
聞いていたこちらの鳥肌が立ちました。
クラーク博士の少年よ大志をいだけ!にちなんだお名前をお父上から頂いた…と言われたお巡りさ ん、ありがとうございます!
きっと、また会えるに違いないでしょう。

7.受け取ってもらえなかった遺跡発見届~その②

続いて、教育委員会に向かった。
【遺跡発見の届出について】(管轄市町村 教育長様宛 第 7 号様式-2)
内容は下記。
・遺跡の種類・時代 その他(祭祀場跡) 弥生時代
・所在地 神河町南小田 902―1
・土地所有者・住所 上森三郎 神河町南小田 902―1
・発見の事情 試掘調査、金の探査器による地下調査
・遺跡の現状 宅地、水田、畑地、原野
・出土品 現在の土間天より 1.2m下に金鉱石で深さ 1m で石畳が形成されている。 金鉱石土間面積 2600 ㎡、金鉱石埋蔵重量 5000t 金含有量5g/t として約 25.4Kg。金価格 15000/g として、3 億 8100 万円。
・参考事項 自宅地内試掘調査及び特許第 7480104 号「金の探査器」による地下調査

発掘・発見の詳細報告を求められた。 それが、下記の調査報告書である。 より詳細に報告する為に、HANIOKA 遺跡の規模を地表面上で測量して地縄を張り、自宅敷地内を もう一か所試掘した

8.受け取ってもらえなかった調査報告書

届出書を提出時に求めらえた調査報告書の概略を公開します。
文中に添付資料等と記載ありますが、本稿には添付もしくは記載しきれていない場合があります。予めご了承ください。

【HANIOKA 遺跡の調査報告書 第一部】
はじめに
神社、寺院、城、古墳の向きに意味があると考えたことがあるだろうか。
また、その位置に重要な 意味が あると考えたことがあるだろうか。
私のこれまでの探求から見えてきたことは、神社、寺院、城、墓 を建てる ときは、その向きや位置に重要な意味を持たせて作っているということであるそして、位置の決め方は、「三角図法」だ。
まず、その建造物にとって重要な「聖なる地点」を 2 か 所選び、 その 2 ヶ所と、新しく建てる1ヶ所と併せて、3つの地点が、正三角形、二等辺三角形、直角三角形 になるような 地点を選んで、その位置に新しい建造物を建てるのだ。
それによって、新しい建造物も「聖なる場所」 となる。
呪術と言うよりも、「聖なる幾何学」への信仰と言って差し支えないであろう。時には、人工の山を造 ったり、 山を整形したり、磐座を置いて、この「聖なる幾何学」を実現しているのだ。
近くならばまだ分かる。しかし、遠い遠い、まるでみることもできない場所同志の距離や角度を、 いったい、 どのようにして測量したのだろう。
昼は、鏡、夜は松明を使って、見通せる山から山へとデータをつ なげて 行ったのだろうか。それとも、私たちの知らない「失われたテクノロジー」があったのだろうか。
さて、歴史は、時の権力者の都合で改竄される。
各地の豪族たちが伝えてきた歴史は、「編纂」の名 のもとに 集められ、結局は抹殺される。
しかし、日本列島の大地に刻まれた「聖なる幾何学」は、容易に抹殺 できるもの ではない。
神社・寺院は焼いても、信仰の力によって、規模は縮小しても本殿・本堂は同じ向きで復 活する。
その意味は失われても、「向き」や「場所」は、ほとんど当たり前のように受け継がれて来たようであ る。
そこには、「焚書」できない「歴史の真実」がある。
『不死鳥のあしあと』上森三郎著より抜粋
私は、兵庫県神崎郡神河町南小田に所有する自宅敷地内を試掘した結果、HANIOKA 遺跡と命名し た古代の 祭祀場跡を発見した。
試掘した場所は、不死鳥のあしあとを示すフェニックスコードと金及び地中探 査器 コアロッドでピンポイントに特定した場所である。
その結果は、2025 年(令和 7 年)1 月 17 日(金)、兵庫県神崎郡神河町役場担当窓口に『遺跡発見』として届出た。
以下は、その捕捉資料である。
目次
1.試掘調査の目的
2.試掘調査に至る経緯・実施した日程等
3.試掘場所
4.調査方法
(1)特許第 74801104 号 金の探査器『コアロッド』
(2)コアロッドで特定したポイントを手掘り掘削
5.調査結果
(1)試掘場所
  ①コアロッドによる探査
  ②試掘(手掘り)による地下状況
(2)当エリアでのフィールドワーク
  ①冬至(12 月 21 日)の午後 3 時に浮かぶ太陽
  ②試掘場所を含むエリアのコアロッド探査
6.調査結果の纏め
7.考察

