第76巻 奈良市:ナラノカミの願い
奈良公園の朝は、意外とうるさい。
「パオーン!」と鳴く鹿、観光客のリュックに顔を突っ込む鹿、
ついでに鹿せんべいを奪って逃げる鹿。
「……これ、本当に神聖な場所ですか?」
観光でやってきた大学生・結子は、鳩が乗った大仏の頭を見上げて首を傾げた。
彼氏と来るはずが、「ごめん、祖母が骨折した」でドタキャンされた。
いや、祖母が骨折する確率、年に何回あるんだろう?
「せめて“縁結びの神”とか、いないかな……」
そうつぶやいた瞬間、風がふわりと吹き、彼女の前に現れたのは――
大仏をミニチュアにして歩きやすくしたような、ツルピカの頭と金色の衣をまとった神様。
「余である。ナラノカミなり」
「な、なんか登場が荘厳すぎて逆に怪しい!」
ナラノカミ。
奈良の大仏建立以降、“荘厳な願い”専門の神様として活動中。
特徴:基本、スケールが壮大すぎて噛み合わない
「恋がしたいんです」と願えば、
「では、平城京の再現から始めよう」
「えっ、そこから!?」
「まず都を造らねば、貴族の出会いもない。そなた、瓦を焼いておれ」
一度、彼の助けで「就職活動うまくいきますように」と願った大学生がいた。
神様は答えた。
「よかろう。いざ、千人の経師を呼び、写経を一万巻写すのじゃ!」
「いや、履歴書とポートフォリオでいいんです……」
結子は一応、事情を説明する。
「彼氏にドタキャンされて……奈良に一人で来ちゃって……
そろそろ、自分に合う人と出会いたくて……」
するとナラノカミは、静かにうなずいた。
「それは……誠に荘厳な願いであるな」
「え、荘厳?」
「人が人と心を通わせるということは、五重塔より高く、東大寺より深し」
「またスケールでかくなってきた……!」
ナラノカミは、急に正座をし、
懐から筆と巻物を取り出し、筆を舐めた。
「これより、そなたの恋愛縁起図を作成する」
「なんですかそれ、占い?」
「違う。“大和絵スタイル恋愛戦略図”である!」
すると、巻物にはびっしりと絵巻物風に描かれた結子の人生と出会いの全記録。
「2023年春、駅のホームで靴紐を踏む」
「2024年初夏、友人がカフェでうっかりこぼした水でTシャツ濡れる」
「2025年秋、観光地でぼんやり歩いていた相手とぶつかる」
「あの、これ、ただの失敗エピソードですよね……?」
「否、それが“縁の萌芽”なのだ。人は転んで、縁に出逢うものぞ」
結子は笑ってしまった。
「じゃあ私、転んでばっかりだよ……」
「よきかな、よきかな。そなたには“こけ縁運”が備わっておる」
「初耳なんだけど、その運勢」
その日の夕方。
結子が帰ろうとすると、
前から来た男性が鹿に追われて全力で転倒した。
その人のリュックから、鹿せんべいが飛び出す。
「うわっ、すみません、僕、ちょっと配りすぎて……」
彼は奈良の観光協会で働く青年だった。
その場で手を貸し合い、自然と話が弾み、
後日ふたりは、「鹿せんべいフェア」で再会し、笑い合った。
その背後、木陰からナラノカミは呟いた。
「ふむ……“こけ縁”、大当たりであったな」
📌
奈良の神様は、大仏に見守られながら、
ゆっくりと、だけど確実に、
人生の“笑える転倒”を用意してくれるようです。
一回くらい転んでも、笑って起き上がれれば、
そのすぐ横に、“いい出会い”が転がってるかもしれません。
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