第21章:岐阜県「白川郷の合掌造りと飛騨の匠の技」
長野から西へ。アオイは山を越えて岐阜県へと入った。
春まだ浅い飛騨路、雪解け水が川に勢いよく流れ、空はどこまでも高く澄んでいる。
そして、山の谷間に広がる白川郷の合掌造り集落は、まるで時代から切り取られた絵のようだった。
祖父の手帳には、こう記されていた。
——「屋根裏に、“結”が眠っている」
そしてもう一つ、「古の欠片」は「合掌造りの屋根材の欠片」。
それは、人が力を合わせて生きる知恵の象徴だという。
*
アオイは、合掌造りの一軒で作業していた老職人に声をかけた。
茅の束を束ね、屋根の補修をしていたその男の名は、タツヤ。
「旅人か。……その顔、どこかで見たと思ったら、あの時の若ぇのの孫か」
彼は、アオイの祖父と一緒に合掌造りの保存活動に関わっていたという。
「昔はな、屋根の葺き替えは村中の一大行事だった。“結(ゆい)”って呼ばれる助け合いの場だったんだ。誰の家でも、みんなで支える。それが“村”ってもんだった」
アオイは、合掌造りの急な屋根を見上げながら、ふと尋ねた。
「今はどうなんですか? こういう文化って、続いてるんですか?」
タツヤは手を止め、寂しそうに笑った。
「だんだん難しくなってきてる。若いもんは街に出るし、材料だって高くつく。……でもな、まだ“結”は消えてない。ちゃんと、残ってる。だから、おまえさんにも見せてやりたいもんがある」
*
タツヤの案内で、アオイは修繕中の合掌造りの屋根裏に登った。
乾いた茅の香りが鼻をかすめる。
陽の差し込む梁の奥に、小さな木箱があった。
「その中に……おまえのじいさんが、“未来のために”って置いていったもんがある」
アオイが箱を開けると、そこには指先ほどの茅束と、小さな木片が収められていた。
それは、屋根材として使われていた古い欠片だった。
手に取った瞬間、虹色の欠片が共鳴し、屋根裏の空気が一変した。
——ギィィィ……
梁が鳴ったかと思うと、屋根裏の空間に微かな光の波が満ちた。
アオイの意識は、そのまま過去の“結”の記憶へと引き込まれていった。
眩しい雪の反射と、人々の笑い声が響く白川郷の“昔”の風景が広がっていた。
アオイは、まるでそこに居合わせたかのように、村人たちの合掌造りの屋根替えに立ち会っていた。
男も女も、子どもも年寄りも、みな一つの屋根の上で動き、笑い、支え合っていた。
——「茅は、重いぞ! 急ぐな、焦るな!」
——「結の手順、忘れるなよ!」
雪の中での共同作業は、厳しく、しかし温かかった。
誰かが滑れば、すぐに誰かが手を伸ばす。
作業が終わる頃には、ひとつの屋根の下に、村全体の息遣いが宿っていた。
——「屋根を葺くことは、暮らしを支えること。暮らしを支えるってのは、誰かの“背中”を預かることだ」
そう言ったのは、若かりし頃のタツヤだった。
*
現在に戻ると、アオイの手には、まだ温もりを帯びた屋根材の欠片があった。
タツヤは、アオイの様子をじっと見ていた。
「見たんだな。“あの時”のことを」
アオイは深く頷いた。
「合掌造りは、建物じゃない。人の手と心が合わさって、ようやく“暮らし”になる」
タツヤは満足げにうなずいた。
「おまえさん、ほんとに、あのじいさんに似てきた」
*
その夜、村の集会所では小さな“ゆいの会”が開かれた。
村の若者たち、遠方から戻ってきた後継者、タツヤの息子。
それぞれが自分たちの“つながり”について語り合っていた。
アオイは、その場に座りながら、自分の手帳を開いた。
——「岐阜:白川郷の合掌造りと飛騨の匠の技」
そして、欠片をそっとページの間に挟んだ。
*
翌朝、タツヤが道の途中まで見送りに来てくれた。
「旅は続くんだろ?」
「ええ。次は……静岡。茶畑の“声”を聞きに行きます」
「静かに揺れる葉っぱの下で、きっと何かが待ってるさ。……“結”は、もう始まってるからな」
アオイは笑い、深く礼をして村を後にした。
合掌造りの屋根の先、残雪の残る山並みの向こうに、春の気配が確かに近づいていた。
(第21章:岐阜県「白川郷の合掌造りと飛騨の匠の技」完)
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