1.試掘調査の目的
(1)金探査器『コアロッド』で、金の最外殻電子を捉えた場所の地下には金が埋蔵されていること、何 らかの 地下遺構の存在の有無を実際に試掘して確認する。
(2)今までの古代史探求の成果、隠された真実の歴史の解明につながる考古学的証拠を発見し、兵庫県 中央部の 埴岡の里の重要性・世界の聖地であることを証明し、その事実を世界に発信する。
(2017.8.31 発刊 「不死鳥のあしあと」より古代史研究成果)
2.試掘調査実施に至る経緯・実施した日程等
(1)2024 年 5 月某日 対象物件:神崎郡神河町南小田 902-1(外 13 筆) 空き家バンクで情報を確認し取扱店(不動産会社)とコンタクトをとった。 (2) 同 25 日 同上物件を内覧、屋外よりコアロッドを用いた探査を行い金最外殻電子の存在 を捉えた為、 購入を決意し買付申込を行った。
(3) 同 11 月 28 日 同上物件の売買契約を完了した。 (抵当権抹消手続きが長期にわたったため売買契約まで時間を要した)
(4) 同 29 日 売買契約終了により所有した屋内外の現状把握を実施 同時に金探査器『コアロッド』を用いた金及び地下の詳細探査を行い本物件の 東側離れの 地下に金の反応を確認した。
(5) 同 12 月 13 日 設計士による敷地内の測量及び関係者間で試掘実施の段取りを打ち合わせた。
(6) 同 16 日 試掘準備(床板を剥がして、地面に試掘ポイントを設定する)
(7) 同 18 日 円形立坑のライナープレート搬入、本格試掘を開始した。 (8) 同 19 日 荒堀で地下△1800㎜ に到達、最深部深さは△2200㎜。
(9) 同 20 日 ライナープレート挿入準備(掘削径φ2300㎜ で、周囲の石組みを粉砕して掘下 げる)
(10) 同 21 日 冬至。地上深さ△1300 ㎜地点までをライナープレートで養生し、△1300 から 堀下げ △2000㎜ で作業を終了した。
(11)同 22 日 地上深さ△2200㎜ 付近、厚み2cm程の赤土層にあたった。 地上深さ△2700㎜ 到達で作業を終了した。
(12)同 24 日 床剥がしから 9 日目。砂利層を掘削して、地上深さ△3000 到達。
(13)同 25 日 地上深さ△3600㎜、砂利層を抜けて地山にあたる。穴底でコアロッド探査を行 うも、 △3600㎜ より地下に金反応はなかった為、試掘調査を完了と判断した。
(14)2025 年 1 月 4 日 井戸水に金探査器コアロッドが反応を示す為、内部を確認する為井戸掃除を 行った。
(15)同 5 日 井戸内部ではコアロッド反応なし。その結果より、改めて周囲敷地内を広くコ アロッドで 調査する。この調査と試掘の結果から、該当エリアの地下に金を含む鉱石を 敷き詰めた 様相の何かしら隠された遺構が存在することを示していると考えられる。 それは、フェニックスコードが示す位置情報が意味するものと合致していた ことから、 当該エリアこそ古代祭祀場であると推測し、『HANIOKA 遺跡』と命名した。
(16)同 17 日 寺前派出所に「埋蔵物発見届」を提示し経緯の説明、対応の指示をこう。 神河町教育委員会に「遺跡発見の届出」を提出 発掘したサンプル(石)、書 籍を提出 した。
(17)同 20 日 自宅敷地内に、地縄張りを行い HANIKA 遺跡の概要を地表面上に表した。
3.試掘場所 兵庫県神崎郡神河町南小田 902-1 上森三郎所有地内の東側の離れ
4.調査方法
(1)試掘場所の特定 コアロッド:地表面からの金及び地下構造探査 地磁気の伏角を用いた金深さの推定
(2)試掘方法:手掘りによる掘削 コアロッドで特定したポイントにΦ2000㎜ の円形立坑を手掘りで掘削し実際に地下構造を調査した。 *JFE 建材のライナープレート締結金具 J スピード LP を使用し、施工の安全性を確保した。 *反応を確認した金の地下深さ△4000 ㎜を目標とした。
5.調査結果
(1)試掘場所
  ①コアロッドによる探査
   金からの電子を捉えた敷地内で周辺環境への配慮も含め東側の離れ
   の屋内にポイントを絞 り、作業性・安全性を考慮し穴径Φ2000を
   試掘ポイントとした。
   目標深さは、△4000㎜ とした。
  結果を報告します。
  a.地表下 1200㎜ 付近から 2000㎜ 付近までの約 1m にわたり、胴回りがΦ30~40cm、大きいも ので 長さ 50 ㎝超の石が組まれた層にぶつかった。掘削して掘り下げた為、全容は把握できなかっ たが 階段状に組まれた様相が見てとれたとの施工者の観察である。
  b.地表下 2000㎜ を超えると、粘土層に混じり栗石が顕われた。
  c.地表下 2200㎜ 付近で、厚さ 2cm 程度の赤土層が顕われた。赤土層の下は、砂利が混じり始め た。
  d.地表下 3600㎜ 付近で、地山と思われる層にぶつかる。 この層から地下には、コアロッドは反応しなかった。 また、地下水がにじみ出てきたが、その水にもコアロッドは反応しなかった。
