裏か表か、それが問題だ
交番の前で一枚のコインがうなだれていた。
「オレ……もう無理かもしれねぇ」
平成十五年製、百円玉。名を「ヒャッポイ」。人々の手に渡って早二十年。レジで、財布で、自販機で、回転寿司で……あらゆる場所を転がってきた。
だが彼はいま、人生――いや、貨幣生最大の岐路に立っていた。
「裏か表か、コイントスで人生決めるとか、バカだって笑われたさ……けどオレには、それしかなかったんだ……」
ことの始まりは、先週の日曜日。コンビニの募金箱のフチで、ヒャッポイは運命の選択を迫られた。
隣にいたのは、ピカピカに磨かれた五百円玉。通称「ゴエンジ」。この男、腹黒くて重たいくせに、やたら口がうまい。
「なあヒャッポイ、お前もう疲れてるんだろ? いっそどっちかに決めちまえばいいんだ。コイントス、ってな」
「……どっちかって?」
「人間に拾われて、財布に収まって一生レジ勤めか……それとも、見つからずにずっとアスファルトで自由気ままに暮らすか。どうだ?」
「……やるよ」
ヒャッポイは自分で自分を投げた。高く、美しく舞い上がり――
「……表かよ」
それは、「財布人生」確定の面だった。
翌日から、ヒャッポイの激動の日々が始まった。
まず最初に入ったのは、中学生のズボンのポケット。そこから彼は、ソーダの自販機、親に取り上げられてのレジ、そして主婦の財布と、転々と運ばれていく。
「表に出た人生だ、文句は言えねぇ……」と呟きながらも、彼の心には常に“もう一つの選択肢”がちらついていた。
そう、裏の人生――アスファルトの片隅で、小石と語り、セミの亡骸と友情を育む、ノマドライフ。
「オレ、ほんとにこれでよかったのか?」
交番の前まで来たときだった。酔っ払いの落とした財布から、するりと抜け落ちたヒャッポイは、舗装された地面に寝転がっていた。
「……ついに、自由だ」
真上に広がるのは、青い空。背中にはアスファルトの温もり。鳥の声、風の匂い、そしてどこからか漂ってくる焼き鳥屋台のたれの香り。
「これだよ……これをオレは……」
しかし。
「落とし物のコインかな?」
交番の警官がヒャッポイをつまみ上げた。
「はい、これは拾得物として届けておきますね〜」
――収監。
***
数日後。ヒャッポイは透明なビニール袋の中で、他の迷子コインたちと肩を寄せ合っていた。隣にはちょっと古めの十円玉。
「よう、新入り。何してたの?」
「コイントスで人生決めたんだ……」
「ハッ、バカだなぁ。オレなんて、ケンカ別れしたカップルの女の方が投げ捨てたんだぜ。台所で。『こんな男と一緒に買ったたこ焼きなんてもう要らん!』つってな」
「……深いな」
「で、次どうする?」
ヒャッポイはふと、自分の裏側を見た。そこには少しすり減った、でも誇り高い日本国の刻印。
「オレ、もう一度トスしてみるよ。今度こそ、自分で選ぶんじゃなくて……運に任せてみたい」
そう言って彼は、袋の中で静かに宙返りを始めた。
***
数日後、交番に現れたのは、近所の駄菓子屋のおばあちゃんだった。
「この前落としちゃった百円玉、もしかして届いてませんかねぇ……」
「あ、ちょうど来てましたよ、はいこれです」
ヒャッポイは、おばあちゃんの手に包まれた。あたたかく、懐かしい手のひらだった。
数時間後、彼は再び現役として駄菓子屋のレジに戻っていた。店にくる子どもたちは、ヒャッポイを手にしてラムネを買い、また戻していく。
「……悪くねぇな。今度の“表の人生”はさ」
彼はにやりと笑い、きらりと光った。
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