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第5話「シャワーで叫ぶ『これは温水!』」

 寮母の田辺が浴場の点検をしていたとき、天井が割れるような叫び声が響いた。
「これはっっっ! 温水ではないかぁぁぁあ!!」
 バァン! と風呂のドアが内側から開き、湯気の中から布を腰に巻いただけの男が飛び出してきた。
 全身から湯気を立て、眼鏡のレンズのように目を輝かせている。
「わしは今、新たなる理の恵みに触れたっ!!」
 その名は——アルキメデス。
 我が物顔で風呂場の床に正座し、タイルの水たまりを指差して叫んでいた。
「見よ、この排水の角度! そしてこの蛇口の精度! しかも……湯が……一定温度に保たれておる……!」
「ちょ、ちょっと! 裸で廊下に出ないでっ!」
 田辺が急いでバスタオルを投げるが、アルキメデスはそれを頭に巻いた。
「異国の冠だな。儀式か?」
「いや、ただのタオル! タオルです!!」
 —
 話は数時間前にさかのぼる。
 —
 その日、寮では「水回りの使い方」講習が行われていた。
 シャワー、洗濯機、炊飯器、トイレのウォシュレット機能——。
 松井は一つひとつ、真剣にアルキメデスへ説明していた。
「いい? レバーをひねると水が出る。これが冷水。で、こっちが温水」
「……温水とは?」
「温かい水。蛇口の中で混ぜてるの。湯沸かし器ってのがあってね、ガスと水が——」
「待て、ガスと水を、管の中で“合成”している……? まさか、それを常時供給しておると……!?」
「まあ、そうね。今の時代は“お湯が出るのが当たり前”って感じだから」
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」
 そしてその“発見”が先ほどの絶叫に繋がるのである。
 —
 風呂場で全力ではしゃぐアルキメデスは、温水の存在に感動しすぎていた。
「この熱さ! この柔らかさ! これは……火と水が、完璧な均衡を保った結果……まさに哲学的均衡の液体ではないか!!」
「誰かこの人止めてー!」
 寮生たちがわらわらと駆けつけ、騒然とする風呂場。
 その中でも、アルキメデスの感動は止まらない。
「わしは思う。人間は“火”と“水”という対極の元素を、ついにここまで調和させたのだ! しかも、蛇口一つで! ……これはすでに、神の技ではないか!」

 風呂場でひとしきり絶叫したあと、アルキメデスは「この液体にさらなる熱を加えたらどうなるのか……」と真顔で語りながら、炊飯器のある調理室へ移動していた。
「……というわけで先生、今日から“水加熱探求編”らしいです」
 松井が深いため息をつきながら、寮の炊事室を指差す。
 そこには最新型の炊飯器、電気ケトル、電子レンジがずらりと並んでいた。
 アルキメデスはその前に立った瞬間、神殿に立つ僧侶のような神妙な顔をした。
「……これは……何だ? この寸胴の器、蓋が密閉されておる。外に炎は見えず、煙も出ぬ。では、どうやって“熱”を加えている……?」
「それが“電気”です」
「でんき……?」
「火を使わずに、熱を伝える力。目には見えないけど、そこにある。まあ、雷みたいなもんだけど、安全なやつ」
「見えぬものが、熱を……? それは……火を超えた神の力ではないか……!」
「いや、科学だから。神じゃなくて、科学!」
 —
 その後、アルキメデスは洗濯機の前に移動した。
 蓋を開けて中を覗き込んだあと、「この回転機構……滑らかすぎる……」と目を見開く。
「円が回る。水が加えられる。しかも、内部で水流が生じ、衣類を清める……この機構、まさに“家庭用渦流装置”ではないか!」
「いや、そんな大層な名前じゃないのよ……ただの洗濯機よ……」
「しかも、これに洗剤という“泡の粉末”を加えると……?」
 彼は寮母から借りた洗濯用洗剤を手に取り、じっと眺める。
「香りがある……泡立つ……水で薄まる……まさにこれは、精霊の粉……!」
「やめてそれ! 精霊の粉とか言うと、違う方面で通報されるから!」
 —
 そのあともアルキメデスは、給湯器の温度調整つまみをいじって「これは……温度を自在に操る“火の精”か……!」と語り、冷蔵庫の製氷室を開けて「こ、この白き石は……冷たっ!? 指が……指が凍れるっ!」と騒ぎ、電子レンジに至っては「中で物が光っておる……これが……雷の小箱……!」と床にひれ伏した。
 —
 見かねた寮母がぽつりと呟いた。
「この人、理屈で全部説明しようとするのね……。理屈の人なのに、感動の仕方が詩人っていうか……」
 松井が返す。
「ですね……でも、そういう人が“原理”ってものを見つけてくれたのかも。日常を理屈で見て、驚いて、感動して……」
 —
 夜。
 自室に戻ったアルキメデスは、浴室から持ち帰ったコップ一杯の“温水”を前に、再び考えていた。
「この水の温度。手に心地よいぬくもり。これほど自然に、人体に適した水温が、指先一つで得られるとは……」
 そして、ぽつりと呟いた。
「この時代の人々は……なんと豊かなことか。彼らは、知らぬうちに“理”に包まれて生きている……」
 —
 そう、アルキメデスにとって現代の“便利さ”とは、理(ことわり)によって作られた、静かなる奇跡なのだった。
(第5話 完)


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