【特記事項】 上記②-b 項で観察された石組の石を砕いた破片には、コアロッドが反応(金からの電子を感知)す る。 この層から砕いて掘り出した破片群にのみコアロッドは反応を示す。
*尚、この破片の一片は、採取サンプルとして 1/17 の届け出時に提出済み。
(2)当エリアでのフィールドワーク
 ①冬至の日、午後 3 時の試掘場所から見上げた西の空に浮かぶ太陽 2024 年(令和 6 年)の冬至は、12 月 21 日(土)だった。その冬至の翌日(22 日)午後 3 時、 試掘場所から南西方向を見上げて撮影した写真が下記である。 南西方向、西から標高 840m の山と標高 606.6mの山の間に浮かぶ太陽の陽が、真っすぐに試掘場所 を照らす。 午後 3 時を過ぎると、太陽は西に沈み、山陰に隠れて辺りは暗くなる。 まるで、午後 3 時を指し示す日時計のようである。
②試掘場所を含むエリアのコアロッド探査
  金探査器コアロッドで改めて地下を精査し、金からの電子を捉えたエリアの地表面上に地縄張りを 行った。
 尚、図中、黄色円内が“東側離れ 屋内”の試掘場所で、緑色四角内は、追加試掘した場所である。
追加試掘の結果については、第二部で報告する。
一辺が約 40mで囲まれた方形エリア内で、コアロッドは地下に金からの電子を捉えた。 南西端には、幅約 6m で小田川方面に伸びる金を含む地下構造の存在を確認した。 敷地外エリアで、立ち入り可能な場所をコアロッドで探査した結果を下図に示す。 緑色で囲った場所が、敷地内で地下に金からの電子を捉えた場所。 赤枠内が、敷地外で立ち入り可能な場所をコアロッドで調査、金からの電子を捉えた場所。
6.調査結果の纏め
(1)試掘により、当該場所の地下 1200~2200㎜ の約 1m間には金からの電子を捉えることができる 金鉱石が存在している。
(2)敷地内では広く金からの電子を捉えることができる金鉱石が存在している。
(3)加えて、敷地内から小田川方面に向かって幅約 6m で、その金鉱石の存在は続いている。 敷地内(田圃)から小田川方面との高低差から、幅約 6m の階段状の遺構が存在していると考え られる。
7.考察
(1)調査結果は、当地の地下に金鉱石が敷き詰められた地下遺構が存在していることを示していると 考えられる。 それは、小田川方面から階段状の遺構が延びており、その階段を昇った先に今回調査した敷地内 が位置して おり、その様相からステージ状の祭祀場の存在を想定できる。
(2)一方、当地の磁北に位置する標高 836 には前方後円墳とハート型のコンターラインが築かれてお り、 私の研究では、その前方後円墳こそイエス・キリストの墳墓である。
(3)更に、当地には、数多くのフェニックスコードが結ばれる。
これらの状況証拠は、当地が古代の祭祀場であったことを示しているものと考えられる。
また、添付資料2より、ここはイエス・キリストを祀っていた場所であり、邪馬台国(正式には邪馬壹国)時代 は初代斎王として卑弥呼女王が祭祀を執り行った祭祀場所でもあったと考察する。
人工的な稜線を想起させる山肌の間からのぞく冬至の日の太陽は、その祭祀が、まさに冬至の日に執 り行われたことを示しているのではないだろうかとさへ思われる。
8.纏め
今回発見した『HANIOKA 遺跡跡』の意味するもの、その歴史的・文化的価値は、日本国及び日本人 全体の 財産であり、ひいては世界の宝物であると考える。 その事実は、とても一個人あるいは一事業者が、それを保有し、何らかの運用を行えるような次元 を遥かに 超える存在である。
この発見の事実を、いち早く、公開し、国家・国民の手に戻し返すことが最重要と判断し、ここに 『HANIOKA 遺跡跡』と命名し、遺跡発見届を提出した。 国家・国民の手で、一日でも早く HANIOKA 遺跡の全貌を解明し、真実の歴史を取り戻してもらいたいと 切に願う。
以 上
2025 年(令和 7年)1 月 27 日
上森三郎 ネオガイア(株)代表取締役
(株)T.T.C 代表取締役 世界市民ファーストの会 会 長
添付資料1…コアロッド特許情報
添付資料2…2017.8.31 発刊 「不死鳥のあしあと」より古代史研究成果の一部を抜粋
添付資料3…地磁気伏角と金底深さの計算
添付資料4…試掘結果(柱状図)
添付資料5…地下遺構の地表面測量結果(地縄張り範囲)
添付資料6…当地に結ばれるファニックスコードの抜粋
発刊書籍
宇宙の響きで生きる「ゼロ磁場発生装置」の神秘第一刷 2019 年 7 月 31 日 著者上森三郎 続・世界文明の「起源は日本」だった 発刊 2014 年 7 月 31 日 著者上森三郎・神部一馬 秘 NIPPON の〈超建国〉裏返史 発刊 2015 年 11 月 30 日 著者上森三郎・竹中真理矢 不死鳥のあしあと 発刊 2017 年 8 月 31 日 著者上森三郎 邪馬台国オリオン座説 発刊 2020 年 3 月 14 日 著者上森三郎 不死鳥のあしあと2 発刊 2023 年 2 月 23 日 著者上森三郎

