第90巻 盛岡市:モリオカノカミの願い
岩手県盛岡市――
川が流れ、山が見え、冷たい風が心地よく鼻を抜けるこの街には、「願いを涼しく爽やかに叶える神様」がひっそりと生息している。
その名もモリオカノカミ。
いつもどこかに佇んでいて、冷房並みに無言で願いを叶えるのが特徴。
住民からは「そよ風系の神」「無音でくる神」「温度調整のプロ」などのあだ名で親しまれている(気づいていないだけかもしれない)。
この日、盛岡の某出版社で働く編集者・貴之は、疲れ切っていた。
「また、暑苦しい原稿が来た……。登場人物全員叫んでるんだけど……誰か一人くらい黙っててくれ……」
そうぼやいた瞬間、彼のデスクに置いてあったレモンティーが、急にキリッと冷えた。
「えっ? え? 冷蔵庫入れてないのに……?」
それが、モリオカノカミとの出会いだった。
翌日から、彼のまわりでは小さな異変が起こり始めた。
・電車で隣に座る人が、なぜかみんな静かで読書中
・飲食店で頼んだ担々麺が、ちょっとだけ“冷やし担々風”になって出てくる
・編集部のBGMがいつの間にか“ヒーリング津軽三味線”に変わっている
そして届いた次の原稿は――
登場人物のほぼ全員が「間」で会話していた。
セリフが五七五調で風情すらある。
「なにこれ、めっちゃ……涼しい……」
思わずつぶやいた貴之の背後で、ふわっと冷たい風が吹いた。
神様の仕業だ。
その夜、彼のもとに届いた謎の書状。
貴殿の「静けさ」への願い、爽やかに了承いたしました。
しばらくは“氷柱モード”にて運用いたします。
なお、過度な熱血・情念・物理的加熱行為には冷却措置が入りますのでご了承ください。
―モリオカノカミ
「神様って、冷却モードとかあるんだ……」
ちなみに翌朝、会社の給湯室にあった“情熱系ポエムカレンダー”が全ページ“季語系短歌”に差し替えられていた。
やがて貴之は、自分でも気づかぬうちに“爽やか編集者”として名が広まり始めた。
・打ち合わせで“冷静なフィードバックが沁みる”と評判
・作家から「あなたに原稿見せると落ち着きます」と依頼殺到
・冷たい麦茶と一緒に届くのは、やたら静かに泣ける掌編小説
それでも貴之は驚かない。
「……きっとまた、あの神様が“少し冷やして”くれたんだな……」
盛岡の朝は涼しい。
川の音と、鳥の声と、誰かの「ちょっと整った願い」が、
静かにそっと叶っていく。
今日もモリオカノカミは、誰にも気づかれず、
冷やし続けている。
──人間と、その心の中を。
──完──
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