『フリスビー・マウントポジション』
「犬の運動にちょうどいいと思って買ったんだよ、フリスビー」
そう語ったのは、隣人の杉下さん。普段は寡黙な老人なのに、その日は妙に饒舌だった。
私は近所の公園で息子とキャッチボールをしていた。そこへ杉下さんが、小脇に直径30センチはあろうかというフリスビーを抱えて現れたのだ。
「いやあ、懐かしいよ。昔はこれで、山岳警備隊と戦ったもんさ」
「ん?山岳警備隊?」
「いやまあ、比喩だよ。昔話さ」
その“昔話”がかなりファンタジーじみていたので詳しく聞くと、若い頃に「フリスビーバトル選手権」という、耳慣れない大会に出場していたらしい。
なんでも、フリスビーをただ投げるのではなく、空中キャッチ、フェイント回転、崖登りしながらの反射ショットなど、ありとあらゆる無駄テクニックを詰め込んだ、まさに“無駄に熱い競技”だったという。
「最終決戦は、富士山の九合目で、投げたフリスビーが地球の自転を利用して背中から戻ってきたからね」
「それ完全に嘘ですよね?」
しかしその話が、私の息子・智也の心を鷲掴みにしてしまった。
「パパ、僕もそれ、やりたい!!」
かくして始まったのが、我が家主導による“近隣フリスビー復興計画”。
最初は我が家だけだったが、次第に「それならうちも」「久しぶりに投げてみるか」というおじさんたちが公園に集まりだした。最年長の遠山さん(73)は、片手にフリスビー、もう片手に湿布。
「今日の勝負は“ベランダ越し対決”だ!」
「この距離感でフリスビー投げるとか近隣迷惑すぎませんか!?」
だがそのうち、皆のフリスビースキルは明らかに常軌を逸していった。
ある日、農協職員の片桐さんが、「たった今、畑に投げたフリスビーが自宅の風呂桶に着地した」と報告してきた。実際、桶にはピタリと収まった円盤が浮いていた。
「これは……神の投擲ですね……」
そしてついに、“フリスビー頂上決戦”が開催されることとなる。
場所は地元の多目的グラウンド。競技名は「第1回・町内どこまで飛ぶねん杯」。
参加者はなんと14名。平均年齢58.4歳。全員、整骨院の常連。
ルールはシンプル。「どこまで飛ばせるか」。
ただし、単に飛距離を競うだけではない。
・フリスビーの回転音が「高貴」であること
・飛行中にどれだけ“生き様”を感じるか
・最終的に受け取った側が泣けるかどうか
という、やたらと情緒に偏った採点基準が設けられていた。
私は審判として立ち会ったが、最初から最後まで「何これ」と言いたい気持ちを抑えるのに必死だった。
そして、いよいよラスト。杉下さんの番。
「……いけ、ゴッドディスク!」
と叫びながら投げたその一投は、冗談抜きで美しかった。
軌道はまるで無重力。飛びながら一瞬だけ逆回転し、風を切って宙を舞う。
そして――
「……おい、まさか……」
見上げると、フリスビーは奇跡的な角度で弧を描き、杉下さんの頭上にゆっくりと戻ってきた。
「キャッチ……キャッチだ杉下さん!」
だが――
杉下さんは、フリスビーの下に寝転んでいた。
「今だ。マウントポジションだ」
「え、キャッチじゃなくて!?なぜマウントを?」
そのままフリスビーは杉下さんの胸に着地。
「これが、俺の最後の技……“空中自己マウント”さ」
観客全員、拍手。そして大爆笑。
審査員(町内会長)は、感涙を浮かべながらこう言った。
「……今回の優勝は、杉下さんです。“人は飛ばすものではなく、自らフリスビーになるべし”という哲学的教訓を、体で語ってくれました」
こうして、フリスビー大会は町の伝説になった。
数日後、我が家に手紙が届く。
杉下さんからだった。
「私は旅に出る。次なる“投げぬきの地”を求めて。次会うときは、風の音に乗って……」
今もときおり、どこかの空に、一枚の円盤が舞う。
もしかしたら、それは――杉下さんかもしれない。
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