【HANIOKA 遺跡の調査報告_第二部 追加試掘結果】
はじめに
HANIOKA 調査報告(以下報告書)の第一部を補填する為、敷地内を追加試掘した。
場所は、報告書第一部屋内の試掘場所から南西に約 10m、母屋玄関前である。 1/20(月)~25(土)にかけて試掘した結果を報告書_第二部として下記する。
 目次
1.試掘調査の目的
2.試掘場所
3.結果
1.試掘調査の目的
報告書第一部において現在の地表面から『地下△1200~2000㎜ に意図的に組まれた石組』が存在する と報告した。
この石組が、同じ地下深さで、平面的に広がる存在であることを確認する目的で、敷地内において追加試掘を行った。
2.試掘場所 報告書第一部の試掘場所との関係を下図にしめす。
3.試掘結果 添付資料1を参照ください。
4.結果 追加試掘の結果、地下 1200㎜ から始まる石組層が存在していることが確認できた。
5.考察 本試掘結果は、HANIOKA遺跡報告書第一部の結果及び考察を裏付けるものである。
本格的調査の実施による早急な全貌の解明が望まれる。
添付資料1…追加試掘結果
2025 年(令和 7年) 1 月 27 日 上森三郎 ネオガイア ( 株 )代表取締役 (株)T.T.C 代表取締役 世界市民ファーストの会 会長
以上

