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第31巻 八王子市:ハチオウジノカミの願い

 八王子市の朝は、霧を含んだ山の空気と、歴史の残り香が静かに街に満ちていた。
 古道が交差するこの地には、昔から「見守る神」がいると噂されていた。
 その名は、ハチオウジノカミ。趣味は交通誘導。好物は山の静けさ。やたらと忙しそうな神様である。

 彼の口癖は、「今日も分岐点、多すぎだろ」。
 人の願いも人生の進路も、彼にとっては日々の交通整理のようなもの。
 けれど、彼の“誘導”は、なぜかちょっとした混乱や笑いを生むのだった。

 この日、彼のもとに届いたのは、智哉という青年の願いだった。
「自分の進むべき道を、見つけたい」

 智哉は八王子の地元大学に通いながら、就職活動に頭を悩ませていた。
 真面目で人当たりは良い。けれど、自分が何をしたいのかが分からない。
 何をやっても“そこそこ”で、誰かと比べては心が折れることの繰り返しだった。

 ハチオウジノカミは「分かるわぁ〜それ」と、光る誘導棒を肩に引っかけながら、のそのそと現れた。

「よっしゃ、道案内しちゃる! え〜と、まずは進路、左折でどう?」

 そう言って彼が指し示したのは、智哉の通学路とは正反対の、見慣れない山道だった。

「え、ちょっと待って、それどこに続いてるんですか?」
「人生、寄り道が本道になることもあるから。お前、真面目すぎんのよ。ほら、行って行って!」

 半ば強引に背中を押され、智哉はそのまま山の遊歩道へと足を踏み入れることになった。

 智哉が進んだ先は、八王子の裏山にある旧街道だった。
 舗装されておらず、道の両脇は笹が生い茂り、歩くたびにカサカサと音を立てた。
 最初は不安しかなかったが、山の静けさと空気のうまさに、少しずつ気持ちがほぐれていく。

 途中、ベンチに座る一人の老人に出会った。
「若いの、悩んどる顔じゃな」
 その老人は地元で長く山道整備をしてきた元ガイドだった。
「道ってのは、まっすぐじゃなくていい。曲がりくねってる方が、いろんな景色が見える」

 智哉は、なんとなく心に引っかかったその言葉を胸に刻んだ。

 帰り道、神様は山の上から「どうだった?」と片手を挙げて訊いてきた。

「……まあ、悪くなかったです」
「だろ? で、明日は右折ね」

 次の日、神様は智哉を地元の観光案内ボランティアに送り込んだ。
 街中の案内看板を立て直す手伝いや、史跡の簡単なガイドをする役割。

 最初はただの雑用に思えたが、地元を説明するたびに、智哉の言葉は少しずつ力を持ち始めた。
 子ども連れの観光客が「分かりやすかった!」と声をかけてくれた瞬間、彼の心がふわりと温かくなった。

「伝えるって、こんなに気持ちいいことなんだな」

 凛桜はその変化に気づき、「智哉、前より楽しそうだね」と声をかけた。
 彼女は外見にこだわる性格だったが、人の表情の変化には誰よりも敏感だった。

 やがて、智哉はガイドだけでなく、八王子の歴史や文化を記事にする仕事にも挑戦し始めた。
 観光協会の人から声がかかり、地域の魅力を若者目線で発信してくれないかと言われたのだ。

「最初は道に迷ってただけだったのにな」と、ふと山を見上げてつぶやく。
 その視線の先に、例の誘導棒を振る神様の姿が見えた。

「な、迷子も誘導次第で案内人になるって話よ!」

 八王子の空は高く澄み渡り、風が山道を撫でて吹き抜けていった。
 智哉は手帳を開き、今日も記事の構成を考える。
 道はまだまだ続いている。でも、もう迷っているだけの自分ではない。

「次の分岐点も、まあ、なんとかなる気がします」

 神様はその言葉に満足し、「じゃあ次は進路じゃなく、人生の横断歩道な」と意味不明なことを言って笑った。
 笑って、またどこかへ行ってしまった。


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