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謎の国旗Tシャツおじさん

 日曜日の午後、商店街のベンチに一人の男が現れた。年の頃は五十代後半、ハンチング帽にサングラス、そしてなぜか――真っ赤なTシャツに白い四角、その中に「I」と刺繍された謎の国旗。

 「インド??」
 そう思った通りすがりの女子高生・ミホが、つい声に出してしまった。すると男は素早く反応し、眉間にシワを寄せて近づいてくる。

 「違う」
 「えっ」
 「これは“心の国旗”だ。インドではない。“イマジネーション・ナショナル・ディスプレイ”、略して”I”だ

 ミホは思わず首をかしげた。「なんか苦しい略じゃない?」と思ったが、それより男の顔が本気だったことに動揺した。

 「この国旗はね、“内なる国民”のしるしなんだよ」
 「内なる……?」
 「誰の心にも、国がある。政治もない、税金もない、年金も自己責任。それが”I”だ」

 怪しい。限りなく怪しい。だが、男子高校生のリョウが興味を示して近づいてきた。
 「その国、兵役あるんですか?」
 「ある。ただし“気まずい沈黙に耐える訓練”という名の兵役だ」

 この説明にリョウは共感してしまった。
 「うちの親戚の集まり、それっす」

 謎の国旗Tシャツおじさんは、その後も語り続けた。

 「”I”の国家は、みんなの脳内で流れる“ポジティブ口笛”。食事は“思い出の味”から抽出されるカレー風ペースト。通貨は“他人に見せたくない黒歴史”だ」

 商店街のスピーカーから流れる“ようかい体操第一”がBGMになる中、おじさんの教義はますます飛躍する。

 「我が国の法律第一条、“考えてもムダなことには一度踊ってから向き合うべし”」
 「第二条、“仕事は午前11時からでいい”」
 「第三条、“電車の中でうっかり鼻歌を歌っても減点されない”」

 ミホがぼそっと言った。「なんかもう、それ、ただの理想郷じゃん」

 「違う! 理想は“叶わぬ夢”。”I”は“なんかいけそうな気がする妄想”だ!」

 その瞬間、リョウが突っ込んだ。
 「え、じゃあそのTシャツ、どこで売ってんすか?」
 「作った」
 「どこで?」
 「……町内のシルクスクリーン講座」

 ようやく真実が垣間見えた。

 どうやらこの男、実際は地元公民館で週一開催されている“創作Tシャツ講座”のベテランで、仲間内からは“染色のジャイアン”と呼ばれているらしい。

 「でもさ、なんでそんなに“国”にこだわるの?」ミホが聞いた。

 男は、ちょっと遠くを見つめて言った。
 「昔、勤めてた会社で、“お前、なんでそんなに自分ルールなんだ”って叱られてさ。だったらいっそ、俺ルールの国を作ってやろうって思って……」

 微妙に切ない話だった。ミホはそっと財布から百円玉を出した。
 「そのTシャツ、もし本当に売ってたら、百円くらいで買ってたかもね」

 男はにっこり笑った。
 「それで十分。”I”では、気持ちが通じたら即通貨成立だから」

 そう言うと、ベンチの下からくしゃくしゃの封筒を取り出してミホに渡した。中には折りたたまれたTシャツと、手書きの“入国許可証”が入っていた。

 ——午後五時。
 Tシャツを着たミホが駅のホームで笑っていた。
 胸元には誇らしげに刺繍された「I」の文字。

 となりにいたリョウがつぶやいた。
 「今日から俺もこの国の一員ってことでいいすかね」

 ミホは鼻で笑って答えた。
 「いや、あなたまず“気まずい沈黙に耐える兵役”からだから」


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