以下参考資料

HANIOKAの地縄張り
測量図
祭祀場全景(コアロッド調査による推定)

 しかし、この資料は受け取ってもらえなかった。
先に提出した届け出と併せて返却された。
報告書を手に、いさんで神河町教育委員会に向かった私は、この顛末を上森社長にどう報告すれば良いのか、町役場のロビーでしばらく茫然とするしかなかった。
2025 年 1 月 25 日(月)の午後、雨が降ってました。

エピローグ

全てが実際に起こった事…HANIOKA 遺跡、発掘・発見に至る経緯です。
所管部署も、地元の方にも見向きもされていません。
そんな状態で約1年…、T.T.C 事務所で空海様の生誕地ツアーの打合せをしていた時… 具体的には、現地の下見を終えた上森社長と前田さんの、
『前田さん、生誕地をグーグルマップに登録して下さいね。』
『いや~、出来ないんですよね…』
というやり取りの中で、
『あれ?HANIOKA に“祈りの座”が立っていますよ!』 と驚きの発見となったのものです。
しかし、その時は、正直、それだけでした…ただ誰が登録したのだろうという興味だけでした。
でも、上森社長が言うんです。
『このままで良いんですかね~。祈りの座が登録されているという、この事実をみんなに教えなければいけなんじゃないですか、ねぇ。』
『はぁ…、そうですね~』 と、その時は曖昧に応えた私でした。
ところが、今度は、ツアーから帰って来て。
『さぁ、ツアーが終わって…第一の証言者がnoteに顕われましたよ~。
HANIOKAの○○さんも喜んでいましたねぇ。ところで、どうされますか?祈りの座…このままにしておきますか?』
と、上森社長が電話で言う…。
そんなことを言われて、『ほってはおけませんよね…』。
実は、ツァー前に祈りの座を中心にマップを切り貼りしたワードまでは用意していたんですが…そこから先が思い浮かばず悶々としてました。
ああ~、言われてしまったと、それでもう一回マップを見ていた時、本当にフッと頭に浮かんでしまったんです。
 あぁ、これって…無関心を装っていたのは私だと。
それが、本稿のタイトルです。
上森社長が HANIOKA に至る経緯を、少なくとも私の目に映った範囲で、公開する必要がある。
結局、要点を簡潔にまとめ切れず…例によって長文になってしまいました。
充分でないことは承知しています。
でも、そのまま報告します。

祈りの座…ワンダーランドの一丁目一番地”HANIOKA” で逢いましょう。
もう、そう遠い日ではないはずです。
祈りの座から聞こえてくる愛と勇気に感謝します。
ありがとうございます。


#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

いいなと思ったら応援しよう!