黒いハートのバレンタイン
「問題はここよ、ここ。ハートが黒いの」
佐東ミチコ、通称ミチコ先生は、地元で人気のパン教室を主宰している――のだが、今年のバレンタインは、どういうわけか「ダークな気持ちをそのまま表現したい女子たち」がこぞってやってきて、教室が一種の闇市場の様相を呈していた。
「この黒いチョコ、誰にあげる予定なの?」
「……元彼です」
「笑顔で言わないの!黒ハートが本物に見えるじゃないの!」
教室のカウンターには、通常の赤いハートチョコとは真逆の、闇が凝縮されたような黒光りのハートたちがずらり。
ミチコは頭を抱えた。が、さらに面倒な客がやってきた。
「こんにちは〜、チョコよりも、魂を詰めたいんですけど」
「……どちら様でしょうか」
現れたのは、漆黒の全身タイツにマントを羽織ったような出で立ちの男。
「私、黒井です。黒井ハルオと申します。職業、ネガティブアーティストです」
「どういう職業よそれ。芸名なの?本名なの?」
「両方です」
どこまでも黒い。心も服も履歴書も黒かった。
「バレンタインに“呪い成分高め”のチョコって、いけます?」
「うちは食品衛生法のもとで運営してるから、“成分”が呪いだと……ちょっと……」
「“想い”なら問題ないですよね?」
「……まあ、法的には」
こうして始まった「黒いハートワークショップ」。黒井ハルオが自ら作った“闇のレシピ”を女子たちに披露し始めたのだが、内容がひどい。
「チョコレートにほんのひとさじ、失恋の涙を混ぜてください。固まりが悪くなる場合がありますが、それはあなたの感情次第です」
「え、これ理科じゃなくて呪術じゃん」
「感情とカカオは化学反応します。これ、常識です」
女子たちの目が輝き始める。
「ちょっと、妙に説得力あるんだけど!」
**
騒動を聞きつけ、いつもミチコの教室を手伝ってくれている近所の小学生・カンジが乱入してきた。
「先生!パン生地が自己発酵してます!」
「そんなもんこの世に存在しないわ!」
「だってほら、黒井さんが“感情を込めると生地が勝手に動く”って言ってました!」
「黒井、てめぇぇぇっ!!!」
ミチコは黒井を引きずって教室の裏に連行した。
「あなた何が目的なの!?このままじゃ生徒が“黒魔術×製菓”みたいな方向で目覚めちゃうじゃない!」
「違うんです、ミチコ先生……私はただ、報われない愛の美しさを……チョコに封じたいだけで」
「ポエムいらない!」
しかし、ミチコはあることに気づく。
――黒井の目が、案外優しい。
――むしろ、一番純粋に“誰かに想いを届けたい”って感じてるの、黒井じゃない?
「……あんた、バレンタイン、誰に渡すの?」
「え?」
「今さら“自分自身”とか言ったら回し蹴りするから」
「……ミチコ先生、です」
「……え?今なんて?」
「うん。ずっと前から、先生の笑顔が、心を照らしてました。黒く塗っても、どうしても、そこだけ……白く輝いちゃう」
「……バカね」
「はい、重々承知です」
**
2月14日当日。教室には、笑顔でチョコを手渡す女子たちと、やや困惑しつつも受け取る男子たち。
その中で、ミチコは裏でこっそり“あるチョコ”を見ていた。
真っ黒なハートの表面に、白い文字で書かれていた。
「黒くても、まっすぐに想っています。黒井」
ミチコは、クスッと笑って、チョコを口に運ぶ。
「……なんか、思ったより、甘いじゃないの」
まわりの女子がざわつく。
「え、ミチコ先生、黒井さんに“黒ハート”渡されたってマジ?」
「本命じゃん!」
「黒いけど、本命じゃん!」
**
こうして今年のバレンタイン、パン教室は史上初の「呪い系チョコ教室」として、翌月には“ホワイトデーのための除霊パンづくり”ワークショップが開催されることになる。
全ての元凶、いや、功労者の黒井ハルオは、今日も黒いハートを手に、人生をちょっとだけ前向きに生きていた。
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