第6話「アルキメデス、給食で哲学する」
朝の校門前、アルキメデスは仁王立ちしていた。
両手を腰に当て、真顔で言った。
「本日、わたしは“給食”なるものを初体験する。聞くところによれば、現代の学校では“食事を全員で摂る”という文化があるらしいな……」
「うん、ただの昼ごはんだよ」
横で松井が疲れた顔で突っ込む。
「給食センターからトラックで運ばれてきて、配膳して、みんなで“いただきます”って言うの。あ、最近はアレルギー対応もあるから、“希望制献立”とか“代替メニュー”とか——」
「待て、待て、情報が多い!」
—
午前の授業を終え、いよいよ給食の時間がやってきた。
教室には銀のトレイがずらりと並び、白衣と帽子姿の給食当番たちが黙々とおかずを盛っていく。
「今日はカレーライス、牛乳、ほうれん草のソテー、ミニゼリーです!」
「ほう……それが現代の食事か……?」
トレイを手にしたアルキメデスは、一つひとつの食材に視線を送った。
「これは……米か? だが形が……丸く粘り気を帯びている。いや、これは炊いたというより“変質させた”か……」
「それ、ごはん。炊いてる。ふつうのやつ」
「この黄色き液体は……香辛料が入っている……だと!? しかも……野菜が……溶けている……これは……調和だな?」
「それ、カレー。カレーライス。子供人気ナンバーワン」
—
スプーンを手にし、一口。
アルキメデスの目が見開かれた。
「熱い……だが甘い……辛い……いや、香ばしい……!」
ご飯の粒の一つ一つに、ルーがしみ込み、全体がまとまりながらも一粒ごとの個性が残されている。
「これは……数学で言うところの“可換性”と“分解性”の同居ではないか……!?」
「なんか知らんがめっちゃ褒めてる!」
—
次に、牛乳に手を伸ばした。
パックを開けるとき、四苦八苦したあげく、ついに「これは紙の構造ではない、神の封印だ」と言い始め、隣の女子に「こうです」と開け方を教えられる。
「これは……飲むのか? 白い液体……濁りし水……」
「飲めばわかるって!」
ごくり。
「ん……!? ひんやり……そして舌の奥で……何かが……跳ねる……!?」
しばらく考え込んだあと、真顔で言った。
「これは……“加工された牛”だな?」
「うん、まあ、だいたい合ってる」
—
さらに、「ほうれん草のソテー」を食べたときには、
「これは……草か? いや、草にしては……旨い……? 否、草と油と……何か赤いものが混ざっている……これは……!?」
「それ、ベーコン。豚肉。細切れ。あとコンソメ」
「なるほど、肉と草の調和……。かつてピタゴラス派が“豆”を禁じたが、これは豆ではないな……」
「その話、今しなくていいから!」
—
極めつけは、ミニゼリーであった。
ぷるぷると揺れるその姿に、アルキメデスは小さな声でつぶやいた。
「……これは……固まった水……? いや、もはやこれは……“水の意志”だな……!」
ゼリーを前にしたアルキメデスは、しばしの沈黙ののち、神妙な顔で語り出した。
「このぷるぷると揺れる物体は、決して液体でも固体でもない……。一見不定形、だが形を保つ。ゆえにこれは“混合状態”……いや、“食の曖昧領域”に属する存在ではないか?」
「……ただのデザートだよ? 美味しいよ?」
クラスメイトが笑いながら答えるが、アルキメデスは真剣そのものだ。
「見よ、この透明度。果実の香り。そしてこの弾力……。この物体は“舌に触れた瞬間、消えていくこと”に美がある……これは……一種の哲学的表現ではないか?」
「デザートで哲学を始めないでくれる?」
—
給食が終わり、生徒たちが片付けに移る中、アルキメデスはしみじみと呟いた。
「食とは、味覚を満たすものにあらず。そこにあるのは、構造と設計……。あらゆる素材が熱と水と時間を以て結び合わされておる。すなわち、給食とは——“可食なる科学”だな」
「いや、詩的すぎるでしょ」
—
その日の放課後。アルキメデスは調理室に入り込み、配膳された残りの食材を興味津々で観察していた。
「この“揚げパン”というもの……甘き粉がまぶされておる。しかも、表面がわずかに硬く、中は空気を含む柔らかさ……これは……密度の変化によるものか?」
「油で揚げてるんだってば」
「揚げる、とは……水と熱の代替か……?」
「だから、難しく考えないで!」
—
調理員の一人がにこやかに言った。
「アルキメデスくん、給食がそんなに面白いの?」
「面白い……などという簡単な言葉で済ませられぬ。これは……もはや“味覚の宇宙”だ」
「……うん、なんか知らないけど褒められてるっぽいね」
—
夜、寮の自室でアルキメデスは一冊のノートを開いていた。
そこには、自作の見出しが書かれていた。
《食における熱と構造の相互関係について》
——副題:わたしはなぜゼリーに感動したのか?
書きながら、彼はほっと息を吐いた。
「この時代には……美味なるものが、こんなにも“構造化”されておるとは……」
思わず笑みがこぼれる。
「わしは今、毎日が実験であると同時に……驚きの連続だ。よい……実によいぞ、現代!」
—
そのころ松井は、寮母とお茶を飲みながらこう漏らしていた。
「最近、“食”に関する話をするたび、哲学と数学の話にされて困ってるんですよね……」
「でも、あの子……すっごく楽しそうよ?」
「……まあ、そりゃそうか」
—
そしてアルキメデスは夢想する。
パンと米が並ぶ献立に、「文明の交錯」を感じ、
プリンを前にして「これは……食の中の時間構造か?」と悩み、
牛乳の温度管理に「これは液体の臨界管理だ!」と驚嘆する。
そう、給食とは——彼にとって、日常に潜む無数の“法則の祭典”だった。
(第6話 完)
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