波に乗れないサーファー
「この波……乗れる!」
海岸に立ち尽くす男がいた。
名前は相馬(そうま)一郎、年齢38歳。職業・区役所の水道課職員。趣味──サーフィン歴3ヶ月(自称“波を愛しすぎた男”)。
だが彼の体型はどう見ても波に乗るというより、波に巻かれるタイプ。おなかは海老天のように丸く、ウェットスーツのファスナーはついに閉じられなくなった。
「この海には魂がある……俺にはわかる……」
砂浜でこの世の理を語り始めるあたり、近所の子どもたちからは「波おじさん」と呼ばれている。
相馬がサーフィンを始めた理由は単純だった。
「健康診断で『血圧が津波級』って言われたんだよね」
「じゃあ波で中和しようと思った?」
「そう!」
職場の同期・川添がため息をつく。
「普通は病院行くだろ」
「いや、俺は“自然療法”派だから」
「その自然が命の危険なんだよ……」
相馬は一切めげない。
彼には、“波を読む”という特技がある(と本人は思っている)。
問題は、“波に乗れない”ことである。
初日:板に乗ろうとして波にひっくり返される
2日目:乗る前に波の音でびっくりして後ずさり
3日目:波にのまれてコンタクトを流す
「おかしいな、俺の中のサーフ魂はもうバリ島なんだけど……」
心だけ常夏。
そんな相馬を心配して、近所のサーファー・マドカさんが声をかけてくれた。
「相馬さん……無理しないで、まずはボディボードから始めたら?」
「いや、波が俺を呼んでるんだ!」
「むしろ毎回“拒否”されてるように見えますけど……」
彼のサーフボードには、もう10箇所以上の亀裂がある。
ある日、相馬は決意する。
「このままでは“波おじさん”で終わってしまう……今日こそ、波に乗る!」
早朝5時。日の出とともに海へ。
大きな波が迫ってくる。
「きた!これは……俺を受け入れる波だ!!」
波に向かって漕ぎ出す相馬。
一瞬、奇跡が起きた。
ボードが浮いた。足が立った。
「おおおおお!!立った!!俺、立ったぞ!!」
その瞬間。
イルカがジャンプしてきて、相馬の顔にクリーンヒット。
「うわああああああっ!?」
結局、海岸に流れ着いた相馬は、頭にイルカのヒレ型のあざを残した。
「……自然って、厳しいな……」
「もう、ボディボードにしたら?」
「いや、次は“SUPヨガ”に挑戦するよ」
「なんで“安定”を通り越して“難易度爆上げ”に行くの!?」
それから1週間後。
相馬は立っていた。ボードの上で、片足を上げ、優雅にポーズを決めている。
SUPヨガの教室で、一人だけ見事に波に乗っていたのだ。
「わかるか?ヨガは波を拒まず、波も俺を拒まない!」
「それ、ただ“風がない日”だからだよ」
「ちがう!俺が“波の境地”に達したんだ!」
風も波もなく、まるでプールのような海だった。
それでも、相馬は満足そうだった。
「波に乗るとは、心に波を作らないことだったんだ……」
「……ちょっと何言ってるかわかんないですけど」
その日以来、海岸では時々、波がないのにボードの上でポーズを決める中年男性が目撃されるようになった。
子どもたちは彼をこう呼ぶ。
「波おじさん、進化して“静水の仙人”になったってよ」
波には、乗るだけじゃない向き合い方があるのかもしれない──たぶん。
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