『喫茶ナヤムン、悩み相談一杯いかが?』
駅から徒歩15分、ちょっと路地裏に入ったところに、その店はある。
――喫茶ナヤムン。
看板には「悩み、一杯で軽くなる。」と手書きで書かれている。
メニュー表にはこうある。
ナヤミブレンド(軽めの恋バナ向け)
ディープモヤモヤ(職場用)
ストロング不満ラテ(親族・義実家専用)
限定:自分でも何が悩みか分からんティー(+300円)
もちろん、飲み物の話ではない。すべて「悩み相談」のコース名である。
「いらっしゃいませ~、今日のお悩み、浅めですか? 深めですか?」
ニッコリ笑うのは、店主の永見(ながみ)。50代後半、白髪に赤いエプロン、そしてどこからどう見ても“普通の人”なのに、
なぜか「この人には何でも話してしまう」不思議なオーラを持っている。
今日のお客は、会社員の関口和弘(せきぐち・かずひろ)、32歳。
「えっと……“自分でも何が悩みか分からんティー”で……」
「よろしい。じゃあ、あえて味もわからないブレンドでいきましょう」
彼に出されたのは、お湯に沈んだ何か植物っぽい葉っぱの液体。色が謎。香りも謎。
「……これ、飲んでいいんですか?」
「飲まなくていいです。雰囲気です」
「えっ」
永見は、メモ帳とペンを取り出した。
「ではまず、悩んでそうな顔、いただいていいですか?」
「顔、ですか?」
「そう。“悩む顔”がね、だいたいすべての原因を物語るんですよ。うちは顔で見抜く主義でやってますから」
関口は、恐る恐る“深刻な顔”を作る。
「ふむ……眉毛の上がり方が“通勤ストレス型”。目のうるおみ度が“将来不安型”。口角の沈み具合が“彼女に言えない秘密あり型”。」
「そ、そこまで!? 悩み顔、精密診断ですね……」
永見は眼鏡をクイッと上げた。
「で、何に悩んでるんでしたっけ?」
「いや、あの……さっき“自分でもわかんない”って……」
「わかってるから来たんでしょ、あなた。潜在的な悩みほど、ナヤムンは得意なんです」
「もう店名が強引すぎて……」
そこへ、隣の席にいたマダム風の女性が話しかけてきた。
「アナタも“何となくモヤモヤしてる系”?」
「ええ……まぁ……」
「私もそうだったの。そしたら、店主さんが“あなた、スーパーのレジ待ちに人生の怒りを重ねてる”って言ってくれて」
「えっ」
「ドンピシャだったわ。そこから、世界が変わったの。レジの順番、ゆずれるようになったのよ!」
関口は思った。
――なんだこの店。怖い。
だが、その場の空気に押されて、つい口が動いた。
「僕……今の仕事が……嫌じゃないけど、でも“これをずっとやるのか”って思うと、なんか……」
「出ました。“けど症候群”。“嫌じゃないけど”で、心の風邪を引いてる人、多いんですよ」
永見がノートに何やら書き始める。
「あなたは、人生に大きな決断をしたくてウズウズしている。だが“今の環境に文句があるわけじゃない”という縛りが邪魔して、何もできずに“まぁ、いっか”で一日を終えてる」
「……ああああああ……(悶絶)」
「そういう人のための裏メニューがこちら。“もやもやミルフィーユサンド”!」
「食べ物!?」
「見た目はサンド、味は……“何か足りない”。でも、そこがうまい。そんな味です」
「なんという哲学メニュー……」
気づけば、関口はお悩み帳に「やってみたいことリスト」を書いていた。
小さなカフェ開業。昔描いてた絵本。旅。英語。
「それでいいんです。“悩む”って、“自分の好きを探す旅”なんですよ」
永見が、コーヒーを差し出す。ラテアートは、しかめっ面。
「“悩む顔”って、実はね。“何かが始まりそうな顔”でもあるのよ」
関口は、そのコーヒーをすすった。
「……苦っ……けど……なんか、目ぇ覚めますね」
「でしょ?」
その日、喫茶ナヤムンから出てきた関口の顔は、確かにまだ“悩んで”いた。
けれど、その眉の角度は少しだけ、未来の方向を向いていた。
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