鍋奉行、星になる
冬――。
それは、人間関係が鍋の中で煮詰まる季節。
「はい!しいたけはダメです!それ、出汁用ですから!」
そう叫ぶのは、職場の飲み会で毎年鍋を仕切る男、戸塚係長。
通称、“鍋奉行”。
誰が決めたか知らないが、社内では「戸塚の前では白菜すら自由に入れられない」と恐れられている。
今年も例年どおりの飲み会が開催された。会場は、課長のいとこがやっている居酒屋「ぐつぐつ屋 本店」。店内には「鍋一筋三十年」の書が飾られている。だが今日ここでその三十年の常識が崩れるとは、誰も予想していなかった。
「すみません、予約してた営業三課の者ですけど……」
現れたのは営業三課の面々。そしてその中に、一人だけ異彩を放つ新人がいた。
髪の毛はピンク、爪には箸が刺さっても違和感のない鋭さ、首からは「味の素マスコットキーホルダー」。そう、彼女の名は――
「えーっと……新人の、鍋野です!趣味は鍋!」
名前からして鍋。しかも「趣味鍋」。これはもう、鍋奉行との一騎打ちしか見えない。
宴は始まり、ぐつぐつ鍋が運ばれてくる。
戸塚係長はさっそく指示を飛ばす。
「まずは昆布を10分、手を出さないで。そこから椎茸、鶏肉、次にネギ。白菜は最後!絶対!」
「失礼します!」と鍋野が手を挙げた。
「私、鍋奉行道初段なので、独自流でもよろしいですか!?」
「初段ってなんだ!?」
戸塚のツッコミが冴えるも、鍋野は涼しい顔で鍋に手を突っ込んだ。彼女が取り出したのは――
トマト。
「イタリアン風です。赤があれば心も温まる。これ、社内恋愛成就率27%の『恋鍋』レシピです!」
「営業数字かそれ!?」
続けて鍋野は、チーズ、オリーブオイル、そしてなぜかマシュマロを投入。
「甘味は大事!塩味を引き立てます!」
「お前、鍋を何だと思ってるんだ……!」
戸塚はぶるぶる震える。手の中には自作の「具材投入順マニュアル(ラミネート済)」が握られていた。
しかし不思議なことに、誰も文句を言わなかった。
いや、むしろ――笑っていた。
課長はトマト鍋をすくいながら「これはこれでうまいな」、隣の経理部長は「マシュマロ、意外と悪くないぞ」。新人の佐久間なんか涙を流していた。「うち、こういう自由な職場、好きっす」
戸塚は……笑えなかった。
自分の鍋が、誰にも求められていなかったような気がして。
席を立ち、そっとトイレに向かう戸塚。その背中を見て、鍋野が箸を置いた。
「……あの、少し、行ってきます」
トイレの前、戸塚は洗面台に手をついていた。ふと、鏡越しに背後に立つ鍋野の姿を見て、ぎょっとする。
「見ないでくれ……今の俺は、ただの茹でられた白菜なんだ……」
「いやそれ、だいぶ美味しそうですけど」
「うまいこと言うな!……いや、いいんだ、別に。鍋なんて、どうでも……」
「戸塚さん」
鍋野の声は、意外とやさしかった。
「私、小さい頃に近所の“鍋じい”っておじいちゃんに鍋の基本を教わったんです。“鍋は人を映す鏡”って言われて。みんな違って、みんなウマい。それ、戸塚さんの鍋からも感じましたよ」
「……うまいこと言うな……」
「だから、一緒に作りませんか?新しい鍋を」
その一言で、戸塚は決意した。
「……わかった。まずは出汁だ。愛とチームワークで煮込む、我らの新・営業三課鍋だ!」
翌週――
社内報には、「営業三課の鍋、社長賞受賞!」の文字。
なんと社内料理コンテストに即興参加し、まさかの金賞を取ったのだ。
副賞は、社食の年間無料パス。
表彰式で、戸塚と鍋野が肩を並べて立つ。
戸塚はそっとマイクを握った。
「人生、いろんな鍋がある。味噌、キムチ、トマト、闇鍋……でも、何より大切なのは――」
「――同じ鍋を囲める仲間ですよね!」
二人で同時に言って、爆笑が起きた。
帰り道。空を見上げた戸塚は、星を見つけてつぶやく。
「……鍋じい、俺もようやく、煮込めましたよ」
夜空には、湯気のような雲と、小さく光る“鍋星”が、確かに輝いていた。
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