見出し画像

【bon42:徳島県_阿波よしこのと“踊る阿呆の哲学講座”】

 徳島・眉山のふもと、8月。
 「よしこの〜♪」という節が流れるだけで、通行人の歩幅が揃い始める魔のエリア。
「……もうこれ、土地ごと“踊り場”じゃない?」
 浩夢が腕を組んだまま見上げる。理知的な顔に似合わぬほど、テンションが周囲より0.5拍低い
「なあ怜臣、この曲ってさ、普通の曲じゃなくて、もはや“現象”じゃない?」
「……ああ。音じゃなくて“脈”だ。しかも地面から伝わる」
 感性を言語化する怜臣が、足元を見ながらつぶやく。
 そのすぐ近くでは、由生がすでに踊りに巻き込まれていた。
「うおおおお! 街全体が“踊る流体力学”みたいになってる!!」
 通行人の流れに逆らうほど、自然に踊らされてしまう不思議な力。
 トラブルを恐れない由生にとっては、もはや喜劇でもあり事故でもある。
「阿波おどりって、“踊りたくなくても踊ってしまう力”なんですね……!」
 その様子をやや離れて観察していたのは、貴巳
 扇子を開きながら、鏡のような眼差しで周囲を見つめる。
「ねえ、これさ……“魅惑”って言葉で片づけるには強すぎない?」
「踊る理由がなくても、踊る。それが“阿波の合理”なんでしょうか」
 浩夢がつぶやくと、
 近くにいたおじいさんが笑いながら口を開いた。
「踊る阿呆に、見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損じゃけんのぉ
 そこに哲学はあるのか、と問うまでもなく、
 すでに哲学そのものが腰を落として踊っていた。



 広場に立っていたのは、いかにもベテランらしき“本場の連(れん)”
 眉毛まで踊っているかのような笑顔、全身がリズムに乗っていて、風すらも合わせているかのよう。
「よし、いくか!」
 由生が勢いよく飛び込もうとしたその時、怜臣が軽く手を上げた。
「待って。まず、分析する。踊りの構造を。無闇に混ざると、“魂の手足”がもげる”
「うわぁ…言葉が変態的に深い……」
 貴巳が頷く。
「でも……私、混ざりたい。踊りの渦に。“どうせなら踊る阿呆になりたい”って気持ち……いま、湧いてきた」
「貴巳、言葉じゃなく、腰で言え」
「それセクハラ寄りだけど説得力ある……!」
 そこに、ベテランの踊り手が近づいてきた。
 70代半ばとは思えぬキレと風格。
 踊りながら登場しても誰も驚かない町の空気感に守られ、彼は言う。
「……初心者か? 見とったら分かるわな。心が踊ってねぇ」
「心も踊らせるコツ、あるんですか?」
 浩夢が聞くと、おじいさんはニヤリと笑って言った。
「考えたら負けじゃ。“リズムに飲まれろ”。あとは足が勝手に進む」
 怜臣がごく小さく呟いた。
「……つまり、“思考の停止”による身体の自由……これが阿波流の無我か」
「その分析してる時点でまだ阿呆じゃないぞ」と由生。
 すると、踊り手のおばさまが登場。
 頭に手ぬぐい、両手には扇子、
 そしてなぜかその背後に、すでに見物客数十名が!
「ほら! 見とらんで、一緒に踊るんよ!」
「え、急に!?」
 阿波おどりは誘導ではない。“感染”である。
 そう気づいた頃には、すでに四人とも輪にいた。
 しかも――
 怜臣が、驚異のアジャスト能力を発揮していた。
 たった一拍で動きを読み、
 それらしく見せ、
 手の角度と目線に“語り”を仕込んだ。
「なんだこの人! いきなり“踊れる哲学科教授”みたいになってる!!」
「むしろこの人が阿呆じゃなかったら、阿波おどりが嘘だろ!!」
 そう叫びながら、由生も何やら踊りながら跳ねた。
 浩夢がぽつり。
「……全員、踊ってる。
 ……そして、誰一人、冷静じゃない。
 なのに、みんな正しい。
 ……これが、“阿波よしこの”の世界か」
 最前列のおばあさんが扇子で風を起こしながら言った。
「踊ってくれて、ありがとのぉ。
 それがうちらの、一番嬉しいリスペクトよ」
(bon42:End)


いいなと思ったら応援しよう!

Goldness 楽しんでいただけることが一番の喜びです。いつもご覧いただき、ありがとうございます!これからも、皆さんと一緒に素敵な時間を共有できるように、より一層努力していきます。