第39章 西宮市:ニシノミヤノカミの願い
西宮の朝は、どこか球場のざわめきに似ている。阪神甲子園球場があるせいか、夏でもないのに近所の子どもたちはグローブを手に走り回り、おばちゃんは「昨日の試合、見た?」と挨拶のように聞いてくる。
そして、西宮神社の裏手――ひっそりとした杜の奥に、「神」と書いて「虎」と読むような、異様な空気を纏った神がいた。
その名も、ニシノミヤノカミ。陽気でお祭り好き、阪神タイガースのユニフォームを正式な神装束として認可している唯一の神様である。
この神は、願いをスポーツ寄りに変換して叶えるクセがあり、たとえば「彼と仲良くなりたい」と願えば、なぜか“ダブルスのペアを組む”ことになり、「プレゼンで勝ちたい」と祈れば、社内でプレゼン甲子園が開幕する、という具合だ。
この日も、神様は甲子園近くの焼き鳥屋の裏で、三塁側応援団の太鼓のリズムに合わせながら、どこからか漂ってきた焼き鳥の香りに釣られて浮かれていた。
「今日もええ試合になるで……って、試合ちゃうけどな。でも願いが来たら、わしの出番や!」
そこへ、一人の青年が神社に向かって頭を下げていた。
朝陽。彼は、地元の高校で野球部のマネージャーを務めている。選手ではない。だが、誰よりもグラウンドを愛し、選手の努力を信じ、いつも期待に応えようと無理をしていた。
「……せめて、チームに何か“勝ち運”みたいな流れが来たら……」
その言葉を聞いた神様は、笑みを浮かべながら太鼓をどんどんと打ち鳴らした。
「任しとき!流れは作るもんや!ついでに打線も繋げといたるわ!」
次の日から、野球部の試合運びが異様に“流れのいい”ものになり始めた。
まず、相手校のエースがまさかの電車遅延。試合開始時間が30分遅れたことで、朝陽のチームは十分にアップができた。そして、最初のバッターがまさかのランニングホームラン。
ベンチの士気は爆上がり。応援席では「え?こんなドラマティック展開、マンガか?」と保護者たちがどよめいた。
さらに、次の試合では、守備位置に急遽回された選手が、今まで取ったこともないファインプレーを連発。
「なんか、今日は風が味方してる感じがする……」と選手たちは口々に言ったが、背後で見ていた神様が全力で六甲おろしを吹かせていたことを彼らは知らない。
その一方、朝陽の幼なじみである菜緒は、そんな不自然すぎる勝ち運に違和感を覚えていた。
「朝陽、なんか……最近運良すぎない?」
「そ、そうかな……いや、地道な努力の賜物かも」
「ほんとに?」
「……うん、たぶん……いや、神様の……いや、努力!努力の賜物だよ!」
朝陽の目が泳いでいるのを見て、菜緒はにやりと笑った。
「ふーん、まあいいけど。あんた、プレッシャー背負いすぎて爆発しないでよ?」
そう、菜緒は“他者と協力して目標を達成する”ことに長けたタイプ。だからこそ、背負いすぎる朝陽のことを心配していた。
野球部の好調ぶりに、校内の空気もどこか陽気になり始めていた。先生たちは「うん、最近生徒たちが元気でいいなあ」とほほえましく見守っていたが、生徒会は頭を抱えていた。
「なんで文化祭が“スポーツ祭”になってるの!?」
叫んだのは、生徒会副会長の泰虎。出世志向が服を着て歩いているような彼は、文化祭のテーマを「知と創造の融合」としていたはずだった。が、朝陽たちが提案した「グラウンドでの100人バッティング大会」がまさかの全校生徒の投票で採用されてしまったのだ。
「おい、朝陽!お前なに考えてるんだ!」
「え、えーと……ほら、健康的で、皆の団結力も……!」
「知も創造もどこいった!? これはもう“筋肉と根性の融合”やないか!」
そんな泰虎の怒号の中、ステージ装飾を担当していた里理は、舞台にスパイク型の照明を取り付けながら、ひとこと。
「まあ……状況に流される方が楽じゃない?」
「そんな理由で文化祭の方向性が決まってたまるかーっ!」
泰虎の叫びもむなしく、体育館では「三段跳び演劇」「応援合戦演舞」「アクロバティック調理実演」など、もはや文化祭というよりスポーツの祭典が展開されていた。
ニシノミヤノカミはその様子を神社の屋根から眺めながら、かすかに反省の気配を滲ませていた。
「……ちょっと盛りすぎたかもなあ。願いを叶えすぎると、たまにヘッドスライディングみたいに滑るんや……」
神様がそっと胸元の六甲おろしの御守りを握ると、風向きがふわっと変わった。
そのとき、朝陽が一人でステージ裏に座り込んでいた。文化祭は成功している。生徒たちは笑っている。でも、なんだか自分だけが空回っているような感覚があった。
そこへ、菜緒がやってくる。手には小さなペットボトルのスポーツドリンクを持っていた。
「はい、飲め。で、正直に言いなさい。願い、なんかしたでしょ?」
朝陽は黙ってうなずいた。
「……神様が、ちょっとだけって言ってくれたから」
「そっか。じゃあ、“ちょっとだけ”って言葉、大事にしようよ」
その言葉に、朝陽の胸にしみるような感覚が走った。がむしゃらに何かを動かすのではなく、“ちょっとだけ”手を添える。そんな支え方があってもいいんだと。
文化祭の最後、全校生徒でのリレーが終わったあと、ステージの裏で、ニシノミヤノカミはひとりつぶやいた。
「願いは叶えるもんやけどな……叶えた後、どう動くかは、本人の采配や。わしは、ベンチの端っこで見守る監督くらいがちょうどええわ」
六甲おろしが、風に乗ってゆっくりと空へ消えていった。
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