第80巻 越谷市:コシガヤノカミの願い
越谷の風は、どこか素朴でのんびりしている。
「この空気感、好きだなぁ」
越谷レイクタウンのベンチで一人、航大は缶コーヒーを開けながらつぶやいた。
東京の職場から逃げ出してきて三日目。
失恋・残業・人間関係・謎の健康診断で引っかかる数値……すべてをリセットするために選んだ先が、越谷市だった。
いや、正確には「レイクタウンで暮らせば人生整うらしい」という、SNSで見た投稿を信じた結果である。
「都会じゃないけど、田舎でもない。歩いてたらイオンに着く……これが求めてたバランスかもな」
そのときだった。
目の前に、田植えスタイルの神様が現れた。
いや、厳密には「長靴・麦わら帽子・手ぬぐい・スコップ・そしてニコニコ笑顔」という、農協のポスターから出てきたような存在が。
「お兄さん、願いごと、ある?」
「へっ?」
「私はコシガヤノカミ。越谷市、田園とショッピングモールの守り神」
「え、あ、神様っすか? レイクタウンの?」
「うん、あと農道も」
「……広いな」
コシガヤノカミは、とにかく素朴で親しみやすい。
神様というより、やたら詳しい地元のおじさんに近い。
「願いを叶えるには、田んぼ仕事を一緒にするのがルール」
「……え、何その地味な修行」
「田植えすると、心が整うんだよ。あと腰も強くなる」
「人生整えたいだけなんですけど……」
「なら、草取りからだね」
その日から航大は、なぜか早朝に畦道を歩くようになった。
朝5時、ラジオ体操をする前に雑草を抜く。
6時、腰に手ぬぐい巻いて合鴨を見送る。
7時、苗が倒れてないかチェックする。
誰かに頼まれたわけじゃない。
でも、やっていると不思議な充実感があった。
「草、抜けたねぇ」
「あ、神様。今日もいらしてたんですね」
「おかげで願いの準備、できたよ。
君の“整った”に、ちょっとだけ素朴さを添えるよ」
「添えるだけなんだ……」
三週間後――
航大はすっかり変わっていた。
・夜10時には眠くなる
・玄関に長靴を並べて誇らしい
・近所の農家さんに「苗の目利き、うまいね」と言われて泣く
そして、再就職も決まった。
レイクタウン内のおにぎり専門店「コシのやすみ」。
草むしりと握力の成果が、全て面接で高評価となった。
「いや、人生ほんと整うな……なんなんだここ……」
そんな彼のもとに、またふわりとコシガヤノカミが現れた。
「願い、叶ったかな?」
「えぇ。まさか田んぼが人生を救うとは……」
「君みたいな人、多いんだよ。
最初は“人生どうにかしてくれ!”って来て、
いつの間にか“畦道で深呼吸”が最高になる」
越谷は、そういう街だった。
ピカピカのショッピングモールと、
くたくたの田んぼ道が、
手をつないで生きている街。
そして今日も、草の匂いと風の中、
“ちょっとだけ働く”神様が、
誰かの願いをそっと整えていた。
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