第58巻 富山市:トヤマノカミの願い
「清らかに。清らかにあれよ、人の心も流れる水のごとく……」
朝の富山城跡公園に、その神様は佇んでいた。
トヤマノカミ。立山連峰の清水を愛し、万年雪のように冷静な神である。
願いを叶えてくれる――ただし“清らかな心”に限る。
そんな口コミが、富山市民の間でそっと囁かれていたが、実際に願いを叶えてもらった者は少ない。なぜなら……
「神様……お願いです。うちの息子、受験生なんです。なんとか志望校に――」
「その心、にごっております」
「えっ」
「欲が……強い。まずは自らの欲を水に流し、己を見つめ直すがよい」
「いや、それやってる時間ないんですけど!?」
トヤマノカミは厳しい。というか、ストイックすぎる。
川の水質チェックも日課である。バケツと試験薬を持って神社の裏手を回る神様なんて、全国的に見ても稀である。
だが、ある日、そんな彼の前に“ある意味、最強に清らかな願い”を持つ男が現れた。
「こんにちは、神様! あの……僕、銭湯経営してるんですが……最近お客さんが少なくて……」
「……清らかな話よの。申せ、名は?」
「杉野です。『湯の心・すぎの湯』ってとこで。じいちゃんの代からやってて……今は僕一人で。あ、でも別にお金が欲しいとかじゃないんです。お湯を、もっと気持ちよくしたいだけなんです!」
「……!」
神様の目がきらりと光った。
銭湯のお湯をもっと清らかに。富山の水をさらに極める。まさにトヤマノカミの大好物である。
「よかろう。ならば、わしの“水の祝福”を授けようぞ」
「えっ、それって……」
「湯船に、これを入れよ」
渡されたのは、なんかこう、見た目がただの小石。しかも湿ってる。
「……これ、何の石です?」
「立山の岩清水が百年かけてしみ込んだ“まこと石”じゃ。ひとたび湯に沈めれば、あら不思議――」
「湯気が……まろやかになってる……?」
「目にしみぬじゃろ」
その後、“すぎの湯”にはひそかに客足が戻り始めた。
「なんか……この湯、心が洗われるわぁ……」
「帰り道、仕事の悩みが半分になってた気がする」
「旦那が久々に“ありがとう”って言った。気持ち悪いけど嬉しい」
清らかな水に、人の心も流されてゆく。
もちろん、何もかもがうまくいくわけではない。ときには“まこと石”を洗剤と間違えて漂白槽にぶち込むアルバイトもいた。
トヤマノカミは怒らなかったが、石が3日ほどすねて濁った。
それでも――
杉野の湯には今日も、新たな「心の垢」を洗い流しに来る人が絶えない。
そしてそれを、川のほとりから静かに見守る神様がひとり。
水質チェックバケツをぶらさげながら。
「……まあ、ええか。今日は合格じゃな、この水」
トヤマノカミは、ほんのり笑った。
いいなと思ったら応援しよう!
楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。