そのトイレは、しゃべる。
深夜2時。
コンビニのトイレは、静かに“人生相談室”と化していた。
「また彼女に既読スルーされました……」
「既読がついただけマシじゃ。ワシなんか、蓋さえ開けてもらえんのじゃからな」
しゃべっているのは、便器だ。
コンビニ「マートマックス24八丁堀店」の男子トイレ個室A。通称“喋るトイレ”。
このトイレ、どういうわけか人が入ると勝手にしゃべる。誰かが仕込んだイタズラか、霊的現象か、トイレが自己進化したのかは不明だが、しゃべる。しかも妙に的確に。
噂を聞きつけた常連客の間では、もはや都市伝説的存在である。
今日、その噂を頼りにやって来たのが――自称・無職の三浦拓海、28歳。
三度の転職に失敗し、最後の頼みの綱として“しゃべるトイレ”に人生相談をしにきたという、やや哀しき男である。
「……こんにちは」
「おぉ、若者。よう来たのう。小か、大か?」
「い、いえ、今日は相談で……」
「……流すのか、心の澱を?」
三浦は頷いた。やがて口を開いた。
「……就職がうまくいかなくて。面接に行っても、いつも“元気がない”とか“目に光がない”とか、そういう評価ばかりで……」
「ふむ……それで?」
「最近は自分が何をしたいのかも分からなくなって。親にも申し訳なくて……それで……」
トイレはしばし沈黙した。
水音もなく、静かだった。
「……ほう。よう話したな」
「え?」
「この空間はの、世のすべてを受け止める。人の弱さも、悲しみも、苦しみも……すべて流すことができる」
「……はぁ」
「じゃがの、流しても消えんこともある。それをどうするか、それが人生じゃ」
なんか名言めいている。トイレのくせに。
「……どうすれば……僕、変われるんでしょうか」
「まず、自分の“出すべきもの”を決めることじゃ」
「“出すべきもの”?」
「便じゃ」
「便!?」
「いや、たとえ話じゃよ。たとえ。今のお前は、便秘してるのと同じ。何も出せてない。心にも、人生にも便秘があるのじゃ」
三浦は何を聞かされているんだろうと困惑しながらも、どこか納得していた。
「なるほど……」
「何でもええ。まず一歩。動くこと。それが人生の下剤じゃ」
「下剤……」
なにかこう……クサいようでスカッとする言葉の連打である。
「それにしてもお主、顔が疲れておるな。便座あたためようか?」
「……結構です」
三浦がトイレから出たあと、バイトの佐々木が個室Aに入ると、例の声が聞こえた。
「おぉ、佐々木か。今日も元気そうじゃな」
「おう。あんた、また相談受けてたな。三浦くん、なんかスッキリした顔して出てったぞ」
「うむ。便秘の解消じゃ」
「……いや実際には何も出してなかったぞ?」
「心の便秘が解消されたんじゃよ。そういうことにしとけ」
このトイレ、なぜか“中の人”――というか“中の何か”が分からない。
ただ、佐々木だけには正体を明かしている。
「なあ、あんた、なんでトイレなんかになったんだ? 他にもっとマシな……こう、スマートスピーカーとかあったろ?」
「最初はポストだったんじゃがの。人が投函せんでのう……“閉じこもり系悩み相談”には便所が一番じゃ」
「まあ、それは納得だけどな……」
佐々木が尻を拭きながら同意する。地味にひどい光景である。
「じゃが、そろそろ“次”を探しておるんじゃよ。ワシの後継者じゃ」
「……後継者?」
「このトイレに宿る“便所の精霊”として、次の器をの……」
「おい、なんか急に怖くなってきたぞ」
ところ変わって深夜3時。
団地の部屋で、三浦は真っ白な履歴書を前に悩んでいた。
だが、彼の手は動いていた。
久々に、自分の言葉で何かを書く気になった。
書いては破き、また書く。
朝になっても完成はしなかったが、心の中の“便秘”は少しずつ解消されていった。
ふと、彼の脳裏にトイレの声が蘇る。
「心に溜め込むな。詰まるぞ」
「……うるせぇよ」
でも、ちょっと笑ってしまった。
その後、三浦は清掃会社に就職し、“トイレ専門清掃員”として働くことになった。
毎日、便器と向き合いながら、彼はどこかでこう思っている。
――俺は、人生の“つまり”を取り除く者だ。
そして時々、心の中でこう呟く。
「……今日は、流れる日だ」
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