見出し画像

『ポストは見ていた』

毎朝5時50分、きっかりに「郵便受け」を開けにくる男がいた。

名を、根岸勝。

年齢は五十路を越えたが、体脂肪率は18%。趣味は“新聞紙の厚み測定”。そして何より、郵便受けを愛してやまない男である。

──が、ある朝。

「……おい。手紙が、ないだと……?」

その日、彼は郵便受けの前で30秒ほど静止し、そっとポストの扉を閉じると、数歩下がってポストに深くお辞儀した。

「今日はお休みですね。了解しました」

そして一礼して去っていった。

変人である。

だが、地域住民は知っている。彼がこの街の“郵便受け名人”として、TVに三度取り上げられたことを。

「手紙が来てない日こそ、ポストの本当の声が聞こえるんです」

意味がわからないが、名言っぽくて誰もツッコめなかった。

しかしその翌日、事態は急変する。

またもや郵便受けに、手紙が──ない。

次の日も、さらに次の日も。

根岸は焦った。彼の中で、ポストが“沈黙の機械”から“人格ある存在”に変わっていたからである。

「……話してくれ、ポスト君……君に何が起きてるんだ……!」

その日から、根岸のポスト観察はレベルを増した。赤外線カメラ、湿度計、郵便屋の足音解析アプリなどを駆使し、ついには「ポストが無言である日数グラフ」という謎資料まで作成。

会社では部下に「課長、グラフの“縦軸=ポストの機嫌”って、定義が謎です」と言われた。

だが、根岸は諦めなかった。

そして7日目。彼はついにポストと“会話”する方法を発見する。

それは、「ポストに手紙を書く」ことだった。

手紙の内容はこうだ。


拝啓 ポスト様
日頃より大変お世話になっております。
この一週間、あなたが口を開けども沈黙を続けていること、私、勝は深く案じております。
もしよろしければ、お気持ちだけでも、お知らせいただけませんでしょうか。
敬具


これを投函し、翌朝そっと扉を開けると──

なんと、返信があった。

白い紙に、明朝体でたった一行。

「ひとりにしといて」

ゾッとした。だが、根岸は泣いた。

「ポスト……お前……疲れてたんだな……!」

彼は以降、毎朝の“無投函”を“休暇日”と捉え、ポストにタオルをかけたり、氷を差し入れたりするようになった。

そしてある日。

またしても手紙が、なかった。

が、ポストの中には、なんと

「今までありがとう。また会える日まで」

という短い別れの言葉が。

──翌朝、ポストは消えていた。

跡地には、「置き配専用ボックス」が設置されていた。

味も素っ気もない金属製のそれは、手紙はおろか“会話”すら拒む無感情の塊だった。

根岸はその前でしばらく立ち尽くし、そしてポツリと呟いた。

「君は……名前も、ないのか……」

その日から根岸は、配達員にわざわざ「書留でお願いします」と頼み、自分でポストを作り始めた。

ベランダに木製、庭に陶器、トイレ横にガチャポン式……家の中は“ポスト美術館”と化した。

だが、どのポストも「何も言ってくれなかった」あいつのことは、決して忘れさせてはくれなかった。

根岸勝、58歳。

彼の名刺には、こう書かれている。

“ポスト再生士/郵便受け心理師”

なお、現在は「ポストの気持ちになれる人」として月一で講演も行っており、受講者には「沈黙のポストと向き合う禅体験」が人気だという。


いいなと思ったら応援しよう!

Goldness 楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。