ベーコンが鳴く朝に
「ベーコンが鳴いてる……?」
目覚ましの音も、近所の犬の遠吠えも無視できる俺が、今日ばかりは目をこすりながら飛び起きた。
朝六時。キッチンから妙な音がする。ジュウジュウと油がはねる音——ときどき、間に“キュゥ~……”と、なんだか生き物みたいな鳴き声が混じっている。
「まさか泥棒……?」
そう思ってスリッパ片足脱げたまま、廊下をそっと歩く。すると、ドアの向こうから聞こえてきたのは、まぎれもなく——
「ほわぁ〜ん、今日もいい焼け具合でちゅ〜」
……幼児語。
俺は覚悟を決めてドアを開けた。
キッチンには、姉。赤いフリルのエプロンにタヌキ柄のパジャマ。背筋をピンとのばして、フライパンに向かい、ベーコンを優しく転がしている。
「……ねえ、姉ちゃん。今、しゃべったよね? ベーコンに」
「あんた! これはしゃべりかけじゃなくて“語らい”!」
「どっちでも怖いわ!」
姉は振り向きもせず、丁寧にトングを使い、ベーコンを皿に移した。そして、神妙な顔で言った。
「……この子、今日が一番良い出来。焼けてる途中で“ありがとう”って……言ってた」
「お肉の声が聞こえるようになったら、病院案件だよね?」
「違うの。最近始めた“朝ベーコン・セラピー”の一環なの」
「そんなヘンなセラピーあるか!」
姉の語るには——。
「朝一番でベーコンを焼く。香りと音を感じる。五感が喜ぶ。そこに愛を込めて焼くと、幸福ホルモンが分泌され、自己肯定感がうなぎのぼり。仕上げに“ありがとう”と唱えると、ベーコンが心に寄り添ってくれるっていう、インスタでバズりかけてるセラピー!」
「バズってないやつの主張って、なんでこんなに声デカいんだろうな……」
俺は呆れながらも、つい皿を手に取ってしまった。焼きたてベーコン、カリカリの縁に油のツヤ。香りだけで軽く脳が目覚める。
ぱくっ。
——美味い。というか、なんだこの……幸福感?
「え、うまっ……!」
「でしょう? ちゃんと感謝した?」
「……ありがとう、ベーコン……?」
その瞬間——
キッチンの窓辺に置かれた観葉植物が、ぴくりと動いた。
「……あの、姉ちゃん。今、植木鉢がちょっと動いたような」
「ふふっ、ようやく“聞こえてきた”のね……」
姉がにやりと笑うと、部屋の空気が妙にピンク色っぽくなる気がした。
「この部屋にはね、“目覚めたベーコン”のエネルギーが満ちてるの。彼らの祈りが、部屋中の命に働きかけてるの」
「“彼ら”って……なに? 俺、今まで何食べてきたの?」
「“命”よ。いただいて、感謝して、共に朝を迎える存在……」
「なんで宗教チックになってんの!?」
ベーコンを食べながら説法される朝。シュールすぎる状況のなか、ついに姉はコタツから封筒を取り出した。
「これを読んで。私、ベーコンアーティスト認定試験に受かったの!」
「何それ!? どこで試験してんの!?」
「イギリスの“IBU(International Bacon Union)”で、オンライン一次試験・香り選別試験・焼き音クイズ・感謝の舞で最終審査だったのよ!」
「舞って何!? ベーコンに舞うの!?」
姉は誇らしげに、奇妙な認定書を見せた。豚のスタンプと金の油しみつき。
「これからは、全国の小学校で“ベーコン瞑想”を教えるの」
「やめて! 子どもたちを巻き込まないで!」
だが、姉の決意は固かった。すでに市役所の生涯学習課に「ベーコン講座・こころの目玉焼き編」の企画書を提出したらしい。
その日の午後。俺は図書館で調べた。すると、驚くべきことに、最近密かに「朝ベーコン健康法」が話題になっており、一部の料理研究家の間では「ベーコンを語る」ことが新時代のマインドフルネスとされているという。
……まさか。
帰宅すると、姉が真剣な目で言った。
「……次は、目玉焼きに入門しようと思ってるの」
「やめろ、朝食を擬人化するな……!」
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