『キャプテン村崎、初フライトで上空迷子になる』
「本日、皆さまを目的地までお連れするのは、弊社初の女性機長、キャプテン村崎でございます」
機内アナウンスが流れた瞬間、ざわめく乗客たちのなかで一際声が大きかったのは、非常口付近に座る中年サラリーマンだった。
「ほほう、女機長か。いや、もちろん応援してるがな。初フライトって言ってたぞ?初任務とフライト間違えてないか?ガハハ!」
隣の妻に肘でつつかれて口を閉じたが、数分後、村崎機長本人の声が響く。
「皆さまこんにちは。キャプテン村崎です。私にとって今日は“初フライト”です。といっても、訓練フライトは500回以上こなしてきましたのでご安心ください。……地図を見ながらがんばります!」
「地図!?」
また機内がざわついた。
もちろん、冗談のつもりだった。だが、村崎美咲機長(32)は、思った以上に「冗談が通じないタイプの顔」をしていた。
整った顔立ちにキリッとした目元。帽子もぴしっと決まっていたが、その完璧さが逆にジョークを一切許容しない印象を醸し出してしまっていた。
──離陸は順調だった。
乗客たちは「案外いけるのでは」と思い始め、CAたちも「やっぱり村崎さん優秀よね~」と安心し始めていた。
だが、事件は高度3万フィートで起こった。
「副操縦士の皆川です。……キャプテン、目の前の雲、ちょっと普通じゃありません。えーと……立体感が異常です」
「立体感……?」
「はい、なんか……雲というより“泡立てたメレンゲの群れ”みたいな……」
そこに突っ込んだ。
バッファアアアアン。
激しい揺れ。機体がくるくる回り、コンパスがくるくる回り、村崎の心もくるくる回った。
「現在、少々風の強い空域を通過しております。お飲み物をお持ちの方は……えー、自己判断でお願いします」
それだけで客室全体が黙った。どんな自己責任フライトだ。
やがて雲を抜けた機体は、静かになった。
静かすぎた。
「……皆川、副操縦士。今、どこ?」
「たぶん、北海道……?」
「は?」
「いや、下に……牧場があります。牛がいて……牛が……立ってます」
「立ってるよそりゃ」
「でも機体のセンサー、今“海上”って言ってるんですよ。おかしいな……」
村崎はそっと、機内マイクを手に取った。
「皆さま。お知らせがございます。……現在、正確な位置が、わからなくなっております」
歓声と悲鳴と「やっぱりな」の声が交錯した。
「ですがご安心ください。私には、この“感覚”があります!」
「それが一番こええんだよ!」
もはや乗客との一体感は、ライブ会場のそれだった。
このままでは混乱が広がる一方。そこで副操縦士・皆川が提案した。
「村崎さん、“伝説の無線機”使いましょう!」
「なにそれ」
「倉庫にあった、旧型の無線です。先輩が言ってました、“非常時には心が通じ合う”って」
「なんそのスピリチュアルな道具!?」
しかし他に手段はなく、2人は旧型無線をONにした。
「こちら、迷子です。繰り返します、こちら迷子です。空を漂っております。助けてください」
すると、プツッ……と音がして、低い声が返ってきた。
《おいおいおい、空で迷子なんて……おまえ、村崎か?》
「えっ、誰!?」
《俺だよ、元機長の田無(たなし)だ。無線拾っちまったよ。引退してベランダでトマト育ててたのに》
「田無機長!?ほんとに? どうして?」
《知らん。アンテナがよく伸びてるからかもな。で、今おまえ、どのへんだ?》
「牛が……立ってます!」
《それじゃわからん!》
結局、田無機長の的確すぎる指示とGPSのサポートで、機体は無事空港へ引き返し、1時間半遅れで着陸した。
降りる際、件のサラリーマンが村崎に言った。
「……いやあ、まさか本当に地図見ることになるとは思わなかったよ」
村崎はちょっとだけ笑った。
「次回は、“動物の立ち方”以外で位置を判断できるようにしておきます」
乗客たちの拍手が、空港に響いた。
──ちなみに、あの旧型無線は後に正式な備品として整備され、「心でつながる無線」として全国の操縦士に愛されることになる。
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