『感情つまみ、どこにありますか?』
会社の昼休み、給湯室に現れた営業課の田口先輩は、胸ポケットからなぜか「つまみ(物理)」を取り出した。
そう、あのアンプやラジオについてる“回すやつ”。
「どうしたんですか、それ」
同僚の紗英が、おそるおそる尋ねた。
「感情コントロールつまみ、だよ」
「……は?」
「感情、どうにかしたいじゃん。イライラとか、動揺とか、涙腺崩壊とか。これをこう、“グリッ”て回すとね」
――キュルッ(回す音)
「はい、いま“怒り感度ゼロ”になった」
「いや、意味がわからないです」
しかも、つまみはポケットから生えてた。もう完全に意味不明である。
「じゃあ証拠見せてくださいよ。ほら、さっき係長に“資料提出今日までだけど?”って言われてましたよね?」
「うむ。では実演しよう」
田口先輩、つまみを回す。
――キュルッ(MAXからゼロへ)
その瞬間、係長登場。
「田口くん、資料まだかね?」
「ごめんなさ〜い♡ ちょっとまだ整理中〜。へへっ♪」
「誰!?」
テンションがアイドルMC風になった。
係長が目をパチクリさせて去っていく。
「ゼロにしたら、怒りどころか“羞恥心”まで飛んだんじゃ……?」
「細かくは設定できんのよ、このつまみ」
◆
その後、つまみはなぜか社内でブームになる。
・経理の早苗さん→“涙もろさ”つまみを購入、「金曜ロードショー」で一滴も泣かなくなり、逆に怖がられる。
・新人の吉田→“やる気つまみ”をMAXにした結果、出社10分で社内を3周して疲れて帰宅。
・部長→“部下への期待度つまみ”をゼロに設定し、「どんな報告も無表情で受け流すAI」状態へ。
「え、今のプレゼン……どうでした?」
「へぇーそうなんだー(心が無)」
※本人は快適だが部下は全員泣いた。
◆
そんな中、紗英もついに買ってしまう。「感情つまみVer.3.2(限定ピンク)」。
彼女がターゲットにしたのは――「恋愛スイッチ」だ。
相手は、総務の戸田くん。マジメで、ちょっと猫背で、たまにメガネくもらせてる人。
彼と話すたび、心が小躍りする。けれど顔はクールぶってしまう。
「……いかん。これではいけない」
意を決して、“恋愛感度つまみ”を、キュッと半分まで上げる。
昼休み、給湯室で遭遇した戸田くんに話しかける。
「あの……今度、資料室の整理、手伝ってくれますか?」
「……あ、うん、いいよ」
「えへへっ♡ たのしみにしてま〜す!」
「……えっ? さ、紗英さん……キャラが……あれ?」
自分の口調に引く紗英。やりすぎた。
つまみを見ると、誤って“女子力モード”まで回していた。
「キュピーン」みたいな擬音が出そうな微笑みを無理やり収めて逃走。
その日の夕方、戸田くんがこっそり話しかけてきた。
「紗英さん……今日、なんか調子悪かったですか?」
「え……いや……それは……」
「俺、あのノリ、ちょっと好きでした」
心のつまみ、急上昇。顔の温度も急上昇。
「そ、それは……つまり……?」
「また変なこと言ってください」
「変なこと!?」
彼女はその日、こっそり“変なこと発言率つまみ”を買った。
何に役立つのかは不明。でも、恋は時に、そういうつまみで動くものなのだ。
◆
その後、社内では「つまみ調整講座」なる朝活サークルが誕生。
講師はもちろん、田口先輩。
「本日は“社長への共感値”をあげる練習でーす!」
「つまみ、関係あるんですかそれ!」
カオスだが、社内の空気はなんだか柔らかくなった。
――みんな、それぞれ、自分の感情にちょっと向き合ってみた。
“回す”という行為だけでも、なにかが動くことがある。
いいなと思ったら応援しよう!
楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。