スマホ、どこ?
午前11時。
ベッドの上でうだうだしていた私は、
ふと「あれ?スマホどこ?」と気づいた。
右手が妙に軽い。
枕元にもない。
布団の下にもない。
「まさか……落とした?」
「いや、さっきまで使ってたよね?」
少しだけ焦りながら部屋中を見回す。
──そのとき、
手の中に“異物感”があることに気づく。
見れば、スマホ。
「……持ってたわ」
~第一章:「探し物は“手元”にある法則」~
人間というのは、
本当に不思議な生き物である。
・メガネを探しながらメガネをかけている
・鍵がない!と騒いでポケットを何度も探る(もう入ってる)
・財布が見つからずカバンを逆さにする(実は手に持ってる)
なぜこんなことが起こるのか?
それはおそらく、「意識が別の次元にあるから」である。
~第二章:「スマホ依存」と「スマホ所在不明」は共存する~
1日で一番長く触ってるのに、
一番どこにあるかわからないもの──
それがスマホ。
私「最近使いすぎだし、ちょっと置こう」
→ 3分後、「あれ?スマホどこ?」
→ 探す
→ さっき自分で置いた場所を忘れてる
こうして私は今日も、
スマホを持ちながらスマホを探す。
まるで“デジタル時代の禅問答”。
~第三章:「記憶」が現実を裏切る瞬間~
人は自分の記憶に絶対的な信頼を置いている。
「さっきここに置いた」
「私は見た。確かにここにあった」
「この棚の上に…いや違うな、テーブルか?」
→ どこにもない
→ パニック
→ 再起動レベルで家じゅう探す
→ 置いた記憶のない場所にある
記憶より現実の方がズレてる時、
人は無言になる。
~第四章:「音を鳴らして探す」恥ずかしさ~
スマホが見つからないとき、
もう一台の端末やパソコンから
「スマホを鳴らす」機能を使う人も多い。
ピロン♪ピロン♪ピロン♪
部屋の中でその音が鳴る。
「近いな……どこだ?」
→ 音源は自分のポケットから鳴っている
「こいつかあぁぁあ!!」
自分で操作して、自分でびっくりする。
誰もいなくても、恥ずかしい。
~第五章:「人前でやると倍恥ずかしい」~
友人A「スマホなくした」
私「どこに置いた?」
友人A「さっきのカフェかも」
私「LINEしてみよっか?」
友人A「ちょっと待って……あったわ」
私「どこ?」
友人A「……ポケットの中」
この時間、返してほしい。
そして笑いが止まらない。
でも、次の日──
私がやる。
~第六章:スマホ以外でも発生する“持ってるのに探す病”~
・買い物袋を手に下げて「どこやった?」
・マスクをつけたまま「マスク忘れた!」
・レジで財布を持ちながら「財布がない!」
・エコバッグを肩にかけて「エコバッグ忘れた!」
なんなら、「今、自分どこにいる?」まで分からなくなる時もある。
人間、意外と自分の行動を“見てない”。
~第七章:「未来の自分が見つけてくれる」という幻想~
よくやるのがこれ:
「とりあえずここに置いとく。あとで戻そう」
→ 忘れる
→ 未来の自分が探す
→ 未来の自分「誰だよここに置いたの」
それ、お前だよ。
過去の自分の“とりあえず”が、
未来の自分にブーメランのように返ってくる。
結論:
スマホは体の一部と化している
体の一部になると“そこにある”と意識しない
「ないと思い込むと見えなくなる」不思議な脳の錯覚
意識のズレが日常をおもしろくする
人間、結構ポンコツだけどそれが愛しい
~最終章:今日もまた、探している~
今朝もスマホが見当たらなかった。
「絶対ベッドの下!」
「いや、キッチンかも!」
「もしかして会社に忘れた!?」
焦りながら、カバンをひっくり返す。
その瞬間、LINEの通知が手の中で鳴った。
スマホ、持ってた。
今日も私は、スマホを探してスマホに見つけられている。
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