第133章 東広島市:ヒガシヒロシマノカミの願い
──酔うほどに、人生は愉快になる。願いは、ほんのり芳醇に。
西条の町にある古びた酒蔵の裏手、誰も気づかぬような場所に、ぽつんと立つ祠がある。
そこには、ヒガシヒロシマノカミが住んでいた。酒と笑いが大好きな神様で、願いを叶えるときは、なぜか必ず「何かが酔う」方向に話が転がる。
そんなある日、大学の酒造学科に通う青年・昂晃が、人生初の失敗作を前に頭を抱えていた。
「くそ……雑味が抜けない……甘口に仕上げるはずだったのに、なんで“スパイスカレーの後味”なんだよ……」
彼の日本酒は、もはや飲み物というより、挑戦状に近いものだった。
それを見た後輩のあかねは、逆にテンションが上がっていた。
「これはこれで個性じゃない? “飲む香辛料”って新ジャンルかも!」
昂晃は頭を抱える。
「目標は“ふくよかな甘口”だったんだってば! これじゃ“焼き鳥屋の裏メニュー”じゃん!」
その夜、昂晃はふらっと西条駅近くの小さな祠に立ち寄り、独り言のように漏らした。
「なあ神様……もう少しだけ、酒造りの才能がほしいんだよ……。人の心に沁みるような、そんな一本が作りたいんだ」
ヒガシヒロシマノカミは、こくりと頷いた。
「……よし、じゃあおぬしの魂、ちょっと発酵させてみようかの」
翌朝。
昂晃は、自分の味覚が“酒に酔ったように鋭敏”になっていることに気づいた。
水道水を飲んだだけで「ややカルキ臭、だが余韻に町の石灰分が潜んでいる」と独り語り。
米を研げば「うむ、この粒立ち、恋愛相談室並みに繊細」と呟く始末。
同居人の真也はドン引きしていた。
「なにその飲み屋の常連スキルみたいなセリフ!?」
「違う、これは神様が何かやったんだ……たぶん」
その異常な味覚と嗅覚を活かし、昂晃はどんどん日本酒の味を研ぎ澄ませていく。米の銘柄、精米歩合、仕込み水の硬度……ついには“麹菌の気持ち”まで理解し始める。
「麹ちゃんが今日、ちょっと拗ねてる」
「もう戻ってこい、人間に」
数日後、完成したのは、“鼻に抜ける芳醇な甘さ、舌に残る優しいキレ、余韻にほんのり柿の香り”という完璧な一杯だった。
試飲会では、地元の老舗杜氏が言った。
「……これは、酒に酔う前に“人生に酔う”味じゃ。久しぶりに、泣けたわい」
あかねは昂晃を抱きしめながら、自分を褒めていた。
「私、やっぱ人を見る目あるよね~! この天才を見つけたんだから!」
真也はその様子を見て、背景に見える蔵の看板が、ほんのり光っていることに気づいた。
「……なんであの看板、“発酵中”って書いてあるんだ……? まさか人間も対象……?」
その晩、昂晃は再び祠を訪れ、手を合わせる。
「神様、願いを叶えてくれてありがとう。でも……この味覚、ずっとこのままだと“豆腐の水切り”でも泣けそうなんですが」
祠の中から、陽気な笑い声が聞こえた。
「おぬし、まだ“熟成”の途中じゃ。すぐ戻すのも野暮ってもんじゃろ?」
「これ、期間限定じゃなかったの!? 一生このテンションだったら友達減るんですけど!!」
「ならば、酒の友達を増やせばよい」
「飲んべえ専用人生ってこと!?」
結局、彼の味覚は一週間後に自然に戻った。
だがその間に完成した三種の試作酒は、どれも高評価を受け、大学では“酔える講義”として紹介されるようになった。
酒は人を笑顔にする。
願いもまた、ほろ酔いで叶う。
今夜も西条のどこかで、誰かが小さな願いをこぼす。
それをヒガシヒロシマノカミが、ちょっとだけ酒気をまぶして、叶えているかもしれない。
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