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おじ様、初めてのタッチ決済に敗北する

 それは、たった一杯のコーヒーを買おうとしただけの出来事だった。

 コンビニのレジに立った私は、レジ横のモニターに表示された文字を見て、思わず立ち尽くした。

「タッチしてください」

 ……うむ。理解した。
 この小さな機械に、カードをタッチすればいいのだ。

「はーい」と軽やかにカードを掲げる。
 ピッ。

 無反応。

 もう一度。
 ピピッ。

「すいません、お客様、もう少し上の方を……あっ、そこじゃなくて、ICチップのあるほうをですね」

 若い店員さんの笑顔がまぶしい。
 しかし私はもう、勝手に汗が出る年齢なのだ。

「昔はカードなんて、店員さんに渡してたもんじゃよ……」
 とか、心の中でじいさんが語り出す。

 そんな遺影のような思考を振り払って、私はもう一度タッチ。

「ピッ……ピッ……」

「反応してないですね~、一度ICで差し込んでいただいていいですよ~」

 敗北を告げられた。

 その後、私はコンビニのイートインで、苦めのコーヒーと敗北の味を噛み締めた。

 隣では大学生らしき青年が、スマホで一瞬にして決済を終え、さっそうと去っていった。

「Apple Pay、超便利っすね〜」

 その言葉が遠ざかるにつれ、私は強く決意した。

 タッチ決済を使いこなす。令和のおじさんとして。

 翌日。
 私は真剣にYouTubeで「タッチ決済 やり方」と検索した。

 動画に出てきた若いお姉さんがこう言った。

「まずカードを“かざす”っていうイメージでOKです!」

 なるほど、“タッチ”じゃない。“かざす”だ。
“あてる”でもない。“近づける”だ。
 ニュアンスの勝負なのだ。

 次の戦場は、パン屋だった。
 昼休みに勇気を出して、ベーコンエピとチョコクロを持ってレジへ。

「お会計、480円です」

 私は迷いなくカードを取り出し、機械に“かざした”。

「ピッ!」

 ……反応した!!

「お支払い完了です〜!」

 やった……やったぞ……!

 勝利のベーコンエピは、異様に香ばしかった。

 しかし、勝利の余韻に浸る間もなく、試練は訪れた。
 3日後、スーパーのセルフレジで事件は起きた。

 いつものように、野菜と冷凍餃子と牛乳を精算し、
「お支払い方法を選んでください」の画面でタッチ決済を選択。

 カードをかざす――

「ピーーーーーッ!」

 警告音。

「お客様、こちらへお願いします!」
 店員さんが飛んできた。

「こちらのレジではタッチ決済対応してないんですよ〜」

 おお……そういうの、書いておいてくれよ……!

「でも“タッチ決済”ってボタンありましたよね?」

「ありますけど……対応してるとは限らないんです」

 世の中、理不尽に満ちている。

 それでも私はあきらめなかった。

 ポイントは“対応レジか否かの見極め”である。

 ある日、近所のドラッグストアで、私は初めて**「完全勝利」**を経験した。

 ・レジに「タッチOK」マークあり
 ・機械にちゃんと「ICマーク」あり
 ・店員さんが「ピッどうぞ〜」と先に言ってくれるタイプ

 完璧なコンディション。

 私はスッとカードをかざした。
 音が鳴る。レシートが出る。
 誰にも怒られない。誰にも笑われない。

 そのとき、私は心からこう思った。
「やっと、文明の一員になれた」と。

 その夜、夕食時に妻が言った。

「ねぇ、スマホで支払えば?スマホもカード登録してあるでしょ?」

「え、スマホで……?」

「ほら、タッチ決済ってスマホでやるもんじゃないの?」

「……カードでやってるけど」

「なんで?」

「そっちが先に来たから……?」

 妻はやさしく微笑んだ。
“時代に追いつけた気になってるタイプ”への慈悲の笑みだった。

 翌日、私はスマホの「ウォレット」アプリを開いた。
 カードを登録し、「タッチで支払いが可能です」という文字を確認。

 昼。ローソンで弁当とお茶を持ってレジへ。
 スマホを出す。機械にかざす。

「ピッ」

 ……うん。

「お支払い完了でーす」

 完全勝利ふたたび。

 レジのお姉さんに、思わずガッツポーズしそうになった。

 そして今。
 私は自信を持って言える。

 かつてタッチ決済に敗北したおじさんが、
 今や「スマホ2台持ちのデジタル勇者」として、
 コンビニでシュッとピッと、日常を買っている。

 唯一の問題は、
 たまにスマホの画面が真っ暗なままかざして、
「それ、電源入ってませんよ」って言われることくらいだ。

(End)

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