見出し画像

『感情つまみ、どこにありますか?』

 会社の昼休み、給湯室に現れた営業課の田口先輩は、胸ポケットからなぜか「つまみ(物理)」を取り出した。

 そう、あのアンプやラジオについてる“回すやつ”。

「どうしたんですか、それ」

 同僚の紗英が、おそるおそる尋ねた。

「感情コントロールつまみ、だよ」

「……は?」

「感情、どうにかしたいじゃん。イライラとか、動揺とか、涙腺崩壊とか。これをこう、“グリッ”て回すとね」

 ――キュルッ(回す音)

「はい、いま“怒り感度ゼロ”になった」

「いや、意味がわからないです」

 しかも、つまみはポケットから生えてた。もう完全に意味不明である。

「じゃあ証拠見せてくださいよ。ほら、さっき係長に“資料提出今日までだけど?”って言われてましたよね?」

「うむ。では実演しよう」

 田口先輩、つまみを回す。

 ――キュルッ(MAXからゼロへ)

 その瞬間、係長登場。

「田口くん、資料まだかね?」

「ごめんなさ〜い♡ ちょっとまだ整理中〜。へへっ♪」

「誰!?」

 テンションがアイドルMC風になった。
 係長が目をパチクリさせて去っていく。

「ゼロにしたら、怒りどころか“羞恥心”まで飛んだんじゃ……?」

「細かくは設定できんのよ、このつまみ」

 その後、つまみはなぜか社内でブームになる。

 ・経理の早苗さん→“涙もろさ”つまみを購入、「金曜ロードショー」で一滴も泣かなくなり、逆に怖がられる。

 ・新人の吉田→“やる気つまみ”をMAXにした結果、出社10分で社内を3周して疲れて帰宅。

 ・部長→“部下への期待度つまみ”をゼロに設定し、「どんな報告も無表情で受け流すAI」状態へ。

 「え、今のプレゼン……どうでした?」

 「へぇーそうなんだー(心が無)」

 ※本人は快適だが部下は全員泣いた。

 そんな中、紗英もついに買ってしまう。「感情つまみVer.3.2(限定ピンク)」。

 彼女がターゲットにしたのは――「恋愛スイッチ」だ。

 相手は、総務の戸田くん。マジメで、ちょっと猫背で、たまにメガネくもらせてる人。
 彼と話すたび、心が小躍りする。けれど顔はクールぶってしまう。

「……いかん。これではいけない」

 意を決して、“恋愛感度つまみ”を、キュッと半分まで上げる。

 昼休み、給湯室で遭遇した戸田くんに話しかける。

「あの……今度、資料室の整理、手伝ってくれますか?」

「……あ、うん、いいよ」

「えへへっ♡ たのしみにしてま〜す!」

「……えっ? さ、紗英さん……キャラが……あれ?」

 自分の口調に引く紗英。やりすぎた。

 つまみを見ると、誤って“女子力モード”まで回していた。

 「キュピーン」みたいな擬音が出そうな微笑みを無理やり収めて逃走。

 その日の夕方、戸田くんがこっそり話しかけてきた。

「紗英さん……今日、なんか調子悪かったですか?」

「え……いや……それは……」

「俺、あのノリ、ちょっと好きでした」

 心のつまみ、急上昇。顔の温度も急上昇。

「そ、それは……つまり……?」

「また変なこと言ってください」

「変なこと!?」

 彼女はその日、こっそり“変なこと発言率つまみ”を買った。

 何に役立つのかは不明。でも、恋は時に、そういうつまみで動くものなのだ。

 その後、社内では「つまみ調整講座」なる朝活サークルが誕生。

 講師はもちろん、田口先輩。

「本日は“社長への共感値”をあげる練習でーす!」

「つまみ、関係あるんですかそれ!」

 カオスだが、社内の空気はなんだか柔らかくなった。

 ――みんな、それぞれ、自分の感情にちょっと向き合ってみた。

 “回す”という行為だけでも、なにかが動くことがある。


いいなと思ったら応援しよう!

Goldness 楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。