第110章 大和市:ヤマトノカミの願い
住宅街の朝は早い。
といっても、やる気満々の朝日が勢いよく差し込むような元気な街ではない。むしろ、日当たりの悪いベランダにたまった洗濯物が干されるのを待っており、郵便受けにはちょっと折れたチラシがしれっと差さっている――そんな静かな街、大和市。
その静けさの裏には、一柱の神様が、そっと存在していた。
「ふぁぁ……ん……今日も平和だねぇ……」
神様の名は、ヤマトノカミ。
住宅地を守る神であり、願いは穏やかに叶える主義。
タンクトップにスウェットという格好で、今日も近所の公園のすべり台に逆向きで寄りかかりながら、うっすらと寝ている。
その神のもとに、今朝も相談者がやってきた。
「失礼します……すみません、願い事なんですけど……」
現れたのは、会社員の柊馬。眼鏡が曇りがちで、シャツのボタンが一個ズレている、几帳面なのに少し抜けてる30代男性だ。
「うちの玄関ドア、パタンてすぐ閉まるんです……小指に当たるたびに、人生も閉じてる気がしてきて……」
ヤマトノカミはしばし考え、うなずいた。
「うん。じゃあ、今日からちょっとだけ……ゆっくり閉まるようにしようか。ヒュイ〜ン……カタッ……ってね」
「えっ、そんな、いいんですか!?」
「うん。なんとなく、平和っぽいし」
その翌日、柊馬の家のドアは本当に“ヒュイ〜ン……カタッ……”と優雅に閉まるようになった。
ただし、閉まるのがゆっくりすぎて、宅配便の人がいつも「開けっぱなしですけど〜〜!!」と叫ぶようになった。
数日後、また違う人が訪れる。
「ちょ、ちょっと困ってまして……あの、妻がですね、毎朝“朝ドラごっこ”にハマってまして……」
話しかけてきたのは、育児休暇中の楓。彼の悩みは深刻だ。
「“じゃ、いってらっしゃい”の代わりに、“あなたの未来に光あれ!”って叫ばれるんです……ご近所さんがカーテンの隙間から見てるの、知ってるんです……」
「なるほどなるほど……」
ヤマトノカミはポテチをもぐもぐしながら聞いた。
「じゃあ、朝ドラ風の“BGMだけ”鳴らすようにしようか。“ぴろろろ〜ん”って。セリフは自動的に減るかもしれないし……」
その翌朝から、玄関に立つと何も言ってないのに「ぴろろろ〜ん♪」と音が鳴るようになり、逆に夫婦ともども無言になった。
しかし、代わりに猫が玄関の音に反応して、ドラマの主人公風に窓枠に座るようになった。
別の日。
今度は中学生の秦平がやってきた。
「神様、ぼく、通知表に“他人の成長を見守る姿勢がある”って書かれたんですけど、これってどういうことですかね……?」
「ん〜、先生の“無難に褒めたいけど特に思いつかなかった”枠かな?」
「うすうす分かってました!」
「じゃあ、“ほんとに誰か育ててるような気がする現象”を起こしてみる?」
「現象?」
「うん。たとえば君が歩いたあとに花が咲くとか」
「それ、完全に中二病じゃないですか」
「じゃあ、家庭菜園で野菜がやたら育つとか?」
「育ってるの……ピーマンだけなんですけど……」
ヤマトノカミはにっこり笑った。
「いいじゃない。ピーマンだって、成長するさ」
そんなこんなで、ヤマトノカミの“ちょっとだけ叶える”願いは、住宅地にじわじわと広がっていった。
・自転車のサドルがちょうどいい高さに微調整される
・スーパーの特売情報が5秒前に耳元でささやかれる
・焼き魚が片方だけ異様にうまく焼ける
・子供の靴下がなぜか左右揃う(ただし1日だけ)
奇跡ではない。
ただ、ちょっとだけうれしい。
そんな小さな幸せを配りながら、ヤマトノカミは、すべり台の上で今日も昼寝をする。
そこに、ひとりの老人がやってきた。
「神様……儂の願いは、“朝起きたときに、息子からLINEが来ていること”なんじゃが……」
「ふむ……それは、けっこう高度な願いだねぇ……」
「既読スルーでもええんじゃ……“おはよう”だけでもええんじゃが……」
ヤマトノカミはしばらく目を閉じ、考えた。
やがて、目を開けてにこりと笑う。
「じゃあ……君のスマホだけ、朝の7時に“ピコン♪”って鳴らすようにしよう。“LINEっぽい音”で」
「……それは……」
「誰から来たとかじゃないよ。でも、“来たかも……”って思える時間って、大事だからね」
老人はゆっくりと笑い、スマホを握りしめて帰っていった。
住宅地の神様は、今日も言う。
「劇的じゃなくていい。穏やかで、じんわりと幸せ。
それが、この街の――大和のスタイルだねぇ」
──完──
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