それ、どこのマナー講座で習ったんですか?
「では皆さん、今日から二日間、“ビジネスマナー道場”よろしくお願いします」
朝9時。会議室。スーツ姿の新入社員たちがズラリと並ぶ中、私は息を飲んだ。
講師の名は――マナー忍(しのぶ)先生。名刺にはそう書いてあった。本名不明。
にこやかな笑顔の裏に、何かしらの恐怖を感じたのは私だけではないはずだ。
「まず、正しいお辞儀の角度について――“怒られそうなときは45度、でも堂々としたいなら33度”です」
そこまではまだわかる。
だが、次の瞬間。
「では皆さん、ご一緒に。33度で“謝ってないけどちょっと悪い感じ”を演出してみましょう!」
「「はい!」」
研修生たちが、一斉に“気まずさ演出角度”でお辞儀をした瞬間、私の脳がフリーズした。
私は総務の若手社員。今回の研修、担当補佐。
つまり、見学という名の巻き添えである。
「次に、名刺交換です。“下から出すのが基本”とされていますが、理想は“ちょっと悩んでから差し出す”です」
「悩む!?」
「相手の名刺を大切に思ってる感じが出ます。“これは本当に交換してもいい名刺か……?”という葛藤を出してください」
「それ不審者の間合いじゃないですか?」
「感じろ、“迷いの余白”を」
「いや、そこに美学持たせないで!」
午前中の極めつけはこれだった。
「皆さん、電話応対は“声より呼吸”が大事です。ではやってみましょう。電話を取って……」
講師が受話器型の小道具を配る。
受け取った隣の新入社員・藤井くんが、おそるおそる口にした。
「お電話ありがとうございます、株式会社……」
「ダメです」
「ひっ!」
「“あ……”の前に、呼吸が足りません。電話は“あなたを受け入れる準備が整いました”という“吸気”から始まります。吸ってから、“あ……”を」
「そんな空気の使い方ある!?」
「吸う、出す、微笑む、が鉄則です」
「寿司の握り方かよ!!」
昼休み。研修室の外に出た私は、給湯室で頭を抱えた。
カップスープをすすりながら、隣にいたベテラン事務の斉藤さんにぼやく。
「……あの先生、なんであんなに“ビジネス”に哲学入れてくるんですかね」
「でも、去年あの研修受けた子たち、全員“電話丁寧すぎて逆に怖い”ってクライアントに言われてたよ」
「逆効果じゃないですか!」
「でも覚えてもらえるって、武器よ?」
「名刺出すのに“5秒悩む人”が武器になる未来って何……」
午後の研修。テーマは「椅子の座り方」。
「皆さん、椅子に“座る”のではなく、“預ける”のです。腰ではなく、“過去”を」
「“過去を預ける”って何……」
「過去の自分を受け入れた者だけが、真に落ち着いた着席ができるのです」
「就活じゃなくて人生の話になってませんか!?」
終盤、マナー忍先生は静かに言った。
「覚えておいてください。“マナー”とは、“礼儀”ではありません。“距離感”です。あなたが人と心地よくいるための、演出なんです」
……たしかに、それだけ聞くと、ちょっとかっこよく感じる。
でも――
「その演出のために“電話取る前に3秒呼吸”するの、間に合いません!」
「そこは……社会人のアドリブです」
「都合よすぎるっ!」
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