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第3章:岩手県「遠野の語り部と座敷わらしの約束」

 列車が静かに揺れながら、山の谷間を抜けていく。青森から岩手県の遠野へ向かうローカル線。車内はほとんど無人で、曇った窓の外には、霧に包まれた山並みと、早春の雪解けに湿る田畑が広がっていた。
 アオイは祖父の手帳を開いた。そこには、手描きの挿絵のように、どこか懐かしい農家の風景と、「語り部」「座敷わらし」「約束」とだけ記されていた。
 「……なんで“座敷わらし”なんて……?」
 小さく呟くと、網棚に置いたリュックの中で「虹色の欠片」がかすかに光った。まるで、遠野という土地そのものがアオイを呼んでいるようだった。
 

 
 遠野駅に着くと、曇天の空の下、素朴な町並みが広がっていた。瓦屋根の商家、古びた看板、石畳の小道。東京や札幌で見るような雑踏はなかったが、どこか時間の流れが緩やかに感じられる、不思議な懐かしさがそこにはあった。
 駅前の観光案内所で、アオイは「語り部」を探していると伝えた。
 「ああ、キクさんだね。語り部の会でも一番の古株さ。こっちの伝承園の方で、今でも昔話を語ってくれてるよ」
 案内されたのは、茅葺き屋根の旧家がいくつも並ぶ、風情ある民話の里だった。その一角の囲炉裏の間で、アオイはその人に出会った。
 「……キクさんですか?」
 「ああ、あんたが……アオイって言ったかね」
 囲炉裏の火のそばに、白髪をきちりと結んだ小柄な老女が腰かけていた。キクは、アオイを見るなり目を細めた。
 「その目……あんたの祖父と、似てるよ」
 アオイは息をのんだ。
 「祖父をご存知なんですか……?」
 「忘れようがないよ。二十年も前のことだけどね。わたしに、“土人形を探してる”って言ってきた男さ。雪の夜に、座敷わらしが出たって話を聞きつけて、この遠野まで来たんだ」
 キクは、囲炉裏に薪を足しながら続けた。
 「その人が言ってたんだよ。“この土地には、忘れられそうな何かが、ちゃんと残ってる”って」
 アオイは、懐から「虹色の欠片」を取り出し、囲炉裏の火にかざした。欠片は、淡く、けれど確かに光を放った。
 キクは微かに頷いた。
 「その“土人形”のこと、話してあげようかねぇ……」
 外では、風がざわめき、どこからか雪解け水の流れる音が聞こえていた。

 囲炉裏の火は、静かに薪を舐めていた。部屋の空気には煤と焚き木のにおいが混ざり、アオイは祖父の田舎にいた幼い頃の感覚を思い出していた。
 キクの声は、まるで風に混ざって語りかけてくるように穏やかで、どこか土のにおいがした。
 「その土人形はね、座敷わらしを模してるんだけど、他とちょっと違うんだよ。ただの飾りじゃない。……“見守ってくれてる”って、うちの祖母が言ってた」
 キクは、天井を見上げるように目を細めた。
 「うちの家、昔は賑やかだったのよ。子供も多くて、農作業も忙しくて。けど、ある年から、だんだんとおかしくなっていった。病気が続いて、火事もあって、兄弟が村を出て……最後に残ったのが、あの人形だった」
 アオイは、キクの手元を見た。彼女の膝に、何かを撫でるように置かれていたそれは、確かに——古びた、土の人形だった。丸みのある、子供の姿。表情ははっきりしていないが、どこか、笑っているようにも見えた。
 「これが、“古の欠片”ですか?」
 「どうだろうね。でも、あんたが持ってるそれ——虹色の光と呼応するなら、そうかもしれない」
 キクが指差したその瞬間、「虹色の欠片」がぼうっと光った。
 アオイはそっと土人形に触れた。……土のひんやりとした感触の奥に、どこか“体温”のような、柔らかなぬくもりがあった。
 その時——
 囲炉裏の火が揺れ、部屋の空気が一瞬、静止したように感じられた。
 アオイの意識が、深い何かに沈み込んでいく。
 

 
 土壁の家の中、薄明かりの灯る室内に、幼い子供たちの笑い声が響いていた。囲炉裏を囲む家族。素朴な料理。母親の膝にすがる子供。障子の向こうに、ふっと現れては消える影。
 ——座敷わらしだった。
 彼らは、“ただ在る”だけだった。声もなく、ただ、そこにいる。それが、家族の温かさを引き寄せる“引力”になっていた。
 だが——時が経つにつれて、家族は少しずつバラバラになっていった。
 大黒柱の倒壊、火事、離散。そして、最後に残った老女が、手の中の土人形を握りしめていた。
 「……また、誰かが来る日まで」
 

 
 アオイは、はっと目を覚ました。
 キクは驚いたように、彼の顔をのぞきこんでいた。
 「見えたのかい?」
 アオイは頷いた。
 「……座敷わらしは、“幸運”のシンボルというだけじゃなかった。あれは、あの家族の“絆”そのものだったんだ」
 キクの目に、静かに涙がにじんだ。
 「……うちも、また、あのぬくもりを……もう一度、取り戻せるかねぇ」
 アオイは「古びた土人形」を両手で包み込み、そっと胸に抱いた。
 土人形が、ぽうっと柔らかな光を放ち、そして彼の「虹色の欠片」と共鳴した。

 その夜、アオイはキクの家に泊まった。人形は、囲炉裏のそばに座らせてあった。
 雪は、音もなく降り積もっていた。
 深夜、ふと目覚めたアオイは、不思議な気配を感じて縁側へ出た。
 そこに——いた。
 小さな影。子どもほどの背丈。ぼうっとした輪郭。何かを言うわけでもなく、ただ、座敷に腰を下ろして、星も見えぬ空を見上げていた。
 アオイは、静かに問いかけた。
 「君は……ここに残ってたんだね」
 影は、頷いたように見えた。
 「この家を守ってた。……ずっと」
 アオイは、祖父の手帳を取り出して開いた。そこには、ページの端に書かれた短い文があった。
 ——「人が家を照らすとき、影は残らない。けれど、想いが残れば、座敷に笑みが差す」
 アオイは微笑んだ。
 「ありがとう。……君の想い、受け取ったよ」
 影は、静かに立ち上がった。
 雪明かりの中、土人形がほんの一瞬、ひとりでに微笑んだように見えた。
 

 
 翌朝、キクは土人形をアオイに手渡した。
 「これは、あんたが持って行きなさい。もう、わたしよりも、あんたの方が“声”を聞いてる」
 アオイは、深く頭を下げた。
 「……必ず、繋いでみせます」
 そう言ってリュックにしまうと、「虹色の欠片」が静かに共鳴した。
 

 
 列車が、遠野の駅を離れていく。
 アオイは、車窓の外に手を振るキクの姿を見ながら、小さく口を開いた。
 「家って、ただの建物じゃないんだな。……人の想いが、そこに宿るんだ」
 列車がトンネルに入る。暗闇の中で、アオイは次のページを開く。
 ——「宮城県・瑞巌寺。独眼龍の魂は、いまも海を越えて」
 「……伊達政宗、か。……仙台か……よし」
 アオイは、旅を続ける。
 座敷の笑みを胸に。
(第3章:岩手県「遠野の語り部と座敷わらしの約束」完)


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