側転は突然に 〜父・四十七歳の逆襲〜
「俺、明日の運動会で側転するわ」
夕飯中、父がいきなり宣言した。
味噌汁を飲んでいた母は、鼻から吹いた。弟の涼太(小5)は「また始まった」と箸を置いた。
「……何年ぶりに運動する気だと思ってんの?」
「それ以前に、あんた“回転寿司でも酔う男”じゃん」
父、無言で立ち上がり、なぜかテーブルの横でシャドー側転を始める。
ぐるん。ぐらん。ぐぇぇ。
「あっ、今、腰がパキって言った!」
「やめろ! 明日“ストレッチ参加”になるぞ!」
ことの発端は、小学校の運動会にある。
毎年恒例、PTA競技。
今年はなぜか「親子リレーに“自由演技ゾーン”を設けました!」という、悪ノリなのか実験なのかよくわからない制度が導入されたのだ。
「この50メートル間は、走っても跳んでも踊ってもいいです! 創造力と勇気を発揮しましょう!」
先生たちが全力で企画したらしい。
問題はそこに、父が全力でノッてしまったことだった。
「自由演技ってことは、つまり“側転”もアリなんだよね?」
どこから来るその側転欲。
当日、運動会は雲一つない晴天。
父は、体操服姿で現れた。
というか、昔の高校ジャージで来た。ぜったい暑い。
「お父さん、肩に“燃”って書いてあるけど何?」
「“燃える男”って書いた」
「こわい」
リレーが始まる。PTAの親たちが、妙にやる気に満ちている。
母たちの間では、すでに情報が飛び交っていた。
「B組の父、バク転やるらしいよ」
「うちのクラス、競技中に“般若心経”唱えるって」
※競技中に何をしても良いわけではありません
ついに父の出番。
「自由演技ゾーン、突入〜!」
父は叫びながら、体をぐるんとひねった!
──側転!
……未遂!
手をついた瞬間、体がグシャっと潰れ、そのまま地面にハムのように着地。
観客「……っ!(笑いこらえる音)」
先生「だ、大丈夫ですか〜!」
父、地面でうめきながら「おれは……まだ回転してる……心の中で……」とつぶやいた。
父の自由演技ゾーン、終了。
午後。
救護テントで湿布を貼られながら、父は悔しそうに言った。
「あと3センチ、手が前に出てれば完璧だったのに……」
「お父さん、いつから側転って“寸法の勝負”になったの」
そのとき、ふとスピーカーからアナウンスが流れた。
「今年の“自由演技賞”は……A組の佐藤父子に決定!」
全員「はっ?」
父の失敗は、地元テレビ局のカメラに映っていたらしく、実況の人が「今、世界で一番わかりやすく失敗した側転を見ました!」と絶賛していたらしい。
なぜかそこが高評価につながった。
表彰台に、父は肩で風を切って登った。
「努力は裏切らないっ……!」
汗まみれの顔で叫ぶ父に、なぜか校長先生も涙ぐんでいた。
賞状の文面にはこう書かれていた。
《あなたは、身をもって“回転には代償がつきもの”を教えてくれました》
どんな教育だ。
その夜、父は湿布を貼りながらテレビの前で言った。
「……来年は、“縦回転”でいく」
「やめろ」
私は静かに、湿布を二枚重ねた。
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