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父、古材に人生を見出す

「この梁(はり)、ええなあ……」

 そう言って立ち尽くす父の背中を、私は一生忘れないと思う。

 ことの始まりは、近所の解体工事だった。
 昭和40年代の民家が取り壊されるということで、近隣住民の間では
「昔ながらの作りだったよね」
「玄関に立派な柱があった」
 と話題になっていた。

 父もその一人で、現場の前を通るたびに
「これが“味”なんだよなあ」と謎の感慨にふけっていた。

 そんなある日、現場の人に話しかけた父が、
“古材、譲ります”の貼り紙を発見してしまったのだ。

 その日の晩。

「なあ、古材ってええな……家にあったら“風情”あるぞ」

 という父の口火により、“古材争奪戦”プロジェクトが発動。

 母は即反対。

「どこに置くのよ、そんな柱」

「置くっていうか、“飾る”」

「インテリアじゃなくて“巨大な木材”でしょ?」

「いや、“オブジェ”や」

 言い換えても意味は変わらない。

 数日後。父は意気揚々と古材を1本、家に持ち込んできた。

 長さ2メートル、直径20センチ。
 時代劇で落城しそうなときに天井から落ちてくるアレだ。

「これがな、ケヤキなんや。しかも50年モノ」

「ワインみたいに言うな」

 家族一同、リビングの真ん中に置かれた“木の棒”を見つめる。

 母「ねえ、これ何に使うの?」

 父「……置いとくだけでええねん」

 母「それは“物置き場”って意味よね?」

 父「いや、心の支柱や」

 うまいこと言った風にするな。

 1週間後、父の“古材愛”は止まらなかった。

 ネットで「古材 再利用」と検索し、
 ・古材で作った棚
 ・古材のカフェ風テーブル
 ・古材を活かしたDIYスピーカー台
 などの画像を印刷してきた。

「これや。これにしたい」

「ってことは、工具買うってこと?」

「……電動ドリルを買おうと思う」

 母「“柱を飾るだけ”の話はどこいったの?」

 こうして、家の和室が突如“木工ワークスペース”に変貌。

 父は作業着を買い、DIY系YouTuberを見ながら、
「やっぱり“節(ふし)”がええんよなあ」などとつぶやくようになった。

 玄関には“木くず”専用ゴミ箱が設置された。

 だが、現実は甘くなかった。

 古材は重く、硬く、刃がすぐダメになる。

 最初に挑んだ「ミニベンチ」は、
 途中でネジが斜めに刺さり、座面が片方だけ浮いた。

 試しに私が座ると、「ぎぃいいぃ」と音を立てて沈んだ。

「……これは、“音が出る椅子”やな」

 ポジティブすぎるわ。

 ある晩、父がため息まじりに言った。

「……昔の木は、言うことを聞かん」

「いや、それは言うこと聞かせる人間側の問題では」

「違うねん。現代の木は柔らかい。これは、“主張してくる木”なんや」

 もはや木と会話している。

 母はついに爆発した。

「お願いだからリビングの“丸太”をどけて!!ルンバが止まってる!!」

「それは“木に導かれた停止”なんや」

「してない!ただの物理的衝突よ!!」

 翌朝、丸太は玄関横に移動された。

 が、父は新たな“古材”を入手してきた。
 今度は細長い角材で、「これは棚になる」と断言。

 が、出来上がった棚は、傾いていた。
 右側だけ2cmほど低い。

「これはな、“京都の町屋”をイメージしてるねん」

 すぐ町屋ぶるな。

 そんなある日、親戚が遊びに来た。

「この棚、味あるなあ!」

 まさかの高評価。

 父、顔がほころぶ。

「やろ?これ、古材やねん。わざと傾けてるんや」

 違う。
 正しくは“まっすぐ作れなかった”。

 でも私は黙っていた。
 それで父が満足なら、もういいやと思った。

 今、我が家には“家具とも呼べない何か”が5つほどある。
 歪んだ飾り棚、重すぎる本立て、そして用途不明の丸太。

 だが、父は言う。

「完成じゃなくて、“過程を楽しむ”のが古材や」

 急に人生語るな。

 でも、たしかに。
 年月を経た木と向き合いながら、
 DIY動画で笑って、文句言いながら作って、
 家族に突っ込まれながらニヤついて。

 それが“古材ライフ”なのかもしれない。

(End)

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