顔面で勝負
夜10時、カフェ「つきのみち」が閉店したあと、店内の片隅で“月”がひとり、ため息をついていた。
「また今日もスルーかあ……」
そう呟いたのは、壁に飾られた直径30cmのインテリア用の「下弦の月」。だが普通の月ではない。顔がついている。そして、話す。
この月、名をツクヲという。実は「顔のある月」シリーズとして、1970年代に一世を風靡したインテリア用品だ。目元ぱっちり、口元ふにゃり。見る者の心を和ませる──はずだった。
だが現代。誰も彼を見てくれない。若者はスマホ、年配者は老眼。カフェのオーナーさえ、彼の存在を忘れている。
ツクヲの悩みは深かった。
「どうしたもんかね……顔面で勝負する時代はもう終わったのか?」
そこに現れたのが、天井近くの照明ランプ。LEDでおしゃれな間接照明だ。
「おいツッくん、また拗ねてるの?」
「……おまえはいいよな、常に点灯、注目の的」
「まあな、光ってナンボよ。おまえも光れば?」
「無理だよ、電源コードないし」
「顔があるのに機能性ゼロ、ってなかなか難儀だな」
「うるさいわ」
その夜、ツクヲは決意する。
「俺、動く。もう“ただの壁”じゃない」
翌日からツクヲの「自己主張活動」が始まった。
まずはウインク。
客がカフェラテを啜るタイミングを見計らって、ぐいっと右目を閉じる。
結果。
「ねえ……あの月、ウインクしてない?」「えっ?ただの飾りじゃないの?」「いや、さっき一瞬、片目つぶった気が……」
ざわつきは起こったが、店員が「エスプレッソ濃すぎたかもですね〜」の一言で片付けてしまう。
次は口パク。マフィンを頬張る人の背後で、
「……ウマソウ……」
だがこれも、「空耳?」と一笑に付された。
ツクヲ、困惑。
「このままじゃ、俺の存在意義が“昭和の雑貨”で終わる……!」
焦る彼に、思わぬ助っ人が現れる。
「にゃー」
そう、店の看板猫・フジコ。気分屋で普段は誰にもなつかない彼女が、ふとツクヲに向かって……スリスリし始めた。
「うお、猫パワー!」
なんとこれを見た客が、
「猫が壁に甘えてる!?」「ちょ、インスタ映えする!」
SNSでバズった。タグは #月と猫とコーヒー 。閲覧数が急上昇し、カフェには“顔のある月を見に来ました”という観光客まで訪れるようになった。
オーナーもそれに気づき、「下弦の月くん(ツクヲ)グッズ」を作り始める。
・月型クッキー
・月型ラテアート
・月の表情が変わる付箋(ただし全部同じ顔)
ツクヲは、人生……いや、月生最大の輝きを手に入れた。
だが、調子に乗るのもまた、月の性。
「そろそろ“音声搭載型トーク月”とかいけるんじゃない?」
提案したのは、あのLEDランプ。
「いけるかもな……録音してくれよ。“ウマソウ”ってやつ」
ツクヲの声を録音したその夜。なぜか壁から“ウマソウ”が連発される事案が発生。
「今、聞こえましたよね?」「私には“食べてみたい”って……」
カフェが怪談スポット化しそうになり、オーナーが慌てて録音機を撤去。ツクヲ、ひとまず静寂へ。
けれど。
「ま、今の俺には顔がある。猫もいる。客も来る。……それで充分だ」
そう呟いて、壁の中で少しだけ、満足げに目を細めた。
そして、また夜が来る。
ツクヲの顔が、静かに笑っていた。
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