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『しゃべる犬が言いました。「それ、今日言う?」って』

 ある日、アパート2階の一室で、会社員の三井タケルは、とんでもない“違和感”を覚えていた。

 いつも通りに朝ごはんを食べ、歯を磨き、出勤準備を終え、
 いつものように愛犬のコタロー(柴犬・9歳)に向かって言った。

「コタロー、留守番頼むな」

 と、そのとき。

「おっけー 俺もうベテランよ?」

「うん、ごめんな、帰ったら――」

 そこで一瞬、脳内に警告音が鳴った。

 ――おかしい。今、犬が返事した。

「……今、喋った?」

「え? あ、えっと……ば、バウ?」

「いや今“ベテラン”とか言ったよね!? 語彙力、そこそこ高くなかった!?」

 タケルは腰を抜かし、床に座り込んだ。

 コタローは、気まずそうに視線をそらした。

「バレたかぁ……」

「バレたじゃないよ! ていうか、お前……ずっと、喋れたの!?」

「うん、でも黙ってた。だって、黙ってたほうがチヤホヤされるから」

「性格、リアルすぎない!?」

 コタローは、鼻でため息をつきながらソファに寝そべった。

「タケルがさ、“コタローが唯一の癒しだ”って言うたび、ちょっとプレッシャーだったよ」

「ご、ごめんね……でも、しゃべれたなら言ってよ!」

「いや、“話す犬”ってバレたら絶対バズるでしょ? ニュースになる。記者来る。俺、散歩すら行けなくなる」

「それは……まぁ、そうかも……」

「だからさ、“バレない範囲でちょっとだけ喋る”っていう、微妙なバランスを保ってたのに」

「どんな高度なバランスだよ!」

 その後、タケルは会社を休み、丸一日、コタローと語り合った。

「好きな食べ物は?」

「おでんの大根。でも熱々だと怒る」

「なんで怒るの」

「俺の歯茎を考えて」

「人間かよ!」

 そして、夜。タケルがふと漏らした。

「……彼女、できないんだよなぁ」

 するとコタローが唐突に言った。

「それ、今日言う?」

「え?」

「いや、言っていいんだけど……急にしんみりされると困るんだよな」

「ごめん……コタロー相手に、恋バナはやりすぎたか」

「うん。ちょっと犬に求めすぎ。犬界にも“愚痴限界ライン”あるから」

「……あ、でも聞いてほしいことが……」

「それ、月曜にしてもらっていい?」

「曜日指定!?」

 数日後、コタローの「しゃべる犬」能力は、ついにタケルの妹・マリにもバレた。

「兄ちゃん、犬がLINE送ってきたよ。“ドッグフードはプレミアム派”って……」

「うわ、それ俺のiPadで送ったのか!」

「あと、“この家の電気代、ちょっと使いすぎ”って書いてあった」

「節電犬かよ!」

 そのうちコタローは、「家庭内アドバイザー」として地位を確立。

 冷蔵庫の前で「それ、賞味期限切れてるよ」と忠告。
 洗濯物を見て「それ、干し方逆ね」。
 タケルが夜更かしすると「そのNetflix、明日にしとけ」と助言。

「お前、もう犬っていうか、ルンバとAIと保健室の先生を混ぜた存在だな……」

「そっちのほうが給料出そうだけど?」

「何と張り合ってんだよ……!」

 だがある日、コタローが言った。

「……タケル。俺、もうしゃべるのやめようかな」

「え?」

「正直、ちょっと疲れてきた。“しゃべれるペット”って、わりと神経使う」

「え、でも……じゃあ今後どうすんの?」

「今後は、“言葉は話せないけど、目線で伝えるタイプの犬”を演じるよ。ちょっと涙も混ぜて、感情表現強めに」

「犬にしては演技派すぎる!」

 それ以来、コタローはしゃべらなくなった。

 ただ、散歩の途中で妙に「選挙ポスター」に反応したり、ドッグフード売り場で「成分表」を長く眺めたりしている。

 喋らなくても、賢さはあふれていた。

 そしてタケルは、たまにこう思う。

 ――今もあいつ、言葉を飲み込んで、心の中で「それ、今言う?」ってツッコんでるんじゃないかって。


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